放言

ふたつの裁判

ひとつはホリエモン裁判。結審法廷で涙の検察批判。無罪を訴える。株式総会でも泣いたが、なかなかの役者やの〜。これが有罪にならなかったら、日本の将来は暗い。村上ファンドも同じ。「私の自由勝手さ」と言う同じ臭いを醸す「2ちゃんねる」だのが蔓延すれば、どんどん日本社会の基礎が侵食されるだけ。

ひとつは胎盤剥離のオペで患者を死なせた医師の裁判(前にも書いたが)。彼の逮捕以降、出産を扱う病院がどんどん減っている。遺族は「絶対許さない。厳しい裁きを望む」とのこと。私怨が社会の利益を損なう。私はこの医師に大いに同情する。そしてあえて言おう、こんなことでこの医師が刑事で有罪になるとしたら、診療せざるにしかず。結局首を絞めるのは患者自身。軽率な誤診事例とはまったく違うのだ!

ムキになる対象と時を誤っているのだ。ちなみに藤田東吾氏の訴えでついにAPAの偽装が発覚。彼も告発者としてさんざんに傷を受けたが、彼は正しいのだ。こういった人物を別件で罰する司法は大丈夫だろうか。罰する対象と時を誤っているのだ。

しかし司法も立法も行政も結局は国民を写す鏡。国家は国民を超えることは絶対できない。あの『国家の品格』の藤原氏が、「日本の最大の敵は政治家でも官僚でもなく、国民自身である」と言っていたが、けだし明言。国民は自らの決断と撒いた物を刈り取る。これが法則。ニッポンは刈り取りの時期に来ているのでしょう。ついでにニッポンンキリスト教も。牧師は信徒を写す鏡ですから・・・。

人格障害と言う生き方(2)

人格障害者の特徴として、他者から受容されたいと言う願望と他者からの拒絶を自ら招く行動と言うアンビバレンツな要素があることを指摘したが、この心理は「2ちゃんねる」あたりのキャラを診ていると実によく分かる。彼らは他者に不快感を与え、他者から拒絶され嫌われるキャラほど、目立ったキャラ、あるいはその場を支配する「神」として君臨できるようだ。自分の主張を認めさせないように、しかし無理やり相手をねじ伏せるためにエネルギーを空転しているのだ。

例えばこのアンビバレンツ性のひとつの際立った現れとして、自分が擁護したい対象は「2ちゃんねる」などを見ていないと言う主張がある。今回も「クリスチャン・トゥデイ」の高柳社長をなぜか必死で擁護する面々がいるわけだが、彼らの主張は、救世軍の山谷少佐は妄想者であり、彼を擁護する人々が「2ちゃんねる」で各種工作を必死にしているが(「空詐話」もそのひとりだそうだが、実にうまい当て字だ・・・笑)、CT側は余裕の構えで、まったく相手にしてなどいないと言う弁護が見られる(苦笑)。

ここに実に面白い乖離と言うか矛盾があることにお気づきだろうか。自分は「2ちゃんねる」においてCTを必死に擁護しているわけだが、その擁護の対象は「2ちゃんねる」などは鼻にも引っ掛けていないと言うわけ。見事に少佐に対する加虐性が、実は自虐性の合わせ鏡になっている。そこで賢明に自己主張しつつも、彼ら自身の言葉、「所詮2ちゃんねるだ」によって自己疎外している。自分は決して熱くなっていないが、相手はなっている、相手は必死だと、自分自身が必死になっているわけで(笑)。かくして下に書いた人格障害の病理が、そのまんま現れている。鏡の中の自分に向かって延々と攻撃をしているわけだ。

今回山谷さんの件でずっとフォローしてきたが、どうもこの「2ちゃんねる」なる場は病理の共有体として、それ自体がひとつの病理的人格を構成しつつあるような印象を受ける。一説によると管理人のひろゆきの母親は在日であると言う。もしこれが事実であるならば、ひろゆきは日本社会におけるネガティヴな要素をその意志によらず不条理にも引き受けてきたのではなかろうか。彼の根底には他者から拒絶される痛みが横たわっている。その恨みあるいは憤りを、表面的にはへらへらと軽いノリで、「2ちゃんねる」なる場で晴らしているような感じを受ける。

表面上「へらへら」、あるいは「軽いノリ」、あるいは「おちゃらかし」、あるいは「皮肉屋な態度」を取る人では、心の奥深くに癒されていない深い傷あるいは深刻な挫折感を隠し持っている場合が多いのだ。それに直面するだけで、自己存在が脅かされるような・・・。これを反動形成と言うが、まじめさとか、真実さとか、一生懸命さをあざ笑い、貶める人たちに共通する病理である。

もっと言えば、彼は日本社会に対する復讐をしているのだ。日本人のモラルを日本人自身が失う場を提供することによって、内部から腐れを起こさせる。誹謗中傷を書いた本人のIPなどを提出することを頑なに拒み、自身が訴えられ、多額の賠償金を要求されても、なお継続すると言う根性は実にたいしたものだ。「裁判には、まぁ、ヒマだったら行く」、「(裁判に)勝とうが負けようが、(賠償金を)払わなければ一緒」とうそぶく彼の心のルーツはどこか。何ゆえそこまで張っている必要があるのか。彼は関連企業から1億以上の収入を得ているようだが、金に対してわりと淡白な印象を受ける。金をヒラヒラさせ、むしろ人々を挑発する道具としているのだろう。

彼の真の動機は日本社会への復讐にあると思える。彼の深層心理においては、自分は加害者ではなく、あくまでも被害者なのだ。だから「2ちゃんねる」で自殺者が出ようと、プライバシーが暴かれて人生の破綻を招く人が出ようと、彼の良心は決して痛むことはない。これは英国の売春婦連続殺人事件の犯人と共通する心理であろう。加えて「2ちゃんねる」は所詮遊びの場だから、まじめに批判などする者たちはオトナではなく、オトナであればさらっと流すべきだとして煙幕を貼りつつ、実質的犯罪行為がまかり通っている。「必死」になってはならないのだ。しかし最近ではマスコミも表立って批判を開始したようだ。

あの爬虫類のようにヌメッとして、すべてをジョーダンと化し、ヘラヘラっと流すあの場の空気は、まさにひろゆきの人格の拡張あるいは肥大化である。もっと言えば、人々の心の深層に横たわる「邪悪」を非常に巧妙に引き出し、それを良心の呵責なく表現し得る場であり、その集合的無意識の共有体として、ひとつの人格を構成しつつあると言える。よってひろゆきと同じように、果たせなかった挫折感の解消や鬱屈した復讐をしたい人にとっては格好の場なのだ。

ニッポンをひとりの人として見たとき、分裂する自己の病理の現れとして歴史を論じたのが岸田秀氏であったが、その乖離性を有するニッポン自身が人格障害を抱えているわけ。その病理性がひろゆきの動機とピッタリはまって、乖離したニッポンのもうひとつの病理的人格として現れているのが「2ちゃんねる」であろう。悪魔は実に便利なツールを獲得したものだ。私たちは主イエスの御名によって対峙しよう。

イギリスの連続殺人事件

の容疑者が逮捕された(→記事)。この男、おそらく母親あたりから性的虐待を受けており、しかもその母親がソノ仕事をしていたのではなかろうか。あるいは父親から虐待を受けており、その父親はそのスジの女に入れ込んでいた。まあ、相手は誰か、経緯はどうか、もちろんこれは調べを待つ必要があるが、たいていこのようなケースでは被虐待経験を有しているものだ。つまり彼にあっては"正義"の鉄槌を下したに過ぎないのだ。

ニッポンキリスト教界の陰謀・・・

どうも『クリスチャン・トゥデイ』側は、韓国で購読数ナンバー・ワンの同紙の日本支社を開設したところ(注)、日本の既成のキリスト教関係新聞社のどなたかが、新参者の進出を阻むために、救世軍山谷少佐を先導して、CTに関する根拠のないデマをBlogで飛ばしている、それに加担しているのがDr.Lukeだ、と主張しているようですね。これはスゴイ陰謀だ、確かに(笑)。実はCTの記者矢田氏が私に同じようなことを語っておりました。しかも実際にその新聞社を名指しの上で!(ここでは書けませんが・・・)。CT側の「ムネ」氏(編集長らしい)がその日記でも、日本のキリスト教界に対するサイバーテロを山谷さんが仕掛けていると主張しています。まさに昨日の映画『アンノウン』を地で行っております。

(注)これはCTの記者矢田氏の私に対する説明と食い違っています。詳細はいずれ。

さあ、皆さん、この騒動をどのように評価されますでしょうか、一般社会人のコモンセンス的には?

・・・というか、もう十分ですね^^なお、専門用語では「パラノイド」と言います。自己診断したい方はコチラを(読んでいるだけで面白いですよ^^)

日本経済新聞(2006.07.01)「大機小機」

<引用開始>
フォーワードルッキングな金融政策

 量的緩和政策が解除されてからほぼ四カ月が経過した。この間、日本経済は順調に拡大を続け、好調な企業収益が賃金や雇用の増加に反映し始めている。こうした状況は、日銀が四月末に公表した「展望リポート」に沿っているといえよう。従って、ゼロ金利から脱却し、経済状況にあわせて金利が「ゆっくり、小刻み」に変動する姿に戻るのもそう遠くはないと考えられる。
 ただし、ゼロ金利解除後の政策運営は極めて難しい環境下で行われることとなる。すなわち世界経済・市揚が従来にない高スピードで変貌していること、国内でも需給ギャップに対する物価の感応度低下に象徴されるように、景気判断に用いられる主要経済指標相互の感応度が異なってきていること、回帰方程式のような経験科学的手法に基づいた予測手段が十分な有効性を発揮できなくなっていることなどである。
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冒涜の叫び

前から気になっているサイトがある。在日ドイツ人のサイトですが、内容はあらゆる権威を拒否するアナーキズムと反聖書的発言に満ちています。歴史的キリスト教がいかに狂信に走って、大量殺人をし、人々を蹂躙してきたか、聖書の神はいかに残忍非道であり、人を人と思わぬ残虐な神であるか、彼は切実なまでに書き連ねている。この人の写真の目を見ると、なんとも言えない孤独感を漂わせている。

私はこのような叫びに触れると、反キリストの霊につかれているとか批難する前に、うめきを覚えてしまう。この方は目に見えるキリスト教によっていかに深い傷を受けてこられたか、と・・・。「お茶ら化し」に対してはむしろ気が楽である。責任は彼らにあり、彼らが自身が自分の言葉の実を刈るだけ。ところがこのサイトにはある種の真実の叫びがあるのだ。もちろん彼の神観には同意できないが、そのような神観をいだかされてしまった彼の人生を思うとき、かなり深刻な気分になる。なぜなら私もキリスト教は大嫌いであるから。

が、幸いなことは、主イエスは、そして父なる神は、また聖霊は、私にとっては大いなる慰めであり、希望であり、そして愛なる方なのだ。もちろん神は義であるから厳しさもあるが。願わくは、このドイツ人の方も、このようなイエスを知り、このような慈愛と憐れみに満ちた父を知って欲しいと願うだけである。(多分、このような境遇にある人々は相当に多いのだと思う。)

YAZAWAの真実

下の記事を書いていて思い出したのですが、予備校の同僚に大のYAZAWAファンがいるのです。彼が九州に出講したときのこと、博多の某高級ホテルに泊まり、そこのトレーニングルームに入ったんですね。

すると何とそこにYAZAWAが臨在(?)されたわけ。舞い上がった彼はYAZAWAの隣にポジションを取って、緊張しつつも何気に「自分はあなたのファンです」と、話しかけたそうです。するとYAZAWAの応答が「ええ、そうですか。人間、努力をやめたらおしまいっすよ・・・」と、極めて遜った丁寧な言葉で、その人生哲学を語ってくれ、最後に彼に対して握手をし、腰を曲げてお辞儀して去って行ったという次第。これで彼はまたまたYAZAWAが好きになってしまったそうです。あのYAZAWAがホテルに宿泊中はトレニーングに励み、一介の教師に話しかけてくれるなんて・・・。
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杉村太蔵クン、ガンバレ!

いや〜、君の出現は新鮮だった。若かりし頃の森田健作を彷彿としてね。謝罪会見もグッと堪えてえらかった。ただね、歳費を200万ももらっちゃうとね・・・。耐え難きを耐え、忍び難きを忍びと。こうやって器を大きくして行くんだ。YAZAWAみたくビッグになるんだ。応援してるぜ!だからさ、そこんとこ、ヨ・ロ・シ・ク!

小泉流はメガ予備校方式

今回の彼の手法はまことにアッパレであるが、一抹の違和感を消せないでいた。これは何だろうと思い巡らせていたところ、そうだ、メガ予備校方式だと気づいた。

メガ予備校では生徒を集めて何ぼの世界、「日々是決算」なわけで、畢竟、実力と言うよりは見栄えとか花のある無しで起用が決まる。いくら数学で○○賞を取れても、生徒にアピールしないとダメ。
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民営化の是非

日曜日は何故か教会などを始めてしまったためにけっこういそがしい。しかし午前の「サンデイプロジェクト」は絶対に見ることにしている。今日は全政党の党首が勢揃いでケンケンガクガクやっていた。昔であれば、こんな学級会議みたいな企画に政治家たる者が出ることはなかったであろうに、特に社民党の福島さんなどは発言の機会がなくて、何度も手を上げて「ハイ、ハイ、ハイ」で無視され続けてかわいそう。といっても聞くべきものは何もない。
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世の中のシカケ

原油価格が高騰を続け、ついに70jを突破。車を常用する私的にはキツイものがある。ブッシュの戦争は結局は大義妙分もヤラセであったし、フセインがある意味で気の毒にも思えるほどであるが、この戦争と原油高騰によって確かに誰かが儲けているのだ。

株式投資をしていると、株価の動きがいかに人為的にコントロールされているか、手に取るように分かる。特に仕手株と言われるものはその価格の動きに明らかな意図がある。一般投資家はこの目先の動きに釣られて損をする。

世の動き、さらには歴史は偶然によって動くものではなく、裏に意図がある。この意図を汲み取らない限り、庶民は目先に翻弄されるだけ。それによって誰が得をし、誰が損するのか、世の現象において常にこれを頭において読むと良い。今回のヤラセ選挙も同じ。「国民のため〜」と言う掛け声の裏に、実は誰かがそれ以上に得をするのだ。

聖書預言解釈のフィルターを通してイスラエルの利益のため(と彼らが思い込んでいる)のイラク戦を応援したイスラエル・フリークのクリスチャンたちも、何のことはないブッシュに踊らされただけ。クリスチャンを騙すことは、むしろノンクリスチャンよりも簡単なこと。世において実績を上げた人でも、ニッポンキリスト教にハマルと何故かキレが悪くなって、ナイーブ化し、自分で考え判断することを放棄して、おとなしい羊へと飼い慣らされるのは不思議なことである。

キリスト教という宗教からのExodusが急務なのだ。