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米国の教会の中でよく問題とされるのが女性とズボンについて。 申命記22:5の節を使い、女性はズボンを履くべきではないと説教します。 それは勿論ズボンは男性だけの着物であるという仮定からきているわけです。 新約で女性の格好について述べてある節は1テモテ2:9−10ですが、それでもズボンはつつましい身なりではないと決断しているわけです。 キリストを信じて 旧約のリーガリズムにはもう束縛されてはいないはずですが、女性がズボンを履くことを主はいみきらわれているなどというわけです。 日本のキリスト教会の中でもこんな問題はでてくるのですか? それともこれは米国ならではの教会内での問題でしょうか。 1テモテ2:9−10に述べてある意味は 10節に書かれているとおり、外見の格好をどうするかではなく、”よい行いを自分の飾り”とするべきであることを主張していると思うのですが、なぜかこの節を使ってキリスタンとしてどんな格好をすべきかなど、律法として使われているように感じます。 先生から女性とズボンに対して説明していただけないでしょうか。 |