最近の日記

悪魔が来たりて・・・

「自分の中に悪魔が入ってきて、女の子を殺してしまった。自分ではなく、悪魔が殺したんだ」と。悪魔は確かに実在しますが、人の責任がある。聖霊派では何でもかんでも「悪霊じゃあ」とやっているようですが、霊的な影響力に自らさらすからなのです。こちらの側につけこまれる何かがあるわけ。

人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。

どうもこのピサロと言う人物は乖離性人格障害あたりだろうと推測される。要する一種の多重人格傾向。人格障害者による犯罪は確かに増加している。この事件の後また少女が刺されたようだが、実にイヤな事件だ。私にも二人の娘がいるが、まだ私たちの子育ての時代はのどかだった。まあ、宮崎勤事件がこの種の犯罪の先駆け的事件だったが。

今後、世においてばかりでなく、キリスト教界の中でも人格障害や精神障害を持つ、しかも病識の欠如した人々によるわけの分からない事件が起きてくると予想しています。いや、もうすでにけっこう起きているのです。「リバイバル」ではなく、「サバイバル」です。

あと、2週間と3日・・・だ

ふう〜、今日もまた終わり。いよいよカウントダウンです。今年の仕事納めは21日。で、22,23日と福島のS兄弟の山小屋に行く予定。その後26,27,28日と伊豆の温泉。そして歳越しと・・・。

しかし、早い。本当に早い。来年は50ですよ!?私は50なんてのは老人だと思っていましたが。いざ自分が迎えることになるとは!

でもね、本人はいまだに学生気分。何せ、いつも接している連中がみな20歳前後ですから、自然と彼らと同一視しているようです。告白しますと、50歳とかの人と接する時には何だか年長者と接するような気分で、気を遣うのです。言葉もつい敬語になってしまいます。以前、子供たちの参観日などに出かけると、何だかやたらとオジサン・オバサンばかりで、圧迫感を覚えたものです。

まあ、確かにGパンとヨットパーカーでさせてもらえる仕事はそうはありません。と言うわけで、私はどこにいても同じなのです。この「素」と言うか、「地」でいられることはけっこう幸いなんですね。「当たり前さ」の祝福です。こんな感じで「その日」まで生きていくんだろうなあ〜。

というわけで、どうもあまり生活感がないらしいのですが、これでも32歳で5,400万の借金をして、自己破産に直面したこともあるのです。ちょうど今の偽造マンションの住民の方々のように、多額のローンだけを背負わされてね。この裁判は8年かかりましたが、主の約束がありましたので、けっこう楽しかったですね。東京駅前でプラカードをぶら下げて、デモもやりましたね。

ちょっとお話しますと、裁判官はけっこう移動があるのですが、途中で変わった裁判官が元司法修習所の所長で、これが偉ぶっているわけ。原告である私たち庶民に対して目一杯威張りくさって、被告の大企業にはペコペコ。で、私はすぐさま彼をプロファイリングして、その弱点が見えましたので、彼に丁重にお手紙を書いたわけ。

で、これがズバリ!次回の期日からわれわれ原告の顔色をチラチラするようになって、最後まで私たちのペースでしたね。偉ぶった人ほど、実は内面の弱さを隠しているのです。そこを突けばコロリです。300億の残債をチャラにして、7億5千万の和解金を取りました。

みなさん、裁判というものは、実は、法廷の外で決まります。そして弁護士を使うなら共産党系の弁護士を。損得勘定抜きで彼らの正義感と情熱はすごいです。彼らには本当に敬意を払いますね。クリスチャンが共産党員に助けてもらったのです。

(なお、念のため、私が書いたのは脅迫状ではありませんよ!)

実に面白い現象

今、お昼休みですが、拝見したところ、富井氏がまた興味深い本の翻訳を紹介されています。「クリスチャンはトーラーを誤解している」という論文ですね。歴史的な考察がなされていて、これはこれでなかなか面白く、参考になりました。

ただね、不思議なのは、「Dr.Luke氏は1m原器である神の言葉を受け入れていない。それはすなわち自分を神より偉大とすることだ。彼はクリスチャンではなく、ヒューマニストだ」と言われるのですけど(ヤレヤレ、どうしてこう空転するのでしょう?)、私的にはどうしてこういった人の書いた論文あるいは神学に基づいて論じる必要があるのでしょうね。御言葉に書いてあるでしょうに、特にローマ書とガラテヤ書に。御言葉に留まっていないのは彼なんですね。

私が批判しているのは1m原器(御言葉)ではなく、1m原器を歪んだ物差しで計っている富井氏を通して見えてくる再建主義なんですね。それはとても御言葉から乖離している。多分他の再建主義の方々も相当に迷惑していると推察しているのですが・・・。自分を神としているのは、むしろ<自分の唱える再建主義=神の言葉>とする富井氏なのです。

私の専門からすると非常に興味をそそられる現象です。でも彼に対しては何と言うか、あまり敵愾心を覚えないのですね。逆になんと言うか、ある種のシンパシを覚えるのです。彼は真剣に私をコキおろしているわけで、あまり悪意が感じられず、むしろ「傷ついた純粋さ」、「痛々しい青さ」(ある方の印象)による悲壮さが感じられるからです。しかし、まあ、永遠のすれ違いでしょう・・・か。

(上の論文は、なぜか、その後削除されました)

民営化の限界

本日で駿台は終了。これで木曜日が空きます。受験生はこれから、私も大学の方は入試で忙しくなるわけ。一方で受験生を大学に入れる仕事を、他方で学生を取る仕事をしていますから、何だか不思議な立場ですね。で、医系予備校あたりでは、裏ルートなどもできてしまうことがあるとかないとか・・・。

審査をされる側とする側が共に同じ利害関係のベクトルを持つと、今般の建築設計書偽造事件になるわけです。この辺が民営化の難点でして、やはり国家でなくてはできない分野があるのです。

ところが再建主義では、(モーセ律法を採用しない)国家はすべからくヒューマニズムの権現ですから(よって、神に敵対する)、例えば、教育なども子供たちを国家に委ねるな、という発想になるのですね。自前でモーセ律法を叩き込むことが彼らの教育の目的です。これがホームスクールやチャーチスクールのルーツです。

しかし民営化で市場原理に基づいて自由競争する領域とそれをけん制する機関が必要なんですね。で、クリスチャンは国家のために祈ると・・・。そもそもこのような国家不要論的思想は果たして聖書的でしょうか?初期の兄弟姉妹はローマ帝国に服していましたよね?また、そうせよ、とパウロは命じています。当時のローマはモーセ律法を採用していましたか?私たちの信仰と良心を犯さない限り、私たちは国家に服するのです。

このように再建主義は「律法をすべての領域に適用せよ」と言いながら、もっとも本質な御言葉を自分が無視していることに気がついていない。「御霊に従えば律法の要求は満たされる」と書いてあるのに!?彼らは自己矛盾です。だから議論がもつれるわけ。しかもそれに気がついていない。病識の欠如は重症です。

すべての権威のルーツは神です。霊的にも、家庭的にも、社会的にも、適切な権威に服することは、私たちの健やかさにとってきわめて重要なファクターです。服していれば、自動的に油が垂れてくるのですから。

見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。

ヒューマニズムについて

再建主義に関してはすでに十分なほどに判断材料が揃ったと思います。それぞれで判断がなされることと期待いたします。

で、ひとつ確認しておきたいのは、Dr.Lukeもヒューマニズムを批判しているが、富井氏はDr.Lukeをヒューマニズムと批判している、どうなっているのだ、とのご質問を受けました。

これは実に面白い論点でして、「ハシ」と言っても、「端」なのか、「橋」なのか、「箸」なのか・・・と言うことなんです。

再建主義では超民族化・普遍化されたモーセ律法を適用される領域が神の御国であって、教会からこの世へとその適用範囲を広げることが御国の拡大なわけです。現在は法的に千年期であり、新天新地であるから、これが実際的にも全地に成就されるときに、主イエスが再臨されるわけです(ポスト・ミレ)。

つまり彼らからすれば、モーセ律法が適用される領域とされない領域しかなく、適用されていない領域がヒューマニズムに冒されている領域になるわけです。そこでは「生まれつきの価値観」に従うわけで、すると獣姦も犯すと言うわけ・・・(言うべき言葉が見つかりません)。お分かりになります?彼らの踏み絵は、「あなたはモーセ律法を受け入れますか、拒否しますか」なんです。

しかし私の言っているヒューマニズムとは、私の十字架の適用を排した「愛」とか、「赦し」とか、さらには「福音」なのです(主の十字架はすでに成就)。十字架とは、すなわち、死と復活の原則です。「最初のものは肉のもの、後から来るものが霊のもの」(1コリント15:45)。この自己の経験的死を経ていないものがヒューマニズムです。

私の言うメルキゼデク系の律法とはいのちの御霊の法則であり、これに従えば自動的にモーセ律法の基準はまっとうされます(ローマ8:4)。これが再建主義者には分からないのですね。何度もWindowsとMS-DOSの関係で説明したのですが。先入観とは恐るべきものです。この法則は十字架、つまり死と復活の原則に従って働くのです。

ポイントはアダム系いのちから、キリスト系いのちへの乗り換えです。私のいう御国の拡大とは、自己ではなく、キリストのいのちの領域の拡大です。だから昨今の砂糖まぶしの「ありのままのあなたでよい」と言った「福音」に対して、私は警鐘を鳴らしているわけです。ご理解いただけましたでしょうか?

Commented by 外科医 2005年11月30日(水)21:59

理解できました.十数年前の話で恐縮です.特伝講師(米沢のある牧師)が、イザヤ書53章「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。」を利用して、「傷ついた人格は、他人を傷つけることでしか癒されません.私たちの傷ついた人格は、イエス・キリストを十字架上で傷つけることで癒されるのです.・・・」と騙っていました.そこには罪の贖いとしての、犠牲としての十字架は全く登場しませんでした.ただただ、心理学的なアプローチで、心の満足を得るために、十字架を利用しているだけでした.神の義が満足されるための贖罪としての十字架ではなく、人間の心が満たされるための十字架です.「オイ!オイ!ちょっと待って.」思わず、言いたくなりましたが、私は、黙って特伝会場から立ち去りました.聞くに堪えないメッセージでした.家内も「聞いていて気持ちが悪くなった」と言っていました.

Commented by Luke 2005年11月30日(水)22:27

>聞いていて気持ちが悪くなった

人は幸いですね・・・。多くの人は気持ち良くなっちゃうというか、されちゃうわけで、まことのいのちへの道は狭いのです。

富井さんもこの辺で問題意識を持たれて、いのちを見出すのではなく、再建主義に入ってしまったのでしょう。彼の叫びを聞いて(読んで)いると、何だか痛々しく感じますよ。彼のために祈りが必要ですね。

CDsの入荷予定

本日英国から連絡が入り、この木曜日(つまり明日)発送する予定とのことでした。それぞれ100セットづつ入荷します。注文は今晩遅くにできるようにセットアップ致します。

Commented by Luke 2005年11月30日(水)21:33

新しいCDの先行注文を受け付けます。【ORDER】ボタンから注文して下さい。発送はしばらくお待ち下さい。

自然人と律法

生まれながらの人、あるいは律法を持たない異邦人については、次のロマ書にある御言葉を見れば明らかですね:

2:14 律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行ないをするばあいは、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。
2:15 彼らはこのようにして、律法の命じる行ないが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。

これが私の言う「生まれつきの価値観」です。霊の残りが人にはあるわけですね。しかしパウロが言うとおり、善(神の基準)を行なう意志はあっても力がない。この力はいのちにより、いのちはいのちの御霊の法則に従って働き、この時、私たちの内に立法の要求が満たされるのです。これが神学の理論ではなく、御言葉そのものの啓示です。

Commented by Luke 2005年11月30日(水)10:59

いま拝見したら、ちょうどグッドタイミングで山谷さんもさらに詳細に論じておられます。

再建主義ウォッチング掲示板
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=makotoyamaya-lj

富井氏の頭の構造はちょっと常人とはかけ離れてきていますね、やれやれ。

Commented by Luke 2005年11月30日(水)11:10

富井さんの方は、聖書の話に心理学者が口を出すな、出すとロクなことにならない!と叫んでいます。自然科学の手法は通じないとおっしゃっていますが、さすがの神学音痴の私も、経験科学と啓示の違いくらいは知っております(「論考集」参照)。この方はどうも自閉症的世界で空転しますね。しかし段々と本質が見えてきました。

ミレニアム掲示板
http://www.path.ne.jp/~robcorp/bbs/wwwboard.cgi

御言葉で語り合うこと

不思議ですね、キリスト教徒って。一般にユダヤ教は「旧約聖書+タルムード」、イスラム教は「旧約聖書+コーラン」、で、キリスト教は「旧約聖書+新約聖書」かと思っていたら、そうではないらしい。時に「+α」があるようだ。そのαがカルバンだったり、アルミニウスだったり、ヘンリー・シーセンだったり、チルトンだったり、ゲイリー・ノースだったり、もっと程度が落ちるとベニー・ヒンだったりするわけ。このαが曲者でして、互いに異端のラベル貼りをする根拠になってしまうわけ。

私的にはなぜ御言葉だけで話し合いができないのか、本当に不思議なんですが。この点、カルバリー・チャペル(日本の「大和」とは関係ないですよ)のチャック・スミスは一番自然と受け入れることができるのですね。彼は御言葉を語るだけですから。何でも彼もウォッチマン・ニーで霊的覚醒をしたらしく、教会運営のあり方もニー的なんですね。テイストが似ているのです。御言葉という共通語に戻って欲しいのです。

ちなみに神学を見ていると、どうも方法論もモラルも相当に程度が低い。帰納法を使っているのか、演繹法なのか、それすらもサッパリ分からない、その個人の妄想なのか、価値観なのか、「学」としても根本的な欠陥を抱えているようです。だから論争のあり方も幼稚で不毛。自らを省みることができないヒトはとにかくコワイ。と思いません、皆さん?

何だかすごいですよ

再建主義の富井さん、生まれながらの価値観に従うと獣姦もする、と言い出しましたね!?彼の言う「生まれながらの価値観」って自然法のことでしょう?自然と律法とは別に対立しないと思うのですが。

私は聖書の旧約律法は本来の人間性(神の姿に造られた純粋な存在のなごり)にすばらしく適合すると感じるのですけどね。マラキ2:15にこうあります:

神は人を一体に造られたのではないか。彼には、霊の残りがある。

どうも彼の人間観についての内面性が垣間見えるようです。最近もサタンの攻撃を受けて、何か事件があったようですが、本当に大丈夫でしょうかね。むしろ私の専門的見地から見て心配になります。(ある「診断」はできているのですが・・・)

すでに話が山谷さんともかみ合ってませんし、他の再建主義者にすら相手にされずに、孤高を囲う自閉世界に突入してしまっているようです。

かような思想にはまった人がどのような実を結び、いかなる人生を送るのかぜひ知りたいので、私的には今後長期観察したいと感じます。

Commented by イザヤ・ベン・ハー 2005年11月29日(火)20:16

見てきました。確かにすごいです。Lukeさんと対立してからまたあの方の病状が進んでしまったような感じがしてます。それにしても、何をか言わんや、です。彼は自分が何を表現しているか気がついていないようですね。

Commented by Luke 2005年11月29日(火)20:58

そうですね、カルバン神学とアルミニアン神学と再建主義について関係は山谷さんが論じて下さっていますし、私的には次のチャック・スミス(http://homepage1.nifty.com/fountain-of-life/info_j01.htm)の立場が一番近いですので、再建主義の神学的問題を論じるよりも、やはり彼らの精神病理に関心がますます強まりました。思ったよりも重いかもしれません。

Commented by はるえ 2005年11月29日(火)21:07

きゃーもしかして私のコメントにたいするコメントが物議をかもしてるんでしょうか?!別にいいですけど、笑えます。

私はただただ健全でありたい、と願うだけなんですけど。そこから始めないと、リバイバルも伝道も何もないでしょう、とそんなかんじです。

Commented by 通行人 2005年11月30日(水)08:09

富井さん、毎日どんな生活を送っていらっしゃるのかしらん。
結婚もしてないようですし、家庭もなさそう。
牧師でもなく、伝道してるわけでもなく、仕事もしてない。
ご自分の任務は神学の研究と発表だそうです。
1日中ネットしているのか知らん。
誰が彼に毎月のお手当てをあげているのか知らん。
ちょっとまともな感じがしなくなりました。

New CDsの発売

アップロードファイル 47KBアップロードファイル 56KBアップロードファイル 17KB

が決定しました。英国に注文を出しましたので、1,2週間で入荷すると思います。書店には出さず、ネットで販売に限ります(書店に出すとかなりサヤを抜かれるのですね)。

新しいCDが2枚。1枚はFaith05(キャンプのライヴ)。今BGMで流しています。もう1枚はMoveと言うヤング向けのミニストリのアルバムで、Encounter(出会い)。

数を限りますので、数日中に先行予約を受け付けます。(ORDERページを見ていて下さい)

ご苦労いただいておりますm(_ _)m

何だかけっこうアチコチで物議をかもしているんですね、私のMSG。牧師先生に知られるとヤバイとか、地下でかなり回っているようで、大手の教会の兄弟姉妹の間でも密かに回っているとか。「うちの先生はこう言っているけど、ルークさんはそう言っていないから・・・」とか。サーヴァーのログを見ても日曜日の夜から月曜日はアクセスが殺到しています。で、回線がふさがってしまって、御不便をおかけしているのですが。

ここでぜひお願いしたいのは、「ルークさんがこう言った」ではなく、御自分で聖書を開いて確認して頂きたいのですね。

ここ(ベレヤ)のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

今朝石原慎太郎氏が、新著を紹介しつつ、「子育ての秘訣はエゴの発達した自律した人間にすること、そのためには殴ることも必要。しかし私は理解されない人間だが、自由でいたいのだ」と言っておりましたが、私的には結構賛同なんですね。まあ、ニッポンキリスト教ではまずアブナイ思想となるんでしょうけど。しかし彼の得た実(4人の息子たち)とニッポンキリスト教の牧師の実(ビョウキの息子たち)を比べて御覧なさい。どちらが真理かは一目瞭然でしょう。箴言をご自分で読んで見てください。子育てについて何と書いてあります?

こんな次第で、ニッポンキリスト教はすでに御言葉から離れ、むしろ世の価値観、それも相当に病的な価値観に染まり、倒錯した世界になっているわけです。表向きは「世から聖別されよ」とヒステリックに叫びながら、実は世に働いている霊の幼稚な教えにドップリです。一方でいのちを無視した再建主義のような思想が入っているのです。

ぜひ、『カッコーの巣の上で』というジャック・ニコルソン主演の映画をご覧下さい。精神病院を舞台としているのですが、患者たちが正常で、ドクターやナースが異常と見える倒錯した世界を描いています。もし周りがみな分裂病や妄想性人格障害者だったら、こちらが異常となるわけ。で、これがすでにニッポンキリスト教界では起きているんですね!エクソダスして、関わらないことが無難です(くれぐれもビョウキの人とはガチンコしないこと)。

同様に、議論でも相手をねじ伏せる必要はありません。そんな「勝利」はナンセンス。相手の病理性を議論の過程で暴き出せば良いのです。まともな人ならば、その人の主張の是非ではなく、その人の人格の現われを判断するはずだからです。このあたりはトム・クルーズ主演の『ア・ヒュー・グッドメン』をお勧めします。ジーン・ハックマンが偏執質者のイイ味を出しています。

まあ、時が中世ではなくてよかったです。私などは一発で異端裁判で処刑されるでしょうからね^^今のところ映画も温泉も楽しめますしね。今6階の窓の外に見えるイチョウの木々もま黄色に色づき、そろそろ葉も落ちて、木々が裸になりつつあります。このサイトもまた冬ヴァージョンにしなくてはと思いつつ、移りゆく季節を味わい、生きることを愛でたいと感じている今日この頃です。もちろんインマヌエルなる主と共に。

Blessings!

Commented by タリタ クミ  2005年11月30日(水)08:46

ルークさん、ア フュー グッド メンに出てたのはジーン ハックマンではなくてジャック ニコルソンだったのではないでしょーか?

Commented by Luke 2005年11月30日(水)10:53

あ、そうでした。ジャック・ニコルソンです。最近ちょっと飛ぶんですね(汗)

恋は盲目の大脳生理学

アップロードファイル 32KB私のメッセにはイロイロな感想があるようです。笑い方がアブナイとか・・・。不思議なもので、対人関係で一番のファクターは何かというと、初対面の印象なんですね。ボクシにはボクシの臭いがあり、医者には医者の、教師には教師の印象があります。ちなみにカミさんが私をはじめてみた時(当時はパーマでクルクルの髪でしたから)、「ああ、三流大学のアホな学生だ」と思ったそうです(写真参照。現在は本数が・・・嗚呼)。

アップロードファイル 24KB未知の物に対する大脳の反応をMRIで診てみると、大脳辺縁系の一番奥にある偏桃核と言う部分の反応で分かるのです。シャイな人は未知の人に会うとここが過敏に反応するのですね。

アップロードファイル 41KBまた好みの人に対する反応はシナプスのドパミンの放出で分かります。これはいわゆるランニング・ハイの状態を作り出し、ある種の恍惚状態を作るのですね。「恋は盲目(アバタもエクボ)」状態はドパミンで酔っている状態なんです。タレントの翁菜恵とか山口萌がIT企業の社長と結婚する時、シンデレラになれる幻想を見ていたわけで(萌ちゃんはマダですが)、これはひとえにドパミンの作用なんです。

かくして「恋なんて幻想」となるわけで、精神分析学者の岸田秀氏は『性的唯幻論』なんていう本も書いている。「ああ、Dr.Lukeの話を聞いているとロマンスがなくなるなあ〜」と言う声が聞こえてきそう。私は人の転機が見える時があることは前に話しました。タケシの自殺未遂も、逸見さんの悲劇も予言というか予測できましたしね。あと、伊丹監督の自殺も。前のトリインフルエンザの隠蔽の時も、今回の建築疑惑でも自殺者の可能性を感じていました。姉歯氏も危ない感じ。保護してあげる必要があります。

で、結婚したカップルがどうなるかも大体分かります。それは目を見ればいい。焦点が定まっていない泳いでいる目の人はまず騙されています。ピタっと焦点の合った目をしている人は大丈夫ですね。ちなみに相手が自分に好意を持っているかどうかは、瞳孔の大きさをみるのです。開いている場合は、目は潤んでおり、これは行為のシグナル。閉じている時は鋭く警戒感の表れ。ネコの瞳を見れば分かるでしょう。ニンゲンも同じ。

かくして人の印象とかはほとんどその実質と離れており、意図的に操作して欺くこともカンタン。ですからギョウカイのいわゆる評判なるものも当てにならないのです。ところがキリスト教界ってところはほとんどがこのドパミンで酔っている人や、自分の幻想の世界に生きてる人が多いわけ。

焦点の会った目を持つ必要があるのです。

ギョウカイに染まると

今回の偽造建築事件ではついに自殺者も出た。私はおそらく政治家レベルまで汚染していると感じている。われわれから見ると、1級建築士ともなれば自分のペースで仕事ができると思っていたが、そうでもないようだ。私の従兄弟も1級建築士であるが、企業に入っての仕事なので、かなり大変そう。

自殺した設計事務所社長も、「なぜ」と思ってしまうが、彼はこれまでも良心の呵責を抱えていたのだろう。『白い巨塔』の柳原医局員の悲劇である。ちょっと前にはCPA(公認会計士)がカネボウの粉飾決算を手伝って逮捕された。また今回名義貸しで西村議員が逮捕(名義貸しってけっこう一般的にあるのです・・・)。

医師、弁護士、公認会計士、建築士は4大資格と言われているが、それは世間から見た評価。ギョウカイに組み込まれたら何のことはない、単なるペーパー上のこと。実際の仕事では周りの人々のダイナミクスの中に個人は飲み込まれてしまうのだ。私は東大に入ったとき、田舎では引き立ててもらえるが、キャンパスでは周りがみな東大生なので自分が埋もれてしまう危機感を覚えた。

ギョウカイに入ったら最後、そのギョウカイの色とシキタリに染まらなければやっていけないわけ。で、その臭いが当たり前になると自分の臭い(おかしさ)にも気がつかなくなる。私などもGパンと加山雄三のロゴの入ったヨットパーカーで仕事に出かけるので、娘たちのマンションの友人の間で話題なるそうだ。「メグのパパって、かるくヤバイよね。何している人?」とか^^まあ、確かにサラリーマンの臭いはしていないと思うが、ヤバイかなあ・・・。

キリスト教界などはまさにこの好例。ネットでイロイロな先生方のメッセを聞いて、「カミっさまわ〜」的しゃべり方と内容までも何ゆえにこうも金太郎飴なのかと、少々驚いている次第。ボクシの世界は右見て左見てと、相当に縛りがきついだろうと推測している。なお、私のしゃべり方に抵抗がある人もけっこういらっしゃるようだが(そんなに癖があるかなあ・・・?)、ニッポンキリスト教ギョウカイの教団お抱えのボクシではありませんで、大学と予備校の講義もこのペースなので、そこんとこヨ・ロ・シ・ク^^V

 * * *

新しいCDは希望者がちらほらおられますので、英国に注文の問い合わせをしております。今流れているBGMはオトナのヴァージョンです。ちょっとシブイです。

Commented by kazu 2005年11月28日(月)21:33

ニッポンキリスト教の奴隷状態の兄弟姉妹になんとか真理を知って自由になってもらおうとルークさんのメッセージを紹介するのですが、最初はテープをわたす際の選択に苦労します(汗)。そのコツは・・・

1.ルークさんの笑い声が多い回のメッセージを避ける
 (ニッポンキリスト教徒には免疫がないそうなので)

2.紅貧批判のでてくる回は後回しにする
 (ヒステリックな聖霊派対策)

3.ルークさんが涙声になる回のメッセージから渡す
 (情にもろいニッポンキリスト教徒もホロリ)

4.相手がなれるに従って、3→1→3、3→2→3のようなローテーションで徐々にサンドイッチする

5.相手が「もっと聞きたい」という反応を示したら、本来の順番で貸す

この方法で周囲の多くの「苦死チャン」が蘇生しました!
ありがとうございした!
(パソコンを使えないオバサン姉妹方からは、「この前のケンタッキーフライドチキンある?」と聞かれたりします。
牧師は何のことだかまだわかっていないようです・・・(汗)。)

Commented by Luke 2005年11月28日(月)22:00

あ、これはえらく御腐心をいただいているようで、恐縮です(^^;

そう、私の笑い声はロドニー・ハワードの「笑いのブレッシング」よりもカゲキだと言われていますので・・・(反省)

でも少しはお役に立っているようで、感謝なことです。

Commented by ブヒ Eメール 2005年11月29日(火)08:29

kazuさん、おはようございます〜!!
ご苦労をされているんですね〜!!
そう云う私もあれこれ苦労してるので、クスッと笑ってしまいました!!
私も大失敗をした経験があり、慎重に祈りながら選んでいますが、kazuさんのローテーションを参考にさせて頂こうと思います!!(爆)

最初は3、がいいですね!!やはり導入テープはこれしかないっ!!と思ってます。
失敗テープは、紅貧批判のものでした。。。
どうも私は異端に走った・・・とされてるようで・・・(^^ゞ!!

では、今日もよき日を〜!!(*^^)v

信頼する対象

それは私の信仰の強さではなく、イエスのみ。自分の信仰を強くする問題ではなく、イエスの真実を知るだけ。信仰のサイズはからし種一粒で十分。何と言う解放。自分の信仰を見つめればますます確信を失うだろう。そうではなく、主がそうだから、そうなるわけ。

わたしの名によって求めるものは、何でもかなえてあげよう。


 * * *

で、温泉を1日延長しました。1泊だけだとややさみしい。1泊目は民宿的な処。2泊目はややリッチに。それと12月は映画が面白いのがけっこうある。これも楽しみ。

さあ、あと1ヶ月。ニンジンをぶらさげたので、最後のコーナーでムチを入れるぞ!