最近の日記

やっと・・・

わが部屋の片づけが8割方できました・・・。ここに至るまで、かなりつらかった・・・。でもね、けっこう気持ちがイイ♪

PCはXPを再インストールして、何とか安定しているかと思っていたら、今日また突然ブルー画面が出てダウン。何かのドライバがミスマッチしているらしいが、分からない。嗚呼、欝だ・・・。

 人生、勇気が必要だ。
 くじけりゃ、誰かが先に行く。
 歩いて行くんだ、しっかりと。
 自分の道を、さあ、歩め・・・と。

水戸黄門って、けっこう聖書的!?

 * * *

日銀の量的緩和策が転換期を迎えている。CPIの具合で4月にもこれを解除するらしい。すでに金利はそれを織り込んでじわじわと上昇してきている。日銀は低金利策を堅持すると言っているが。すると住宅ローンにも反映されるわけで、私もこの6月の金利見直しが気になるところ。国債は下がるわけで、すでに未消化分が出ている。これで郵貯が自由化され、350兆がアメリカに流れるならば、誰が引き受けるのか?1300兆の個人資産に匹敵する借金が積み上がっているわけで、オイルも確実に上がっており、貿易黒字も減少している。さあ、ニッポンの舵取りはどっちに向かうでしょう?ここしばらくはちょっと目が離せません。

信じることとは?

昨日のようなことを語ると、また質問が来るのですね、「私は自分が本当に信じているかどうか、分からないのです。どうしたらわかるのですか?」。嗚呼、もうアカン・・・涙。

使徒信条を「一、われは・・・を信ず・・・;二、・・・」とやったところで、それは信仰ではない。それは教義だから。実際、正教からすれば、プロテスタントも異端であって、プロテスタントの使徒信条は認めていないわけですから。再建主義からすると私はクリスチャンではないわけで・・・。

では、クリスチャンって何なの?信仰は頭で一連の体系化された神学や○○信条を信じることではありません。その「方」とひとつになることです。英語では"believe"と"believe into"とありますが、前者は対象を客観的に信じること。後者は対象とひとつになってしまうこと(into)。

「私は何をすべきか」とか「私は信じているのだろうか」と問いを発したときに、すでにその「方」を対象化(客観化)している。森の中に入ったら、その森自体は見えません。見えるのは1本1本の木々です。森の中にいて、果たして自分は森の中にいるのだろうか、と誰も問いませんよね。そのようなオツムのグルグル回りに客観的な回答を得ようとして、不毛な努力に陥る人があまりにも多い。

主は私たちのうちにおられ、私たちは主のうちにおり、こうして父と子がひとつであるように、私たちもひとつになること。これが信仰。そして信じた者は自らのわざをやめて安息に入る、ピリオド。アーメン。

はい、以上で質問は打ち切りです!

ご紹介-「事」ではなく「方」-

私がある意味でウンザリしていることは、「クリスチャンとして私は何をすればよいですか。自分は何をすべきか祈ってもよく分からないのです」と言う問いである。私は率直に言って、こう思っている:「私はあなたの主ではないから、私に分かるわけないでしょう」。

きょうemiさんのBlogを拝見したら、ホッとすることが書かれてあった。実にうれしくなりますね。「神の御旨を行うために、私たちは何をすればよいですか」と尋ねる弟子たちに、主は「神が遣わされた者を信じることだ」と答えられました。

「私は何をすべきですか?」との問いには実は自己が隠されている。自己を受け入れ、自己を認めてもらいたいと言う動機が巧妙に隠れている。自己から解かれることをメッセージすると、「どうしたら私は自己から解かれるのでしょうか」と尋ねられ、そろそろめげて来ていたので、ほんと励まされます:

              −源へ−

何かのメッセージがあった時、私たちの反応として、「では、私は何をすればよいのか。」という問いは、ある意味、見当違いなのでは、と思う。間違いではないとしても、かなり遠回りであり、ともすると、そこからでは目的地へは着かないかもしれない。

そのメッセージの源である方を知り、愛し、その思いを知りたい、似た者になりたい、という方向に導かれない限り、すべては応用不可能なバラバラな事柄であり、そこからどんな実が得られるのだろう。

(中略)

御言葉を読むとき、その中に自分のなすべきことを探す以上に、書かれたお方を探したいと思う。

民主党の行方

おぼっちゃまたちなんです。東大出て、大蔵省からすっと政治家になった人は、要するに人が良すぎるわけです。ニッポン政治界は一筋縄ではいきませんし、道理や高邁な理想で動くわけでもありません。これはニッポンキリスト教界も同じ。真理や神の御旨で動いているのではありません。裏と言うか、実際に動かしているダイナミクスは何だか同じのような・・・。私も永田氏とけっこう同じようなものでして、このギョウカイではとてもではないが、やれません、としみじみ。

Commented by Luke 2006年03月01日(水)12:01

自己レスです・・・。

しかしこんなことで本質的な話がすぐどこかへ飛んでしまうわけで。この気に誰かがほくそえんでいるような・・・。世間の目もマスコミも一方へと流れてしまうのはいつものこと。一人くらい別のことを語らないだろうか。

Commented by ジャーナリストA 2006年03月01日(水)16:02

もしこれがダマシだとしても、元ジャーナリストなる人物がどんな動機でしかけたのかが分かりませんね。単なる悪戯か、お子様的民主党を落とすためか。まさか4点セットで苦境に立たされていた与党側の策ではないとは思いますが。それにしましても、私たちの老後に希望はあるのでしょうか?

キリスト教界って・・・

BBSで正教と福音派の対話をご紹介いただきまして、私もざっと目を通してみました。とても面白かったのですが、困ったことは、ICHIROさんも言っておられますが、用語がよく分からない。「奥義」を「機密」としていたり、「聖霊」を「聖神」としていたり、人名も発音が相当に違っています。

まあ、それらのテクニカルな部分はおいといても、自分たちは使徒直伝の正統な教会(オーソドクス)であり、福音派は1500年以降に出たものであって、初めから存在していなかったではないか、と。さらには、私たちから見るとカトリックとどこが違うのかもよく分かりませんが(聖霊の発出処が問題らしいですが)、カトリックは邪教的なものを入れて異端化していると。これは逆も言えるわけでして、正教のいわゆる聖伝なるものが何なのか、私たちには異物混入と感じられて、カトリックとあまり変わりないではないかと思えてしまうわけです。

BBSにも書きましたが、一言でまとめれば、カトリックは「自分たちはもっとも普遍の教会である」と、正教は「自分たちはもっとも使徒伝承の教会である」とし、福音派は「自分たちはもっとも聖書信仰の教会である」とするわけで、さらに聖霊派が出てきて、「自分たちは聖霊を知っている教会である」とし、これがまた異言をめぐってペンテコステとカリスマがあるわけです。さらに再建主義なるものが出てきてモーセ律法で教会を再建すると、さらにそれぞれの中は細かく分かれ、互いに相手を異端・カルトとレッテルを張り合っているわけで・・・。

私などもカルト教祖にされたり、ヒューマニストであってクリスチャンではないと断罪されたり、異端だとのラベルを貼られたりと、ニッポンキリスト教と関わってからと言うもの、目が点になるめくるめくような経験をたくさんすることができたわけですが(汗)、改めて、いやあ、一言、何なの、キリスト教界って?

主は言われたはずです:

わたしは、もはや世にはいません。・・・わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。・・・父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。

世が神を知ることは、しるし・不思議でも、立派な"油注ぎの器"でもなく、ひとつであることによると書いてあるのですが・・・。それは教義や実行の一致ではありません。いのちを知ることです。なにぶん私などは悲観主義ですから、クリスチャンメディアなどが"リバイバル"の音頭を取ったり、アメリカあたりの立派な"預言者"たちが"大リバイバル"のラッパを吹けば吹くほど、遠ざかりたくなります。彼らは果たして何を求めているわけ?

聖書はいのちの書ですが、文字で触れるとキリストの体をバラバラにするもののようです。霊は人を生かし、文字は殺す、とあるとおりです。私的にはキリスト教界を離れて、この世で主と静かに交わることにしましょう。

キョウビの若い娘ときたら・・・

最近の若い娘さんは包丁の持ち方も知らず、下手をするとハサミで野菜を刻む輩もおるようです。親の顔が見てみたい・・・と、少々憤慨しておりましたら、うちの長女の話。「あのね、パパ。今日J大学病院の実習で栄養教室の先生に缶詰を開けといて、っていわれたの。でもあたし、缶切りどうやって持ったらいいか分からなくて、開けられなかった。先生が呆れたよ。ははは・・・」。いましたね、キョウビの育て方を間違った親が、ここに・・・(^^;A

Commented by 悩める外科医 2006年02月28日(火)10:15

 私には中一の娘が与えられていますが、現在反抗期で困っています.
 2学期の期末試験は名前から解答まで;答案全部を平仮名で書いて、科目によっては0点を貰ってきました.
 担任の先生に反感を持っており(先生はダブルスタンダードで裁くと言っています)、また、特に母親(my wife)に対して、暴言を吐くので、父親として黙って聞いている事が出来なくて、つい、激しい言葉で叱責したり、場合によっては拳骨で頭を叩いたり、平手で頬を叩いたりする事もあります.
 そうかと思うと、座っている私の膝の上に座って来たりと、アンビバレンツな態度をとるので、どう対処して良いのか戸惑います.
 私は男兄弟で生まれ育ったので、女性は妻しか知りません.反抗期は自我が発達する大切な時期である事は認識しておりますが、どうしたらこの時期を乗り越えて、ルーク先生のような父娘関係が築けるのでしょうか?お薦めの書籍等がありましたら是非ご紹介下さいませ.
 ご多忙中恐れ入りますが、宜しくお願い致します.

Commented by Luke 2006年02月28日(火)18:17

うちの子も中学時代は髪の毛を金髪にして、礼拝に出席して(ミッションだったので)、学校から文書で指導されたこともありますよ^^私は「学校の先生との付き合いは適当にかわせ」と言っておきましたが。彼女たちはそれぞれにどこに真実があるかを判断しているわけで、あまりイロイロと押し付けはしませんで、一緒に温泉やキャンプで遊ぶことを心がけたくらいですね。ただ私に逆らうときは平手で張りましたが。ニッポンキリスト教界のいわゆるCSなんてものはご遠慮でした。大学もミッションですが、それぞれにバイトや部活などに忙しく打ち込んでいます。

Commented by 悩める外科医 2006年03月01日(水)06:27

 おはようございます.
ルーク先生ご教示ありがとうございます.
>「学校の先生との付き合いは適当にかわせ」
>彼女たちはそれぞれにどこに真実があるかを判断している
>あまりイロイロと押し付けはしません
>一緒に温泉やキャンプで遊ぶことを心がけたくらい
 大変参考になりました.私は、短気な外科医で、横ビンタを張ったり、病院でも、お怒りを爆発させたりと、柔和なクリスチャン像からは程遠い存在ですから、子どもに暴力を振るった後は、暫らく自己嫌悪に陥り、しかし、箴言の「鞭を控えてはならない」のみ言葉に立って、自己正当化をしたりと、少々気持ちが揺れ動いておりましたが、先生のアドバイスに励まされて、一歩退いた位置から、娘を「真実を捜し求めている存在」として、少し客観的に見つめてみようと思います.
 昨夜は、3学期の期末試験が終わった娘と一緒に、近所のスーパーまで、娘のヘアスプレーや意味不明の物を購入しに出かけることが出来ました.道すがら、『学校の先生との付き合いは適当にかわせ』とアドバイスすることが出来ました.本当にありがとうございました.これからも宜しくお願い致します.

Commented by tzTonちゃん 2006年03月01日(水)18:03

家族というものは、実に不思議な存在で本気で私を怒らせることが出来ます。
私自身は教育者や、カウンセラーでもないのですから自分なりの経験だけ書かせて頂きます。
自分の子供といえど、「人の心は深い井戸のようだ」の通り知り尽くすことは出来ませんね私は。時々自分自身でも自分が不安になるときもあります。
怒った後など自分が恐かったです。自分が何をしでかすか不安な時もありました。
とにかく子供の理解できない行動は何かしらのサインにはちがいないんですね。
私の妻に暴言を吐いてる子供を見るとほっておくことが実に難しいのですが、実はパターンがあり、この時(たとえば朝学校へ行くとき機嫌が悪いのは実は母親と全く関係の無い事で不安に感じていることを単に母にぶつけているだけ)はこうだとか。よく見ることです。
親にしてみれば、こんなにしてやっているのにおまえは何だと思いたくなりがちでしょうが。
相手は体こそ大きくなっても、子供で向こうも「どうか私を育ててください」とお願いした訳でもないのですから、
むしろ育てさせていただいていると思って冷静になること、感情をぶつけ合うことはあっても1年に一度以上はないでしょう。
なにせ今の年代の娘にとっては「おやじ」とはこの世の有りとあらゆるモノの嫌なモノの総称なのですから、覚悟して取りかかるべきでしょうね。
家出も覚悟しておかれることも必要かも知れませんね。
わかっていても、しょうがないときもあります。
理屈や言葉でいくら説明しても無理なときがあります。

親としては女の子なので性的な事に流れるとおろおろしがちですが、常に「たとえ何があっても私たちはあなたを愛している」と送り続ける事が大切ですね。
子供達の理解できない行動によって親にさせて頂いている、また、父なる方のすごさが少し見えてきます。
奥様と良くコミニュケーションを取ってこんな時は君がひどくなっていても横目でみてるからね!とか、十分時間をとってください。

Commented by Sky URL2006年03月02日(木)00:39

(横レス失礼します。)
悩める外科医 さん、初めまして。(いちおう、内科医です。)こちらも、高2と中3の娘がいますので、お気持ちお察しします。
私も、以前、子育てで悩んだ時がありました。そして、あるとき、ハッと気付きました。

「子育てをする上で、最も大切なことは、イエスの言われた『全ての行ないの第一のいましめ』である『(親自身がまず)心をつくし、精神をつくして、神を愛する事』ではないだろうか。
そして、さらに、親自身が、最近よく耳にするゴスペルのように、自分が神に愛されるために生まれた事を感謝しつつ生きることではないだろうか」・・と。

(それ以来、子育ての大切な基礎を得たようで、今のところは、変に迷う事がほとんどなくなりました。)

今回、ルーク先生が「彼女たちはそれぞれにどこに真実があるかを判断しているわけで」とおっしゃっていますが、私は、子供が「自分の親が、神を心をつくして愛するような、真実な信仰を持っているかどうか」をよく見ているように思えるのです。
そして、子供は、「それ」を見て、育っていくように思います。
(いわゆる、親の背中を見て育つ、という事ですが・・。)

・・・ひとこと、自戒の気持ちと共に、書かせて頂きました。ご参考までに・・。

(追伸:「病院でも、お怒りを爆発させたりと、柔和なクリスチャン像からは程遠い存在ですから」・・・これをお聞きして、(自分だけではなかったと?)何か安心しました。^^)

Commented by 悩める外科医 2006年03月02日(木)08:20

 tzTonさま、Skyさま、アドバイスありがとうございます.Skyさまは、青い空のHP;新潟の先生でしょうか?先輩方のアドバイス、本当に励まされます.妻とともに毎日のように娘のことで話あっていますし、妻は私以上に悩んで、母教会の牧師夫人に長距離電話をかけて相談しています.
 娘は、今朝も、自分が目覚ましで起床出来なかった事を棚に上げて、「時間が無い、ノートが見つからない、時間割をしていない、間に合わない・・・」と、妻に当り散らしていましたが、私が声と手を上げる気配を漂わせたら、妻は目配せで私を制止しました.今朝6:55に入院患者のSterbenがあり、早々に出勤しましたので、その後は知りませんが・・・今病院のPCから書き込みをしています・・・時々epigastralgiaがあり、アルロイドGのお世話になっている始末です.
詩篇86篇11節:
主よ。あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。
箴言3章6節:
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

 子育てにおいても、み言葉に従って歩みたいと願う愚かな父親です.
PS.自分だけではなかったと…ホッとしました.(笑

手放すこと

フィギュアを見ていて感じたのは、スルツカヤなどは荒川のことを意識して練習していたが、荒川はひたすら自分のものを出し切ることだけに集中していた。自分と対峙していた。彼女自身、天才少女と言われて、人に流されていた自分から一歩を踏み出したと言っている。あの練習風景を見ていても、荒川が勝っていたことが分かる。

本番でも他人のスコアを聞かないようにヘッドフォンをしていたが、これで彼女は心を騒がせることがなかった。人を一切寄せ付けない中で、ただ演技に没頭した。結局勝負は人ではないこと、自分と対峙し、自分の何かを十分に注ぎ出せるかどうか、これがすべて。自分に対して自分がどう関わるか。相手は自分なのだ。

クリスチャンも同じ。人と比べ、自分の不遇を嘆き、人の責任を問い、神と人からただ受けようとし、自分の満足だけを求め、自分は決して損をしたくない、傷を受けたくない。これが現今のキリスト者の貧しさ。物や人や神を消費するだけのキリスト者。前に花見酒の経済の話をしたが、互いに互いの資産を食い潰すだけになっている。

その中心にあるのは、強烈なエネルギーを蓄積した自己(Self)。「明け渡し」も自己責任を負いたくないところは「あなた任せ」、自分のものとしていたいところはけっして手放さない。かくして問題を抱え、あくまでも神と人の責任を問い続け、消耗する。自分を省みて、自分を手放せば、よほど楽になれるのにと思うのだが。

表情台の荒川はただ金を取っただけの輝きではなく、自分から解かれた解放感を漂わせており、ほんとうに美しかった。

荒川静香の舞い

実に美しかった。日本女性もここまで来たかと。コーエンやスルツカヤにまったく遜色なく、むしろ彼女たちを圧倒するオーラがありました。鶴のような気高さを感じますね。感動をありがとう、と言いたいです。

(影の声:同じ静香でもK氏とはえらく違うなとか、ふと思ってしまった・・・)

村主はミスはなく、表現も豊かだったが、伸びというかダイナミクスさがいま一だったか。2,3位は転んでいるのに、彼女たちに勝てなかった。

美姫ちゃんは4回転失敗で、後は頭が真っ白になってしまったようですが、観客が「ありがとう!」と励ましていた光景にも感動でした。こういった高貴な交流は人を生かしますね。キリスト教界ではあまり見られない人と人の関わりです。彼女は精神的な不安定さがありますから、あまり期待したり追い詰めると、プッツンする可能性があります。拒食症や過食症などになり得ます。彼女のペースで成長させてあげたいです。

サーバー不調のため

本日のメッセージとワーシップのWeb上での公開ができません。あすまでお待ちください。FTPサーバーは正常ですので、そちらからはダウンロード可能です。FTPクライエントで次のユーザー名とパスワードで入ってください:

アドレス: kingdomfellowship.com
ユーザー名:common
パスワード:kfc

なお、ファイアウォールを通過できないときは、passive modeにして下さい。詳細は、メニュの「公開FTP」のお知らせをご覧ください。

やらねばと思いつつ・・・

わが部屋を片付けないと、と思いつつ、つい先延ばしだ。それも新しく作ったAthron64ビットのPCがエラーでクラッシュするので、何とかしようと2週間ほどもがいているが、Microsoftのデータベースにもfix法がない。これが尾を引いて次のことに手が出ない(と言い訳をしている)。しかし、いつクラッシュするかハラハラしながらPCに向かうのも何とも不安感がつきまとって気持ちがよくないもの。64ビットCPUはまだ不安定ということだろうか?ビデオなどの編集に特化しようと考えているのだが。

 * * *

花粉症がそろそろ・・・・。年中行事のはじまり。

Commented by ブヒ Eメール 2006年02月25日(土)08:38

ルークさん、おはようございます!!

>ビデオなどの編集に特化しようと考えているのだが。

これはセレブレーションも検討されてると云う事でしょうか・・・?
そうであれば、家庭集会にとても助かるのでものすごく嬉しいです!!
成功を祈ってます〜!!!

Commented by Luke 2006年02月26日(日)18:01

サーバがダウンしており、レスが遅れました。ビデオはそうですね、今の回線だと無理かな?何しろADSLで5Mくらいしか出ていませんから。光ファイバーが入る建物に引っ越せたら検討します。

GOT IT !

今朝はなぜか5時代に目が覚めて、フィギュアを見てしまいました。安藤は4回転失敗。荒川は欧米の選手と比べても身体も貫禄も遜色なく、ある種の風格がありました。向こうではアジアン・ビューティとされたようですが、演技も感動もの。あまり感情も出さず、淡々としているところがまたいい。で、金。たったひとつのメダルが金というのもカッコいい。

幼児洗礼の必要性?

驚きました。再建主義の富井氏によると、「新約時代の割礼である幼児洗礼を実行しなければならない」のだそうです。モーセ律法では誕生後8日目に割礼をしましたが、新約の「割礼」は幼児洗礼であると・・・。

かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。

マリアの処女懐胎を、ローマ兵によるレイプを婉曲に表現したのだとする某大教団の牧師の説を読みましたが、このギョウカイ、私の知らない世界がまだまだ相当にあるようです。

クリスチャンvs田舎の親父

救世軍の山谷さんのBlog(2月19日)に実に面白い見解があったので、ご紹介します。私の「言いたい事」を実に的確に指摘されています。

「核家族の中で、生きる能力も、物を作る能力も、もてなす能力も、隣人を受け入れる心の度量も、ほとんどあるかないかまでに削り取られ、やせ細させられて、自分の生活のことだけできゅうきゅうとし、関心事と言えば『物』を消費し『神』を消費する以外になんにもない、という現今のキリスト者」

自分(Self)がすべてのスタートにしてゴールである現在のキリスト者が、「『神』を消費している」と言う指摘はきわめて深刻な問題です。ここに様々のいわゆる「ミニストリー」や「メディア」や「先生」が商売する隙があります。これは「リバ新」の社長にも言ったことがありますが、真にひとりひとりが神の前に立てるようになったら、あなたがたは失業するでしょう、と。私たちの度量(キャパシティ)が問われているわけです。

だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。・・・人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。

どうする民主党

前原さんから何も出なかった・・・。やや失望。時間稼ぎをしているのかな?しかしこれでこけると、本当にあるかも知れない政治家との関係の追求の腰が折れてしまう。もし誰かがそれを企んで、このメールで民主党をはめたとすると、これはなかなか・・・。罠は、それと分かっていても入り行く必要のある場合と(昨日の映画のように)、絶対はまってはならない場合があります。民主党が隠し玉をもって、形勢不利を演じているならば、これもなかなか、ですが。

いずれにしろ、ライブドア事件は深いことは間違いない。これだけのスイスや香港にまで及ぶ金融操作を、学生サークルのノリの連中だけでこなせるわけがない。ラビ・バトラの指摘のとおり、裏に国際的フィクサーがいることは間違いないのだが。パンドラの箱は開かないまま終わるのか?

Commented by Luke 2006年02月23日(木)22:56

民主党は武部氏の次男の海外口座におけるかなりの額の金の流れをつかんでいたらしい。が、今回の件で政治的追及はできなくなったとのこと。
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/business/takahumi_horie.html?d=20060223hochi038&cat=60&typ=t

ニュースステーションでもレポートされていましたが、スイスや南米の島での架空会社によるマネーロンダリングなど、どう見てもホリエモンたちだけでできそうもない大掛かりな仕掛けができているようです。