No.3127の記事

戦争した方がマシ!?

帰宅途上の車の中で観た今日のNHK『クローズアップ現代』によると、ニートやフリーターの人々は現在の生活があまりにもシンドイため、むしろ憲法9条を改正して、軍隊を作って、徴兵してもらって、給料をもらって戦争した方がマシだと考えているらしい!?

私も憲法9条の改正は、あくまで自衛軍としては賛成だが、今の生活がシンドイから、戦争がマシだと言う短絡的発想に戦慄を覚えますね。私は自衛軍ができたとしても、戦争する気力は今の日本にはないとタカを括っていたのですが、こういった投げやり的戦争もありえるわけか。彼らにはある種の破滅への憧れがあるらしい。何だか、テレビゲームで負けが込んできたので、すべてをリセットしてしまうみたいなムード。

数日前にニートやフリータの諸氏が「国は生活保障をせよ」とデモ行進をしたらしいが、やはり彼らはどこか倒錯している。一方の国もニートやフリータ諸氏にちゃんと働いていただくために私たちの税から数百億円の予算を組んだらしいが、こちらも倒錯している。どこぞの大学も、ニートやフリータは社会のお荷物みたいな表現をして批判され、人権侵害を謝罪したそうだが、ホンネはどうなのだろう?この人権派と言う連中がニッポンの崩壊を助長してはいないだろうか?

そもそも彼らは価値観の据え方を誤ったのであり、それは何度も書いているとおり、自分を世間に適応させることに自ら失敗しているのであり(障害者たちのケースとはまったく異なる!)、それは自分が世間の一部であることを忘れた自己追求のなれの果てと言える。自分と自分の価値観や欲求をすべて、すなわち世間としてしまう倒錯の挙句に、戦争ですべてをぶっ壊した方がマシ、と言う破壊的幻想。

ニッポンは世も教界もやはり病んでいるし、この倒錯現象は癒し難いほどに深刻だと改めて考え直した次第。

Commented by Luke 2007年05月07日(月)21:09

う〜ん、こう書いてみると、私はやはりアンビバンレツな感覚を有しているな、と自分でも思ってしまう。

再建主義との論争の時もそうだったが、私は社会モデルとして、富井氏の言う新ダーウィニズム的リバータリアニズムにけっこう共鳴しているのだ。それは自己責任の世界であり、聖書が語るとおり、富む者はさらに富む社会。その意味ではフランスのサルコジ氏が、働かない若者を社会のクズだ、と呼んだことにも、実はけっこう同意している。しかしアメリカ型自由競争社会にも拒否感を覚える。

何なのだろうか、この内的相克は、と自分でも思っている次第。多分今の日本型社会主義は、本来援助すべきでない連中を、税を投入してまで援助して、かえってスポイルしていることに違和感を覚えるのであり、アメリカ型自由競争社会は、落穂までも貪欲に持ち去る冷酷さに拒否感を覚えているのだろう。

共にその根本に人間に対する無知と言う共通項があるのだ。これは人間性を無視したキリスト教神学も同様。その意味で思想と言うものはコワイ。これが私の基本的スタンスなんだな、と一応納得しておこう。

Commented by chohsuke URL2007年05月08日(火)00:57

今の若者世代のうちにカタストロフィへの倒錯的な感情があることは確かでしょう。
同時に、為政者の側にも、自身の無能さを棚にあげて、若者世代をスケープゴートにしている面があります。

私が問題と思うのは、本質的に社会構造の問題であるものを、個々人の心的あるいは人格的問題に還元してしまう言説です(例、ニート叩き)。
そのような言説は、結局は叩く側の「理解しがたい者たち」への感情を一瞬解消し、叩かれる側のルサンティマンを助長することで終わります。
つまり、双方がお互いの言説を「あいつらはAだ、だからBだ」の一言で叩き合う関係に矮小化してしまうように思えます。

参考url:
格差社会を容認する類の弱者が望むもの
http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/09/post_159.html

自尊心
http://www.journalism.jp/t-akagi/2007/02/post_193.html#trackbacks

Commented by イザヤ・ベン・ハー 2007年05月08日(火)12:20

個人と社会(国家)の関係は、前に再建主義論争の時にハードコア・セッションで議論したことが懐かしいです。スライド・バーのどこに均衡点を設けるか、フランスはやや右によって来たのでしょう。
http://www.kingdomfellowship.com/cgi-bin/a_patio/patio.cgi?mode=view&no=16

Commented by Luke 2007年05月08日(火)14:33

ずっと前にやはりNHKで特集を組んでいましたが、ニートの諸君が「働いたら負けだと思う」と言いつつ、カップラーメンをすすっていた場面が思い出されました。ここでも彼らは自分が「神」になっているわけで、乳児的な妄想的全能感を失いたくないのでしょうね。このような人々にとっては前から何度も指摘しているとおり、ネットは「神」となれる都合のよい場を提供してくれるわけです。2ちゃんねるの西村博之あたりは、その「神々」の元締め的「大神」なのでしょう(笑)。

Commented by Salt 2007年05月08日(火)19:08

いつも鋭い指摘と分析に多くの示唆をいただいております。

今回も,大筋においてはまさに同感です。

細部においては,若干Lukeさんとは違う視点でものを見ていると思うので,ひとこと書かせてください。

私はいわゆる「人権派」ではありませんが,人権教育に関わる者として,またキリストのしもべとして発言します。

まず,ニートとフリーターはひとくくりには出来ないと思います。また,フリーターをはじめ,パートタイマーや外国人労働者が産業構造のスキマを埋めている事実も見過ごせないので,雇用者サイドや富める勝ち組,そして為政者にはいっそう大きな問題があるのではないでしょうか。

また,家庭環境の問題や生まれながらに重度の障害のある方など,簡単に自己責任を問えない存在についても簡単に無視することは出来ません。障害者自立支援法などは,そのような間違った責任の問い方をしている具体例だと見ています。

自己責任は誰に対するどのような責任なのかを明確にする必要があるでしょうね。

それにしても今安易に憲法をいじくるととんでもない美しさを追い求めて猪突猛進しそうで,本当におそろしくなります。

ちなみに,私は論理的に破綻している現行憲法を美しいとは思いませんし,ガチガチの護憲論者ではありませんが,この時期のわけのわからない改憲には反対です。

それに世界中で「戦場で最も役に立ちそうにない若者」を育てているのは間違いなく日本ですね。戦場で役に立つことがすばらしいことだとは思いませんが,こういう現状は学力低下よりもっと大きな問題だと思っています。

Commented by サラ 2007年05月08日(火)20:35

 みなさまのコメントに内なるものが触れ、参加させてください。
 いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。
   マタイ10−16
 ルークさんがメッセージの中で、救いの極みを健全なバランスのとれた人間生活。そう語っておられると受け取っています。それは上のみことばが成就することでもあると思います。世の中に送り出された私たちは、主・イエスにあって泳ぎきれるのですね。
 ルークさんの感覚がとてもよくわかるのです。在沖縄ですから憲法9条は、コメント難しいのですが、甘ったれるな、とどうどうと言えたら気持ちいいなと思いますね。

Commented by Luke 2007年05月08日(火)20:51

皆さまの率直なご意見をうれしく思います。それぞれの立場からのご発言、見ている部分も異なり、また切り口の角度がいろいろでとても参考になります。こういった問題はある意味で現在進行形ですから、一定の結論は多分出せないのだろうと思っています。

私は元々が自然科学者ですから、物事をきわめて単純化する習性があるのですね。変数を本質的なものに絞り込み、その間の関数関係で事象を把握するわけです。しかし一方でSaltさんのおっしゃるとおり、「自己責任」と言う変数も色づけがいろいろできるわけです。

またニート・フリーターも個々の事情があることは想像がつきますが、私的には「甘え」と裏腹の「自己責任」の変数でとらえているわけです。また社会の側の変数(外性変数)を考慮する必要も当然あると思います。

多分、今の日本は現憲法による社会のフレームあるいは外延が、内包である国民の病理に対して、十分に機能できなくなっているのでしょう。私も安倍氏の追及する「美しさ」には、前から書いているとおり、かなりアブナイものを覚えています。ある種の怨念があるような。

この意味で、自然科学者から見ると、国家の運営はあくまでも社会工学として、人間の性能と限界をわきまえて、その本質的な変数を制御できるように、社会のフレームも、なるべく思想性と言うか怨念と言うか、そういったものを排除した外性変数とその制御システムを整える必要があろうかと考えるわけです。