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Re:罪について
[1] はみ( … 回) 2007/03/21/Wed/00:53 (No.199)

  ルーク先生

申し訳在りません。一つ書き漏れていたことがあります。
そのリーダーは、罪(a sin)は取り除かれたけれど、救われた後でも
罪を犯し続ければ、契約は不履行となり、その罪は再び戻って来ることがある、
とも教わりました。そのことだけ付け加えさせて下さい。
申し訳在りません。


Re:罪について
[1] はみ( … 回) 2007/03/21/Wed/00:44 (No.198)

  ルーク先生、初めまして。
初めて投稿させて頂きます。

罪(a sin)と罪々(sins)の違いにおいて、わたくしの聖書クラスでも
リーダーを通して学ばせて頂いた事があります。

ここで一つの質問をお許し頂きたいのですが、そのリーダは
私達クリスチャンは今、新しい契約の元にあり
罪も罪々のどちらもイエス様の十字架によって取り除かれていると教わりましたので、少し混乱している所です。
そのことはイザヤ53:6で「その私達の『罪をすべて』を
主は彼に負わせた」と書かれてある通りだと言います。
そのリーダーは[infirmaties]と[trespasses] という言葉で説明してくれました。

パウロのロマ7章は、ノンクリスチャンもしくはクリスチャンであっても
律法的な者や古い契約に未だに生きる者の状況が描かれているということです。

私達が罪(Sins)を犯すのは、罪(a sin)に委ねるからではなく、
罪や罪々の記憶の染み込んだ古い体(脳に残っている古い習慣や欲)に委ねて
しまう時に罪々を犯してしまうのだと言われました。
そしてその時にイエス様を選択するときに、聖霊の力が働くというのです。

ルーク先生の教えて下さっていることと、かなりの共通点はあると思いますが
「新しい契約」を鍵にした時に、沈静化された罪(a sin)が残っているのか
もしくは罪そのものが無くなっているのかで、大きな違いがあると思います。
このことでご回答を頂けますでしょうか。
よろしくお願い致します。


Re:コリンさんのメッセージに関してなど
[1] まりこ( … 回) 2007/03/16/Fri/21:21 (No.197)

  ルークさん、こんばんは。
お返事有難うございました。
実は質問したあと、なんとなく思い巡らしていたら
突然目の前に「主の祈り」が現れ出てきて、
あ、そうだったんだ!ってわかりました。
Aの質問にはきっとルークさんもそのことを教えて下さる
だろうなと思ってましたので、とても感謝です。

こちらで質問させて頂く事によって、ピントのずれてる部分や
ゆがみがよくわかりました。いろいろあって少し固まっていた
心が、柔らかくほぐされました。
ルークさんの明快な回答にはいつもアーメンです
本当に有難うございました。これからもよろしくお願い致します。


Re:罪について
[1] 越湖( … 回) [E-mail] 2007/03/14/Wed/23:07 (No.196)

   ルーク先生、質問に対してのご返答を感謝いたします。大変学ばせて頂いております。罪と罪々の違いがポイントでありますね。また疑問がありましたら、質問させて頂きます。本当に有難うございました。


Re:罪について
[1] Luke( … 回) 2007/03/14/Wed/18:21 (No.195)

  罪(Sin)と罪々(sins)の区別がまずポイントになるかと思います。後者は私たちの実際的好意や言葉、思いなどですね。これは主の血によって赦され、取り除かれています。

問題は前者ですが、ロマ書7章のパウロの経験がもしクリスチャンになる前の経験でしたら、越湖さまの言われるとおりかも知れませんが、パウロの経験はクリスチャンになってからのものです。そしてこれは私たちの経験でもあります。すると「体には別の法則があり、思いの法則に対して戦いを挑」むわけです。これが罪と死の法則です。

さらにパウロは「自分の望んでいないことをするとすれば、それは私の肉に住んでいる罪である」ことを発見します。この旧創造の体には罪(Sin)が住み(擬人化されています)、罪と死の法則によって私たちを支配しようとするわけです。これを無効にするのが、8章に出るいのちの御霊の法則です。ちょうど重力の法則が働いていても、飛行機に乗る時にはそれが無効にされているのと同じです。

なお、ウイットネス・リーはここでこの罪(Sin)は擬人化されているから、サタンであるとし、クリスチャンの体にはサタンが内住している(サタンの受肉)と言っていますが、これは聖書を超えた危険な思想です。


Re:コリンさんのメッセージに関してなど
[1] Luke( … 回) 2007/03/14/Wed/18:13 (No.194)

  こんにちは。

@そうですね。そういうことはあるかもしれません。ポイントは私たちの地上での歩みは、この旧い体の影響や敵の影響でアップダウンがあるのです。天気と同じですね。しかし私たちの状態によらず、私たちは勝利者なのですね。

Aまあ、あえて苦難を求めなくて良いと思いますが。主の祈りには敵から守って下さいとありますね。

Bもちろん霊的にです。その結果、魂や体も健やかにされます。貧困や病は時に訪れますが、その時には主の時を待てば良いでしょう。主の恵みの中で。

C逃げ腰ですとサタンはよく挑発します。と言って、神社の周りを「悪霊退散!」と叫びながら後進する事もありません。大切な点はヨハネ書簡にあるとおり、神が悪しき者から守って下さり、とあります。普通の生活を普通に送る中で、サタンの罪定めがあるときなどは、ヤコブ書に「悪魔に立ち向かいなさい、彼は逃げ去ります」とあるとおりです。このときに自分の何かではなく、主の血とことばに頼ることです(黙示録12章)。

Blessings!


Re:「思い」について
[1] ひな( … 回) 2007/03/14/Wed/12:19 (No.193)

   ルークさん、ありがとうございます! といっても私の質問に答えていただいた訳ではないのですが、とても分かり易いそしてヘルプフルな答えに感謝します。
 ”霊的”と豪語する姉妹に振り回され、先日の礼拝で聖霊は決して御言葉と反したことは示されないと言われ、答えを一つ、そしてまたここで答えを頂いたような気がします。ありがとうございます。


罪について
[1] 越湖( … 回) [E-mail] 2007/03/14/Wed/09:04 (No.192)

  私達が救われ、聖霊様が内に宿ると、私達の身体の中にある罪は、力を失うとありますが、罪自体は消えずに残り、自己の問題としてはイエスの十字架によって2000年前に全て解決された事を認め、聖霊様と歩むことを選択するならば、自動的にその罪は力を失い沈静化するといいます。しかし、聖書のどこかに「罪のあるところに聖霊様はいない」と書かれているため、罪そのものは、救われた時点で消滅し、沈静化した罪が残るのではなく、罪と聖霊様が同在することが有り得ないという理由から、罪そのものが無くなり、消滅するのではないのでしょうか? 古い身体に属している(記憶・悪習慣が染み込んだ身体)私達は、それに引っ張られることはあるけれども、沈静化した罪の残存のゆえではないのではないか、という点を確認させて頂きたく、メールしました。真実を教えて下さい。よろしく御願いします。


コリンさんのメッセージに関してなど
[1] まりこ( … 回) 2007/03/09/Fri/10:17 (No.191)

  ルークさん、こんにちは。
いつもこちらで学ばせて頂いてます。有難うございます。
コリンさんのメッセージを聞いて、いくつか質問させて頂きますが、ご回答をよろしくお願いします。

@霊的な満たし、恵みのあと、あるいはその最中に、病気、怪我などのトラブルがよく起こります。以前は自分を責めたり落ち込んだりしましたが、最近は自分の慢心を戒めて、もっと慎ましく気をつけようと思ってました。ルークさんが「舞い上がらないように、あとでど〜んときますから。」とよくおっしゃっておられますので。
ただ、今まであまり意識していなかったのですが、トラブルは敵からの攻撃ということもありますか?信仰や奉仕を失わせようとするような ・・・・でも、トラブルがあると逆に主の前に静まれるので感謝だということもありますし。
パウロの語る「圧倒的な勝利者」ということと、「自分の限度を超えて思い上がってはいけません。」というみことばが自分の中でうまくミックスできずにいます。ここを整えるコツを教えて頂けますか?
A主イエスをもっと深く知り、もっと愛したい、そのために必要な ら苦しみも益です、というような祈りをします。確かに次々と試 練があり、そのたびに主との交わりは深くなるので感謝なのです が、その祈りは敵を挑発することになるのでしょうか?

Bコリンさんはすべてのネガティブなものを蹴り飛ばそう、ポジテ ィブに考え行動しようと語られましたが、それは「霊的な意味」 でしょうか?病、また肉体的な衰え、経済的な困難、その他目に 見えるいろんな「ネガティブな要素」は、逆に恵みに感じること がよくあります。今起こっていることは主の最善であり、また時 がくれば癒しなど必要が満たされることを信じることは、消極的(ネガティブ)な信仰でしょうか?

Cコリンさんのように非常に攻撃的にサタンに対して「出て行   け!」のように命じたことはほとんどありません。敵の分野を深 く知ることにやや恐さを覚えます。サタンとはなるべく関わらな いようにしたいという態度は危険でしょうか?
 
 以上、たくさん質問してしまってすみません。お時間あるときに よろしくお願い致します。


Re:自殺
[1] Luke( … 回) 2007/01/27/Sat/10:07 (No.188)

  こんにちわ。

そうですね、いのちを殺すことは明確に禁じられています。自殺は加害者と被害者が同一人で成立しますから、もっとも悲劇的な罪です。自殺を正当化する人は、自分のいのちは自分のものだから、どうしようと自由と考えるのでしょうが、いのちは神に由来し、神のものですから、私たちが自由にできません。生と死を決めるのは神であるとありますから。



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