* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
どうもニッポンキリスト教界はこわいです。再建主義ばかりでなく、下で紹介されている『リバ新』の記事なども、「決起」とか、「奪還」とか、「戦い」とか、これじゃ対テロリスト作戦みたいだ・・・。このギョウカイ、先生同士も因縁がくすぶり、先生と信徒の間でも遺恨が残っているようですし、とにかく表の「愛だ」、「赦しだ」と言う標語と裏腹に、潜在的な空気が陰湿でこわい。とてもクオリアどころではないようですし、いのちはどこかへ追いやられている感じがします。このギョウカイ、安心して身を置ける感じがしないのですね。
Commented by はるえ 2006年01月08日(日)17:06こんにちは♪
本当に、怖いですね・・・私の周囲でも、新年早々、何故日本にはクリスチャンが増えないのか、よーく分かってしまう出来事がありました。
増えない方が平和なんだったら、もう仕方はないかと・・・
イエス様だけ、まっすぐに求める。
単純で健全なまっすぐさを持つ。
もうそれだけで本当に十分です。
「それだけあれば大丈夫、生きていける」
そこに真の安心感があると思いますし、だからこそ、
普通の生活も満喫でき、感謝もしていけるのかな、
という気がします。
いつもこんな内容の書き込みばかりでスミマセン。
でもそれしかないですからね。
この休み中に少々ヒゲを伸ばしてみた。私は若いころは老けて見られたが、最近は40台前半くらいに若く見られる。で、頭の方がややさみしくなっているので(汗)、ちょっと顔の方にと・・・。けっこう渋みが出たかと鏡を覗いて勝手に思っている。(が、カミさんと子供たちにはなぜか不評・・・)
昨日精神と物理化学現象の関係に興味があると書いたが、実はこの大脳が大脳を果たした理解し得るかどうかは分からないのだ。解剖学的にはニューロンのネットワークが徐々に分かっているし、神経生理学でもシナプスでの化学物質の働きなども解明されてきている。
しかしDNAの4つの塩基配列による遺伝情報の保存と再生のメカニズムのような根本的パラダイムが未だに分かっていない。(フォン・ノイマン型)コンピューターはONとOFFの二進数によって、AND回路やOR回路を組み合わせているだけ。その原理はきわめて単純。脳もそれと似ているが、しかしシナプスでのアナログ的要素があって、コンピューターとは相当に異なる。
この意味で私たちサイエンティストは常に己の限界がどこにあるのかと自問自答しつつ話を進めているわけ。デジカメでも画素数によって映像の質が決定してしまう。例えば一画素が1mm四方であれば、それよりも小さい物の像は決して写せない。CDなどもサンプリング間隔で周波数帯域が制限される。これと同じように大脳、そして言語と論理においてもある種の解像度と言うか、理解し得る限界があるのだ。果たして大脳の原理はこの限界の中に納まるのかどうか・・・。
対して神学者は愚かにも神を人間の言語と論理の中に収めようとしている。いや真摯かつ謙虚な神学者も多いのであろうが、己の解像度を知ることなく、自分の愚かさを曝しているだけの御仁もいるようだ。
言語と論理は大脳の、特に左脳の働きのひとつの表現であるが、右脳の感性やイメージはどう見ても表現し得ない。これを最近では「クオリア」と呼んでいる。これを提唱した人物は、布団に包まってぬくぬくとしている時の感覚と喩えているが、実は私はこの「クオリア」が大好きなのだ。温泉もそのひとつかな?トロトロと夢うつつに頭を使う大脳のアイドリング的・緩衝的働きと言える。
クリスチャンも左脳的(理屈と自己努力の世界)になるとクルシチャン化するが、右脳的(直感的感性と信頼の世界)に生きればこの「(霊的)クオリア」を楽しむことができる。昨年暮から正月まで各教会は様々なイベントでけっこう忙しかったようであるが、私は3週間たっぷりこの「クオリア」を楽しんだ。物理的にも、精神的にも、霊的にもぬくぬく感を楽しんでいたいのだ。
(本音:リバイバルのために、祈って、祈って、祈りぬけ!とか、徹底的に聖別されて、神の戦士として、戦って、戦って、戦い抜け!とか言われると、このデリケートな「クオリア」がたちまち壊れてしまうのだ。ゲンナリ・・・)
こんばんわ。(&新年おめでとうございます。)
>で、頭の方がややさみしくなっているので(汗)、ちょっと顔の方にと・・・。
お気持ちわかります・・・(うめきを共有)。
アンドリュウ・マーレイみたいですよね^^。
でも、東洋人の顔ですとウォッチマン・二ーのような九・一分けでのカモフラージュもいいかも・・・。
男の頭の毛が抜けても、それははげであって、その者はきよい。(レビ13:40)
この御言葉にはハゲまされます・・・(汗涙)。
http://www.revival.co.jp/news/news01.html
↑これとかってクオリアを壊しそうですね(笑
上のリンクの中で滝本氏が仏壇を壊せ
みたいなこと言っておられますが、
日本民族がみなクリスチャン化されると
奈良の大仏も、神社仏閣もタリバンみたいに
みんな破壊するのですかね?
Kazuさん、新年のご挨拶をありがとうございます。そうですね、男には男の、女には女の悩みがあるわけで・・・^^。
ICHIROさん、確かに「クリスチャンの決起」とか、「サタンに支配されたこの世の人々を霊的戦いによって奪還する」とか言われると、ちょっと引きますね。ややコワイです。私は神社や寺は結構落ち着くのです(滝元先生に言わせれば、悪霊に憑かれているかな?)。
今年も普通のおじさんとして淡々と生きるだけです。
日本人として生まれ育った滝本氏は、本当に日本人が仏壇を信仰の対象としていると思っているのでしょうか?確かに、日本的バックグランドのないアメリカの宣教師から見れば、日本人が仏壇を拝んでいるように見えるかもしれません.
しかし、私の感覚からは、偶像というよりも、聖書で言えば、列王記や歴代誌に出てくる「王たちの墓」的な意味合いを持つ、祖先の記念碑的な意義があると思います.祖先を大切に思い(祖先が存在して遺伝子を繋いでくれたので今の私の存在があるわけですから)、偲ぶための位牌が飾られている箱だと思います.
ですから、偶像礼拝の対象として、仏壇に対して憎悪の目を向けるのではなく、ましてや、破壊したり燃やしたり遺棄したりするのではなく、キリスト者として、仏壇に対する正しいあり方を考察する方が、日本人をキリストに導くことになるのではないかと考えます.
列王記5章18節〜19説「主が次のことをしもべにお許しくださいますように.私の主君がリモンの神殿にはいって、そこで拝む場合、私の腕に寄りかかります.それで私もリモンの神殿で身をかがめます.私がリモンの神殿で身をかがめるとき、どうか、主がこのことをしもべにお許しくださいますように」
エリシャは彼に言った.「安心して行きなさい」そこでナアマンは彼から離れて、かなりの道のりを進んで行った.
エリシャのような賢い解決策を、私たちも、仏壇問題で悩む日本人クリスチャンに提案できないでしょうか?
ICHIROさんが仰っているように、神社仏閣を焼き払うなんて、言語道断です.キリスト教界は決してタリバン化してはならないと思います.
実は、私は、神社仏閣が大好きでw、学会で地方に出かけると、必ず、当地の有名な神社仏閣を訪れ、デジカメで撮影します.また、霊山登山も大好きで、色々な霊山に愛犬と登りました.
よかった。外科医さま、ホッとできます。
それにしまても、尾形氏は「股関節にヒビで歩けない
80歳の女性に、ペテロの水上歩行の聖句を語りつつ、
その場で歩くように勧めた。女性は車椅子から立ち
上がって10歩ほど歩くことができた」とのことですが、
これって医学的に見てこわくないですか?
聖霊派はどうもデモンストレーションばかりで
どこかこわいと感じるのですが、、、。
こんばんは.ICHIROさま.レスが遅くなりまして申し訳ありません.私は整形外科医ではありませんので、股関節骨折に関しては一般的な知識しか持ち合わせてはいないので、断定的なことは申し上げられませんが、次のようなケースが考えられると思います.
1) 骨折は治癒しているが、リハビリテーションが不十分だったため歩行困難になってしまった.股関節拘縮している.
2) 骨折は治癒していないので、歩行困難である.
1) の場合、歩行させる事は、リハビリテーションの一環として許容されるが、法律上本来は医師の指示に基づいて理学療法士が行わなければならない.
2) 言語道断!骨折が悪化した場合、傷害罪で訴えられても文句は言えません.
いずれにしても、医師は神の許容の中で、癒しの技に携わっているわけですから、神の恵み、一般恩寵である医療を蔑ろにした妄信的癒しに対しては、私はクリスチャン医師の一人として?を附けざるを得ません.
ついに明日から始動です。時の流れは実に早い。どうも私は寒冷アレルギーがあって、気管支の狭窄を起こして呼吸が苦しくなるのですね。ちょっとツライ。
* * *
アーサー・C・クラークの映画『2010年』のDVDを観た。当時から見た2010年ももはや目前であるが、現実の方が進んでいる場面と、遅れている場面のズレが面白かった。HAL9000のような自由意志的意識を持ったコンピューターは絶対無理(HALはIBMを1文字スライドさせた)。コンピューターはまさにカルバン的。運命(プログラム)の中でしか動作しない。現在量子コンピューターが提唱されているが、これも自由意志は持ち得ない。
対して人間の意識は自由意志を持っており、同時に物理科学的現象とシンクロしている。私たちが意志を働かせる時、大脳内における物理化学的現象が生じるのだ。この意識と物理化学的現象の関わりのメカニズムはどうなっているのだろうか。
ウォッチマン・ニーらに影響を与えたG.H.ペンバーの"Earth's Earliest Ages"によれば、創世記2:8に基づいて、神が体(soma)を土から造られ(=物理化学的存在)、霊(pneuma)を吹き込まれたとき、体と霊の相互作用によって魂(psyche)が生じたと説明しているが、これはサイエンスから見ても実に興味深い研究領域なのである。
物質と精神の関わり−私もこの20年ほど考え続けている。
ほとんど使わないケイタイが不調のため、カミさんと横浜駅地下プロムナードをブラブラしながら、ヨドバシカメラで機種変更した。普段大学では自分の研究室にこもっているし(だいたいキャンパスで鶯が鳴くし、たまにタヌキもでるのだ。数年後に都心に移転するが・・・)、世の空気にはあまり触れていないので、人混みを歩くことはかなりの刺激である。東京に出てきた時、雑踏の中で酔ってしまったが、最近もそんな感じ。要するに「御上りさん」状態。
で、店員がケイタイのいろいろなサービスについてアレコレ説明してくれるのだが、サッパリ分からない。「○○をお付けしますか?」、小生「えーと、それ何なの?」。で、説明が延々となされるが、結局は分からないので、「いや、要りません」といった感じ。
要は電話とメールができればよろしい。メールもほとんど受信だけ(変なスジのメールがやたらと多い)。送信はあのちっちゃなキーをチャカチャカできないので、「分かった」、「了解」程度。それにしばしばケイタイを忘れてどこかに置き忘れる、自宅の電話をかけて呼び出し音で見つける次第。便利なんだか、不便なんだか、分厚いマニュアルは見るものもうっとおしい。(要するに歳だよ、と息子に言われている)
* * *
長女が友人と観光気分で秋葉原を探索してきたらしい。秋葉は昔は電気のオタクで、私もアンプなどを作るためにわざわざ上京しては部品を買ったもの。ところが現在の秋葉系と言われる人種はいわゆる萌え系ヲタクばかりで、腰までGパンを上げてベルトを高い位置で占め、ナップザックを背負ったロリ系のキモイおじさんたちの天国らしい。
そう、メイド喫茶の本拠地なわけ。何とディズニーランドのようにキモイおじさんたちが行列をなしているとのこと。中にはひとりでフィギュアに向かってブツブツしゃべりかけたり、嬉々としてメイドギャルとプリクラを撮る御仁もいるらしい。
いつからこんなになってしまったのか、このニッポンと言う国は。引きこもりやニートがその余った妄想的リピドーを発散する倒錯した世界が現在の秋葉原。いやキリスト教界も実はあまり変わりない。困ったものだ・・・。
ついでに、買い物リストを忘れないように手のひらに書いておいたのですが、見事に手のひらを見るのを忘れて、あすもう一度・・・。(かなり進んでいるかな?)
午後はカミさんとチネチッタ散策。食事はIL PINOLO(松ボックリの意味とか)。実に落ち着いたイタリアン・レストラン。コース料理をゆっくりと味わえる。ウイター/トレスの雰囲気も日本離れしていて何ともいい。値段もリーズナブル。お薦めです。
映画はSAYURI。う〜ん、実にいい。9歳で貧困のために芸妓置き場に売られた「水のような目を持つ少女」が苦難を経て、15歳の時に出会い、カキ氷を買ってくれて親切な一言をかけて下さった「会長さん」を慕い続けて10数年。No.1のGEISHAになり、戦争の悲惨を経て、絶望的事件で想いをこめたハンカチを海に捨てるも、水のように生き・・・、ついに運命は展開してその方の胸の中へと・・・。
先の「大和」は駄作だったが、俳優も韓国中国人やアジア人が多い中、何でハリウッドがこんな日本の心を描けるの?「ラストサムライ」もそうでしたが、日本映画が描けない日本の心を見事に描いています。感情を抑えた、心の機微に触れる台詞(しかも英語!)。抑えている分、泣けますね。映像も日本の美を実に鮮やかに表現している。終わった後もしばらく立てないで余韻に浸っていました。あなたの心に何かを残す作品。お薦めです。
これはこちらではMemoir of Geisyaという題でロードショーされていて、観たいなあと思っていました。 一部の日本人にはキャストが日本人じゃないから不評だったみたいですが、逆にだからこそ今の日本人が失ってしまった美を表現できるのかもしれません。私が最近はまっているオペラだとその作品の舞台である国出身の歌手が歌うとは限らないのが当たり前なので、個人的には抵抗はないです。 時間ができれば是非観てみたいと思っています。
KFC最年長(お歳は秘密)のひろこさんがついにBlogを開きました。このご婦人は英国のFaith03DVDにドアップで登場され、日本のリトル・レディとして有名になった方です^^
まったくゼロのキーボードから学ばれて、ワープロ、ネット、メール、そしてBlogへとチャレンジして来られたのですね。詩は私に送ってくださっており、ここでもちょっとご紹介しましたが、皆さんにもお読みいただけるようになりました。
信じて一歩を踏み出せば、何事もできてしまうわけです!
ウワ-はじめてのブログ
胸のときめき 高くなり 主に感謝
弱きおつむでも あきらめずに 歩む時
よき友が 救いの手差し伸べる
これぞ主が心動かされ してくださったこと
ハレルヤ!ハレルヤ!と主に感謝
大学は木曜日まで休みなので、ちょっとゆっくりできています。でもね、イロイロとやることがあります。一番気が重いのが帳簿付け。私は、教会の会計はもちろんですが、家計もこの10年ほどは複式簿記で記帳しています。家計簿は主婦の仕事と言うのが一般的ですが、収入と支出だけの記帳では不十分なのです。
お金の動きにはストックとフローがありまして、前者は貸借対照表(B/S)で、後者は損益計算書(P/L)で把握できます。これをキチンとつけますと、自分の資産と借金のバランスも、収入と支出のバランスも正確に把握できるのです。そして何よりもあらゆる必要を満たして下さる主の真実を知ることができます。不正の金でも友人を作れと主は言われますが、金に振り回されるのでなく、金を管理すること。これは神のエコノミーの一部です。
昔ドンブリ勘定でやっていた時代はお金については何となく不安がありましたが、簿記で自分の真実を把握できるようになってからは、漠然とした不安は解消しました。不安とか恐れは対象を明確に見抜いていないときに起こります。まずはその対象の真実を正確に把握すること。すると何をどうすべきか、明確な対応法も見えてきます。
ちなみに日本国の財政はつい数年前まで家計簿と同じで、フローしか把握していなかったのですね。国の貸借対照表ができたのはついこの数年のこと。一般会計80兆、特別会計200兆(これが曲者!)の日本の財政はまさにドンブリ勘定です。かくしてわれわれの年金原資もグリーンピアとかで消えているわけ。このドンブリ勘定を改めないで、増税の足音がヒタヒタと・・・。東大法学部出た連中には庶民感覚はありませんからね。東大こそ諸悪の根源なのだ!
(私は東大に対して文句を言いたかったので、東大に入りました。今人気の『ドラゴン桜』最終回の桜木健二の台詞はなかなかよかった・・・)
$FILE1_l今年はこの世もいろいろありそうですし、キリスト教業界はさらに混乱することでしょう。そんな中で、普通のオジサン・オバサンとして、当たり前の日常を淡々と当たり前に生きる。そこにおられるインマヌエルなる主の魅力をさらに知りたいと願います。よろしくどうぞ。
(写真は摩周湖です。ここはもう10回近く行っているのですが、いつも霧が晴れているのです。一度霧の摩周湖を見てみたいのです・・・。)
何となく部屋を片付けながら、掃除をしてと・・・。
いよいよ今年も終わります。今年はなぜか富士山に積雪がなく真っ黒でして、趣がありません。で、わが家のバルコニーから見た昨年の富士山の写真をアップしておきます。
では、みなさまも主にあって良いお年をお迎え下さい。
あ、TBどうもです。そちらのリアルタイムの富士は真っ黒ですね。伊豆の帰りに寄りましたが、雪はなくても道は封鎖されていました。
今年もよろしく。
富士は近づくほどに趣がなくなりますね。
ここからは迫力はかなりありますが・・・
主にある幸いな一年をお祈りいたします。
午後またまた映画。ニコラス・ケイジの『ロード・オブ・ウォー』。闇の武器商人の実話に基づく物語。結局彼らを利用して武器を途上国に売りつけているのは、アメリカ、フランス、イギリス、ロシア、そして中国の国連常任理事国。表の顔と裏の顔の乖離がすごいわけ。
で、これはニッポンキリスト教界も同じ。このギョウカイ、ビョウキの人々が群れている。表と裏の乖離はこの世以上のものがあろう。私もこの数年、ありがたくも様々な"すばらしい"評判と言うか、数々の"名誉勲章"をいただいた。この世からよりも、むしろニッポンキリスト教界の人々から絡まれるようだ。が、なぜか満足があるのだ。
それは主の御手の中に守られている証拠。病んだ世界で好評判を得ることが何を意味するかは自明のこと。自分自身に対するイロイロな告発に対しては争う必要がない。それは告発者自身の心の有様を露わにするだけだから。議論も同じ。相手の病理性を露わにすればよい。ただし真理に対する挑戦に対しては御言葉を語ることで対応する、が、相手が認めなければ、それは相手の責任なので、それ以上折伏する必要はない。こちらの姿勢として和解の可能性に対してはつねに開いておく。
そして淡々と主を楽しみつつ、寝ている時でさえも主と共に生きること。これで十分。後は「ハードコア」でも書いたとおり、淡々と御言葉を語り、淡々と種を撒くこと。「そうこうしているうちに種は育ち、刈り取りの時期を迎える」。その日に焦点をおいて生きること。こんなシンプルな生き方ができたら、これは大いなる祝福と恵みであろう。
2005年ともあと1日でさよなら。今年新たに出会った皆さん、また以前からずっと知っている方々、主の配剤で関わることができましたことを感謝し、それぞれの上に主の不思議な大いなる御手があるように祈ります。
with every blessing!
「告発に対しては争う必要がない。真理に対する挑戦に対しては御言葉を語ることで対応。その後は相手の責任。和解の可能性はつねに開いておく」。今の私に必要な知恵の言葉です。感謝します。
冬休みの残りの時、ゆっくり過ごせますように。

特殊合計出生数が最低更新の1.26。
国と地方自治体の借金800兆。
引き篭もり100万。
フリーター400万。
NEET(ニート)80万。
失業者300万。
自殺者3万超。
全世帯の1/5が年収200-300万。
全世帯の1/5が貯蓄ゼロ。
来たる2006年はいかなる年に?
あけましておめでとうございます!
データを見ると相変わらず日本、サムいですね。
確かに私もこうした日本の状況に心くじけていました。
将来の苦心惨憺な予感と、恐れに満ちていました。
日本の破綻、地震のうわさ、世の終わりに望む反キリストの席巻や迫害、野山をさすらう事なども想定した、苦心惨憺な将来まで想定して、ちょっとへこんでました。
でも、ある時気づいたんです。
イエスというお方と共に歩む人生を、何かカン違いしてないかと。
イエスは既に勝利され、それに連なる私たちは、その勝利の凱旋を共に歩んでいる。その姿こそが真理だと。
主にあって、例えこれらの中にあっても圧倒的な勝利者、これが真実なんですね!
イエスから目を離さず、決して朽ちる事の無い栄冠を勝ち取っていきたいと思います。
今年もまたよろしくお願いします。
こちらこそよろしくどうぞ^^
そうですね、真実は真実でして、これを無視することはできないわけです。イエスのフィルター無しに世を見ればまさに寒いわけですが、イエスに希望をおくと暖められます。今後、このネガとポジのコントラストがますます開くでしょうね。
本日ようやく年賀状を作成。いつもいつも伸ばし伸ばしになるのですね。でも、80年代からの年賀状(家族写真を載せているのです)を見ていますと、わが家の成長の記録にもなっています。子供たちの受験や入学・卒業など、時々が思い起されます。で、もうひとつ、お歳暮をいただくのですが、そのお返しの手はずに追われと・・・。なかなかやる事が途切れません。