* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
3日間、ゆっくりさせてもらいました。体は精密マシンですから、メンテが要ります。年末のあわただしい時とは拝察いたしますが、皆様もご自愛のほどを。
* * *
で、帰宅しましたら掲示板にまたまた難しい注文が入っておりまして、今、ざっとご回答しました(ハードコアをご参照下さい)。「余剰価値」についても霊的経済学を述べたいと思いましたが、少々疲れますので後ほど、と言うことでよろしくどうぞ。
福島の都路村で知り合いになりました芋久保さん(HN)のBlogです。ご自分で山小屋を手造りされています。「北の国」からの黒板五郎を地で行くような。
芋久保さん、トラックバックしました。メールでお名前間違えてすみませんでした。今後ともよろしくどうぞ!
フィギュアの浅田真央ちゃんは実に強い。プレッシャーもなく、伸び伸びと滑っている。勝とうとしていないし、うまく滑ろうともしない。ただ楽しんで滑っているだけ。あの無邪気さにベテランもかなわない。彼女たちもかなり良い成績を出したが、見ている方がハラハラする。特にラストの安藤美姫(18歳には見えない・・・)は緊張感がビンビンと伝わってきた。
ところが二位だった真央ちゃんにはそれがない。単純に演技を楽しんでいる選手を見ると、観客も楽しめる。実は私たちの信仰も同じ。勝とうとしたり、クリスチャンとして失敗しないように、あるいはうまくやろうと構えると、見ている人たちもハラハラ。無邪気さの中で力が抜けた真央ちゃんスタイルで生きたいと感じた。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
いのちのままに飛ぶ鳥。私たちはキリストのいのちを得ているのです!
さて、小生は明日から温泉であります♪福島でも抜けましたが、さらに力を抜いてまいります。
ルークさん こんばんは。
フィギュアスケートは好きでよく見るのですが、今回は特にテレビの前に釘付けでした。
浅田真央ちゃん、かわいい!!
皆が魅了されるのがよくわかります。
無邪気に、のびのびと楽しんでる姿って、人に喜びを与えてくれるんですね。
見てるだけで、ほおっと幸せになります。
ルークさんの言うとおり、クリスチャン人生、そのようでありたいとつくづく思いました。


福島は今日は快晴。付近の山をS兄弟と息子さんとで散策し、都路牛の焼肉で昼食。白い雪と真っ青な空のコントラストが素晴らしかった。原始生活の山の1日は文明で汚染されたこちらの3日分くらいの感じですね。じっくりといのちの洗濯ができました。
S兄弟との交わりも、「フォーカスはキリスト。残された人生、イエスの魅力を極めること」で決まり。ややこしい神学の議論ではなく、単純に御言葉のみ。いつか彼が下山した際にはメッセージをお願いしておきました。で、1時ごろ福島を出て、高速を飛ばして、今さっき到着。
途中、何となくコンビニで買った谷村新二の懐メロ風CDを聴いていると、ある映画の主題歌の『群青』が流れてきた。この旋律は日本人には実にしみる(※)この映画は戦艦大和の最期と、国のために捧げられた者として、年老いた父より先に逝く二人の息子たちの物語なのだが、ふとその映画の最期の場面が思い起されて、何と不覚にも涙が止まらなくなってしまったのだ。今流しているBGMの御父が御子を犠牲にすることと重なったのか・・・。最近歳のせいか、涙腺がゆるい。
そして今また大和の最期を描いた映画『男たちの大和』が上映中。これからカミさんとレイトショーに行って来ます。あすはメッセージもないので気分も楽なのだ^^で、来週は温泉というわけで、遊んでばかりだ。
(※)私はニッポン人は嫌いだが、日本人でいたいのだ。
ある映画のタイトルを思い出しました。『連合艦隊』でした。昨日の『大和』はイマイチだですね・・・。
昨日は天気が荒れて、ノーマルタイヤで雪道を恐る恐る走りました。でも4WDはさすが安定していますね。
今、山奥の村営保養センターで雪を眺めながら風呂を楽しんだところです。ここにいると時間が普段の3倍はゆっくりと流れます。芯から癒されますね。
(しかしここにもネット環境があるとはね^^)
私たちの人生はカオスであると言いました。決定論(神の意志)と偶然論(私の意志)が区別できないのです。それらは共に綾なされて人生の日々を紡ぎます。私たちの過ちも神の召しを無効にできません。安心して今日一日をいのちのままに生きることです。なぜなら、
あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに(詩篇139:16)。
神学者の虚しい議論に巻き込まれないことです。御言葉に書いてあるところにとどまってください。 その知識とはいのちから生まれるものです。それぞれのいのちに従って造られましたし、それぞれのいのちに従って生きるのです。下のワンコちゃんたちを見てください。安息しているでしょう?あなたがたには聖なる方からの塗り油(原語)があるので、だれでも知識を持っています(1ヨハネ2:20)。
伊丹重三の「マルサの女」の中で、悪の権藤商事会長が無邪気に遊ぶ子供たちを見て、ふと名台詞をもらします:「心は安らかな方がいい・・・」と。安息とは何もしない無為ではなく、いのちにあって信頼し、いのちが喜ぶとおりに活発に生きることです。
本日で大学も終わり。一息です。私たちはこういったリズムがあるのでやっていけるのですね。普通のサラリーマンのように年中ベタ〜と仕事なんてとても勤まりません。主は私の特性をよくご存知でいて下さり、もっとも適切な仕事場を与えて下ったのです。
で、明日は寒気が強いようですが、福島は大丈夫だろうか?



ブヒさんのおうちのワンコちゃんたちです。実に表情がイイので、ややこしい話が続きましたので(まだ絡んでくる人がいるのですが・・・涙)、お口直しにここでもちょっと紹介します。ニンゲンが失った何かを彼らは持っていますね。それが私たちを癒すのです。
Commented by ブヒ Eメール 2005年12月21日(水)13:35何だかステージママになった気分で面映いです・・・(>_<)
ちなみに、1ヶ月前ルークさんのメッセージテープを食べちゃって
胃と腸の大手術をしたのはブリンドル(黒い)の方のメグです・・・(*_*;
この子達は毎日朝から寝るまでルークさんの声か賛美の中で過ごしてます・・・(^^ゞ
今BGMで流している曲は“There Is A Redeemer”という曲ですが、この作者キース・グリーンには逸話があるのですね。曲は前々から歌っていましたが、このような話は初めて知りました。左下のemiさんのBlog(a voice)をクリックしてください。彼は航空機事故で28歳で召されたそうです。今、彼はstanding in gloryしているのでしょう。
Commented by emi URL2005年12月20日(火)19:03あ、どうも、です。
blogには原文で載せてますので、今晩にでも訳そうと思います。
歌詞は、最後の部分をキースが書いたのですね。前半は奥様のMelodyさん。
emiさんのリンク先のキース&メロディ・グリーンのストーリーはちょっと感動的ですね。この曲のバックグラウンドを知ると、ますますこの曲の深みに触れることができるような感じがします。ここにもリンクしておきます:
http://www.lastdaysministries.org/keith/history.html
訳詩はご参考までにこちらを:
http://www.kingdomfellowship.com/Kfc/Worship/worship41.html
最後がけっこうジーンと来るのですね。その日を待ち望みたいです。
BBSで「反ユダヤ主義」の話題がありますが、キリスト教界と言うところのコワサは、人の(盲目的)熱心さと神がかりになることなんですね。ユダヤ人は神の選民、ゆえに神聖にして犯すべからず、○○主義や××神学は神の唯一の真理、ゆえに反対する者は悪魔に味方し、神に反逆する者・・・。やれやれ、お分かりになります?
人の血肉的熱心とそれを裏付ける神がかり、これがあれば人は何でもしてしまいます。かつての十字軍しかり、魔女狩りしかり、そしてKING KONGブッシュ(似てたぞ!)のイラク戦と(http://tanakanews.com/f1213Iraq.htm)。
私の本音:普通のノンクリスチャンとの付き合いのほうがどれほど安心していられることか。
クリスチャン、特に熱心で立派な人たちは互いに値踏みし合っている感じがしますね。だから、イロイロな団体に属して、自分は正統だと裏書がないとこのギョウカイではやっていけないらしいのだ。地域の牧師会も派閥ごとに分かれて、互いに値踏みし合っているわけで。なんだかとても疲れることです。と思いません?
神は人になられた―これはきわめて尊い奥義です。
大分、昔のことですが
お風呂の湯船に入ろうとして、ざばーっとしたとき、
「神が人になってくださった〜〜\(^o^)/」という感動が私の中に溢れ流れたことを、思い出してしまいました。
聖書のことが何も解らずただ、疑いばかりの日々でしたが。
ルークさんのおっしゃるように、主は私たちの普通の日常生活のひとこまで、ひとこまで、とても大切なことを悟らせて下さるんですね。
普通であること!!の中には、ビックリするゆな真理が隠されていたということ。。。
また近いうちに、このことについて書かせて下さいね。
早寝早起きしないと、インフルエンザにかかっちゃうので。それでは!
はい、楽しみにしております^^
しかし、お風呂で啓示を得るとは、アルキメデスみたいですね。
私のメッセージで、「霊と魂の分離」とか、「異なる火を炊かない」とか申しますと、何でも心配になる人がいるのですね。「今、自分は霊なのか、魂なのか」とか、「自分は今異なる火を炊いて裁きを受けるのではないか」とか・・・。分かります、この心理状態。要するにアソビがない!
ある聖霊派の人はすべてを聖霊様(私はこの言い方は苦手ですが・・・)に伺いを立てて聞き従うとかの導きを受けて、家から学校まで行くのに、交差点ごとに「聖霊さま、どちらへ行くべきですか」とやっていたら、学校に着けなくなったとか・・・。ほとんど笑い話的ですが、けっこうこの手のビョウキが多いのです。
皆さん、神の導きってそんなにタイトロープを渡るようなものだと思いますか?神は私たちをそんな緊迫感の中に置かれる方だと思いますか?断じてNO!神は安息の神であり、ゆとりの神であり、自由の神であり、私たちを楽しませて下さる神です。
人にはローマ書にあるとおり、自然の人であっても律法の教えるところをなそうとする心、つまり良心(岩波訳では「内奥の意識」)がありますし、さらにマラキ書2:15には「人には霊の残りがある」と書いてあります。
霊と魂の分離とかを神経質に心配するのではなく、普通の生活においてこの自然の感覚に信頼し、素直に従っていればよいのです。それは御霊の導きと矛盾しません。再建主義ではそれを認めませんし、自然に従えば獣姦を犯すと言うほどですが(相当に病的です)、それは聖書の語ることではありません。分かりますか?
霊と魂は相互作用しながら、私たちの心の動きを綾なしています。その時に御霊は私たちの良心と共に働かれるのです。パウロはこう言っています:「私の良心も聖霊によって証ししています」と(ローマ9:1)。これが私の言う「普通の生き方」です。自然ですし、力みなく、滑らかで、楽です。
ただ私たちの肉、特に魂の中に条件付けられたアダム的な価値観や生き方に対しては諸刃の剣よりも鋭い御言葉で手術を受ける必要があります。これによって真に霊のものかどうか見極めることができます。それをして下さるのはオペの達人霊的財前五郎であるキリストです。これは時に従って神が取り扱って下さいますから、安心して任せて下さい。
自分で取り越し苦労して、自分をクルシチャン状態に追い詰めている兄弟姉妹があまりにも多過ぎます。神は私たちの父・パパ・ダディ・お父ちゃんです!パウロはこう言っています:
あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
「アバ、父よ」と呼ぶとき、内側が甘くなりませんか?神は甘美な方なのです!子たる自由をエンジョイしましょう!
今日でセレブレーションは終了。来週は賛美と交わりの会です。元旦はお休み。一般的には元旦礼拝とかするのでしょうけど、私たちは家族で水入らずで過ごしたいのですね。というわけで、メッセージも新年8日まで更新いたしません。ワーシップは少し長めに収録して置きました。
大学の講義もあと残すところ3日。木曜日から週末までは福島のS兄弟の山小屋に泊まりに行きます。そして来週月曜日からは温泉と・・・。ここのBlogでもややこしい話もあったり(こういったサイトを開いていると変な人たちに絡まれるのは宿命かな・・・^^)、今年もイロイロありましたが、それぞれが主ご自身と主の真実を経験し知ることができたことは幸いでした。これだけが主とお会いする時まで残るものです。
すべては主を知ることのゆえに配剤されてあることを感謝します。
おはようございます!!
1年間、迷える羊たちのために道案内をして下さり、本当に本当にありがとうございました!!
私には迷いを吹き飛ばす事ができた大きな素晴らしい転機となった1年でした!
この導き・・・イエスさまに心から感謝です・・(*^^)v!!
そしてそして、ルークさん、本当にお疲れさまでした!!
ゆっくり温泉が、待ってますね〜ヽ(^o^)丿
ご家族と素晴らしい時を過ごされますように!!
そして、来年も、どうぞよろしくです!!!
あ、ありがとうございます。はい、あと6日で温泉♪でもこうして待っている間が楽しいのですね。
まあ、ほんと疲れますね、ニッポンキリスト教界に生息する人々と関わるのはね。曲りくねった人が実に多い。私たちは、来年も、「シンプル・イズ・ベスト」、普通のオジサン・オバサン路線で行きましょう。もちろん主と共に。
ますますの油塗りと祝福をお祈りします。表情が実にイイ癒し系ワンコちゃんたちにもよろしく。
って何?と質問をいただきました。ちょっとややこしいことを述べますが、私たちが何かのリアリティ(物理的・精神的・霊的)を認識するとは、それを適切な感覚器を通して内側に取り込み、それを言語化することなのです。言語は世界の映像です。ところがその映像をリアリティを差し置いて大事にすることがあるのですね。
ある所にピグマリオンという彫刻家がいまして、美女の像を造ったのですが、本人を差し置いて自分の作品の像に恋してしまったわけ。これが「ピグマリオン症候群」です。一種の倒錯的状態ですね。
私たちは人と関係するときに、その本人とつねに関係を持つわけで、その経験を通してその人のプロファイルを構成していきます。この人は明るいとか暗いとか、活発だとか内向的だとか。このような何かを記述する言語を「メタ言語」と言います。
カルバンにせよ、ウエスレーにせよ、彼ら自身の神との関係からそのプロファイルを作り上げたわけですが、そのプロファイル書を読んで、本人を分かったつもりになるとしたら、これはおかしいわけです。あるいは本人を差し置いて、互いの報告書を批判し合うと。神学者はメタ言語内でこのような議論をしているわけです。
私たちにはすでに聖書と言う主イエスの第1次のユニークなプロファイル報告書があります。ここにとどまればよいのです。さもないとカルバン神学の講解、さらにまたその講解・・・と言う無限後退性のジレンマに落ちます。ウエスレーについてBBSでどなたがお書きになりましたね。誰々によるウエスレー神学の解釈とか。ナンセンス!
へブル8:11にこうあります:
また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ。』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。
主は、「マイ・ジーザス」であり、「マイ・ゴッド」。そしてスウィートな方です。無意味な疲れる論争は専門の神学者に任せて、私たち普通のおじさん・おばさんは主ご自身をエンジョイしましょう。
Commented by ブヒ Eメール 2005年12月19日(月)07:02神学とは関係ないコメントですみません・・・(^^ゞ
お薬にも「ピグマリオン効果」・・・と云う表現があったような気がします。
確か『信じていることが現実になる』・・・と云ったような意味ではなかったかと思うのですが・・・。
これも、ここから来てるんですか・・・?
ええと、薬の場合は「プラゼボ効果」と言いますが。特効薬といって砂糖を飲ませるだけでも効果がでる場合があるのですね。薬の「ピグマリオン効果」ってあるのかなあ〜?
Commented by ブヒ Eメール 2005年12月19日(月)16:47あ〜〜・・・そうでした、そうでした!!
プラセボ効果でした〜〜(^^ゞ!
■ピグマリオン効果■ホーソン効果■プラセボ効果
・・・この3つの「効果」が頭の中でしっかりミックスされてるようでコワイデス。。。汗
ありがとうございました^^!!
何だか教育学の方で「ピグマリオン効果」ってあるそうですね。生徒を優秀と思って教えると本当に成績が良くなるとか・・・。ホンマかいな?
まあ、人の心はイロイロと騙されているわけで、自分は騙されていないと確信している人が、実は最も騙されているわけですね。何事によらず、疑問を感じる人は幸いです。
昼はチネチッタでシャブシャブの食べ放題。1,980円で90分イヤと言うほど食べられる。ホットの芋焼酎がこの時期イケル。
野外でネギッコとか言う十代の4人の萌え系少女のコンサートがあったが、見てる人が独特の雰囲気を醸したオジサンばかりで、しかもあんな狭いところなのに望遠つきカメラで狙っていた。ロリ系は正直ちょっとキモイ。
映画はけっこう楽しめました。設定はオリジナルと同じで、第一次大戦前後くらいの時代背景。秘境の島に巨大生物が生息しており、そこからコングをニューヨークへ。美女に恋したコングが、彼女を追って大暴れし、エンパイア・ステート・ビルの天辺で飛行機からの機銃照射を受けて哀れな最期を遂げるおなじみのストーリー。
映像はCGを駆使し、ジュラシック・パークのノリでかなり楽しめる。特に巨大昆虫に人間が食べられたりするシーンはコワイ。またエンパイア・ステート・ビルの天辺のシーンでは高所恐怖症の私はつい足がムズムズ。それにしてもこの美女がコングを思いやって、ハイヒール(!)でビルのはしごを上るのはちょっと無理でないかな、と要らぬツッコミを。
年末から年始にかけて、けっこう楽しめそうな作品が続く。いやあ〜、映画って本当にいいものですね。