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Re:大艱難期
[1] Luke( … 回) 2010/02/17/Wed/17:51 (No.316)

  そうですね、なかなか微妙に解釈の差が出るトピックではあります。一応こちらをご参照ください。

http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/q&a/Q&A_5.html


大艱難期
[1] はみ( … 回) 2010/02/12/Fri/16:50 (No.315)

  ルーク先生

いつも貴重なメッセージをありがとうございます。
前に同じ質問をされた方もおられるかも知れませんが、大艱難期と携挙の時期について
質問がありますので、よろしくお願い致します。

先生は携挙の時期は、クリスチャンが7年間の大艱難期のほとんどの時期をこの地上で過ごすと解釈されていますが、ダニエル書7章25節を見ると、「神の人々は三年半の間、反キリストの力の下に置かれる」(TEV訳を和訳した表現)と書かれてあります。
これは、クリスチャンたちが7年まるまるではなく、最初の三年半のみ地上にいて、
苦しみを通らされる、と読み取るのは間違いでしょうか。聖書はなぜ、三年半と限定しているのでしょう。

またマタイ24章にも携挙について書かれてあります。
ここには、携挙が起こる瞬間まで、私達は飲んだり食べたり
嫁いだり娶ったりと、ノアの洪水の時のように人々は日常生活を普通に送っている、とあります。

もし後半の三年半もこの地上に残っているならば、クリスチャンにとって、大艱難期の期間に日常生活を普通に送ることは不可能なように思えます。

しかし聖書には、二人の女が臼を挽いていれば、一人は連れて行かれ
もう一人は残されるとあります。
この光景は、私にはあまり現実的に見えないのです。
なぜならば、私達クリスチャンが大艱難期のまっただ中、携挙が起こる時に
他の未信者たちと一緒に働いている事は、有り得ないと思えるからです。
私達は恐らくこの時期、迫害下に置かれているのではないでしょうか。

このような事から、後半の三年半もクリスチャンが地上に残っているのは不自然に感じるのですが、ルーク先生はどう思われますか?
やはり7年間ずっとこの地上にいるならば、なぜ聖書が三年半と限定しているのか、
またなぜ未信者とともに一般の生活を過ごせているのか、教えて頂けますでしょうか。どうぞ、よろしくお願いします。


Re:新改訳?共同訳?一番よい訳は何ですか?
[1] もみじ( … 回) 2010/01/22/Fri/00:02 (No.314)

  e-swordの方では口語訳がはいっており、一応King Jamesと比較できるようにもなっています。口語訳は良いでしょうか?


Re:この世
[1] Luke( … 回) 2009/11/29/Sun/09:24 (No.313)

  こちらをご覧くださいませ。
http://www.kingdomfellowship.com/cgi-bin/diarypro/diary.cgi?no=1153


この世
[1] ピンポンパン( … 回) 2009/11/26/Thu/14:22 (No.312)

  ローマ書12:2にある’この世’というのはどういう意味でしょうか? 聖書が’この世’という時、まるで現代の全てが悪い物だと思いがちです。よって’あれはダメ’’コレはダメ’と教団からまるで信者に規則でもあるように色んな物事を批判することになるのでしょうか。 


Re:女性とズボン
[1] Luke( … 回) 2009/11/05/Thu/21:06 (No.310)

  ええと、これはどうお答えするべきなのでしょうか?

基本的に私は「すべてのことは許されているが、すべてが益になるわけではない」と判断しますが。新約で明確に禁止されているのは、

姦淫、偶像礼拝、生血を飲むこと、絞め殺した物を食べること

ですから。あとは各人の良心にしたがって平安があればよいのではないでしょうか?


女性とズボン
[1] ピンポンパン( … 回) 2009/11/05/Thu/13:09 (No.309)

  米国の教会の中でよく問題とされるのが女性とズボンについて。 申命記22:5の節を使い、女性はズボンを履くべきではないと説教します。 それは勿論ズボンは男性だけの着物であるという仮定からきているわけです。
新約で女性の格好について述べてある節は1テモテ2:9−10ですが、それでもズボンはつつましい身なりではないと決断しているわけです。
キリストを信じて 旧約のリーガリズムにはもう束縛されてはいないはずですが、女性がズボンを履くことを主はいみきらわれているなどというわけです。
日本のキリスト教会の中でもこんな問題はでてくるのですか? それともこれは米国ならではの教会内での問題でしょうか。
1テモテ2:9−10に述べてある意味は 10節に書かれているとおり、外見の格好をどうするかではなく、”よい行いを自分の飾り”とするべきであることを主張していると思うのですが、なぜかこの節を使ってキリスタンとしてどんな格好をすべきかなど、律法として使われているように感じます。 先生から女性とズボンに対して説明していただけないでしょうか。


Re:死んだ 「霊」
[1] ヘム( … 回) 2009/03/14/Sat/10:40 (No.308)

  こんにちわルークさん!

エペソ2:1-2・・・ここにもありますね。たしかに!
「以前は自分の過ちと罪の為に死んでいたのです。」

霊・魂・体に関しても、テサロニケ 5:23 に「どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして・・・・。」とあります。

信じるに足る、十分な御言葉が、私達に用意されている事を感謝いたします。


Re:死んだ 「霊」
[1] Luke( … 回) 2009/03/13/Fri/22:59 (No.307)

  そうですね、エペソ2:1-2あたりをご参照下さい。

「私たちは・・・死んでいた」とありますが、体は生きています、魂も生きています。とすれば、死んでいたのは霊になりますね。もし人が霊・魂・体から構成されているならば。


死んだ 「霊」
[1] ヘム( … 回) [E-mail] 2009/03/13/Fri/13:25 (No.306)

  人が罪を犯し、「霊」が死んだことの根拠になる聖句を探しているのですが、どの辺でしょうか。

創世記6−3 「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉に過ぎないのだから」
ヨハネ3−3 「人は新たに生まれなければ神の国を見ることは出来ない。・・・霊から生まれたものは霊である。」

とありますが、これらの聖句も、状況証拠的であるような気がしますが。



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