最近の日記

堀江氏の逮捕

いざ実際になってみると、ちょっと虚脱感を覚えます。いい意味でも悪い意味でも、彼はお祭りを盛り立ててくれました。祭りの終わりの虚しさみたいな感覚を覚えております。PCゲームの目立つキャラが引っ込んでしまったような・・・。やや複雑ですね・・・。

祭りの終わりの大事な日に、イエスは立って叫んで言われた。誰でも渇いている者はわたしのもとに来て飲むが良い。

お断り

堀江氏が逮捕される公算が強まりました。ここで彼の件についてイロイロ論じておりましたが、ここまで追い詰められた人物をさらに云々することは不適切な感覚を覚えますので、一連の関連カキコを削除しました。ご了承下さい。

彼がある意味で若者の希望の星であり、古い体質の日本経済に風穴を空けた功績は大いに認めたいと思います。彼はある意味で無邪気過ぎたというか、学生のノリでうまく行き過ぎてしまったのだと思います。多分、彼などよりもよほど悪を行なっている人々がいるのでしょう。この意味で私自身もきわめて残念です。

彼が償うべきものを償って、また復活する日を待ち望みたいと思います。

二宮金次郎再考

前に金次郎の徳政にふれたが、リバータリアニズムの長所(自立性)を生かし、その過酷さ(1か0か)を避ける絶妙のバランスを彼は見せたようですね。案外ややこしい政治哲学などではなく、人の情が鍵なのでは?

落ちたホリエモン

勝ち組負け組みの話をしていたら、この事件です。彼についてはここでも苦言を呈していたが、やられましたね。ちょっと舞い上がり過ぎたようです。私は彼が「人の心は金で買える」と言った時に神の手を感じました。黙示録のバビロンでは、人の魂すら売買対象とされています。人間の尊厳に対する重大な挑発です。

ちなみに再建主義の富井氏は、これは検察のいいがかりであり、ホリエモンをつぶすなと力説していますね。ここに見かけ上似た国家モデルを持っている私との本質的違いが見えます。面白いことです。

真の豊かさ

インフルエンザはようやく収まりつつある。今回はやや重く、かつ長かった。ご心配いただきましてありがとうございました。

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救世軍の山谷氏とは不思議な縁がありますが、今回は大いに啓発をいただくことができ、主にあって感謝致します。ここでも何度も言及した「二分化社会」と「メガチャーチ」が「再建主義」をキーワードに整合的に説明できてしまうとは、実に鮮やかでした。私たちが真に対峙するアイオーンが新自由主義の姿として侵入しつつあるわけです。

何でも、氏の誇るところによりますと、救世軍仕官(=牧師)としての年収は、ご夫婦合わせて200万台。18万の手取りから3万の献金をされ、親子4人、月15万の生活をすでに15年間されているとのこと。信徒6名の牧会をされているようです。そのような生活をエンジョイすることを究めていると証しされている。(掲示板より)

私もかつて学生結婚し、長女が生まれる頃まで、年収170万の生活をしたが、今から考えると当時は実にリッチだった。しかしそれとは状況が違う。

今回メガチャーチの問題をするどくえぐられた山谷氏であるが、実際にこのような生き方をする主にある兄弟が、牧会の労を取ってくださっている知り、日本にはまだ希望があると大いに励ましを受けた。

主にあって敬意を表したいと思います。

エクレシアと各キリスト教

アップロードファイル 54KBキリストの体であるエクレシアの実質といわゆる○○・キリスト教界の関係と変遷についてシェマティクにまとめました。

巨大なフェイクの時代

われわれは何か巨大なフェイクを見せられているのかも知れません。アメリカの政治・経済もメガチャーチなどの礼拝も同じものを感じます。黙示録のバビロンには二種類があります。商業的バビロンと宗教的バビロン。

共にイエスのご人格とは乖離したものです。イエスはメガチャーチをご自身の栄光と感じておられるでしょうか?言うまでもありませんね。しかし今後多くのクリスチャンが欺かれるでしょう。否、大多数といえるかも知れません。ニッポンキリスト教に現象的な「リバイバル」が起きるすれば、それは間違いなくフェイクです。欺かれない者は幸いです。

欺かれない鍵はフィラルデルフィアの教会に対する主の言葉にあります。

二分化社会の病理

実を申しますと、私自身は、自分の身の預け処を藩から会社に変えただけの、明治維新以降の「一生面倒を見てもらう代わりに滅私奉公する」式の日本のあり方はあまり好きではないのです。勝ち組と負け組みが明確に分けられ、努力した者には十分な報酬と地位を与え、格差を設けるべきと思っているのですね。

今の小学校では走ってもお手てつないでゴールだそうです。一言、あほくさ。できるヤツを潰すのが公教育の現状。私は潰されてたまるかと、そこから抜け出るために努力したわけです。ただし、機会は平等。どんなに貧しくとも、「むしろバカとブスこそは東大へ行け!」の桜木の台詞に燃える方なのです。

おいおい、何だか富井氏的ノリになってきましたが、事実彼の主張にはかなり共感しているのです。今のニッポンキリスト教は負け犬であることが当たり前みたいな感じ。病者のためにキリストは来られた、病者であることこそ幸いであり、教会は病者を受け入れ、大切に省み、保護するべきだ。で、疲れ果てる先生たちが多いこと。あのですね、病者はキチンと医師にかかるべきなのです。

要するに言いたいことは、前から言っているとおり、現在の教会は倒錯しているのです。かくして富井氏は再建主義こそ教会再生のための唯一の真理であるとなったわけです。そしてエリート意識を秘めた人にフィットしますね。私にもフィットしますから^^

以前にも述べたことがありますが、これからの日本のあり方を予想するに、社会は多分リバータリアニズム的に進むでしょう。要するに適者生存で、勝ち負けが明確化する。で、教界にはそこから落ちた人々が難民となって流れ込むでしょう。しかし養うことができない。ヒューマニズムの砂糖まぶしで、教界はフラストレーションのはけ口と化して混乱するでしょう。

さらにもっと深刻な問題は、勝ち負けの判定をされることを避けて、すでに400万のフリーター、80万のニートと言う層があることです。彼らを教育するために国が数百億を使って、彼らに学んでいただき、働いていただくようにする。ここにも倒錯現象が起きています。

しかしサイエンティストとしての私から冷徹な法則を申し上げるならば、会社において真に仕事をするのは全体の20%の人。彼らが80%の大事な仕事をこなしている事実。日本の個人資産が1300兆あると言っても、その80%を20%が占める。(実はその60%を富裕な老人層が占めている。)この「8:2」の統計法則をパレートの法則と言う。これも前に言いましたね。

で、問題は昭和までの日本であれば、あまり役に立たない80%の人を食べさせる緩衝領域があったのですが、これからはこういった無駄な領域はカットされていく。分かります?再建主義に中間領域がないのと同じです。しかし組織論の専門家に言わせると、実は何も役に立っていない空気のような80%の人がいないと組織が機能しないことも法則。彼らの存在が20%を生かすのです。要するに組織あるいは国家にはアソビがないと機能しないのです。

これから日本はある種の実験社会へと突入することでしょう。景気も回復。株価も絶好調。見かけは繁栄が戻るでしょう。現に金は余って行き所を探している。しかし精神的・霊的には真空が残ったまま。オウム事件の時、Time誌が、日本の霊的真空に吸い寄せられたと論評していたが、多分、緩衝領域から追い出された人々は宗教や占いやオカルトや秋葉系などのオタクなどの妄想系世界へと逃げるでしょう。科学万能主義とそれにはまりたくない諸々の主義に二分化するのではないでしょうか。ここにもストイケイアが働いているわけですが。

山谷氏がアメリカにはメガチャーチがあるから身の置き所を確保できるが、日本にはそれがないと指摘されていますが、最後の身の預け所として天皇制です。二分化社会で両者とも疲れ果てて、やはり天皇の臣民として生きることが実は日本人にとってもっとも安楽であるとの共同社会幻想が復活する可能性が大きいですね。この時期に男系女系の論争が急がれているのも意味があるかもしれません。天皇こそもっとも大いなる緩衝領域となり得るのかもしれません。

二分化社会の到来の可能性

以前から私も予測していた、二分化社会の到来の可能性について、山谷氏が米国のメガチャーチのトレンドから分析しています。実に面白い。私もこのような社会システムに日本人は耐えることができるだろうかと前に問題提起しているが、こんなところにも聖書と言う真理の書を読み違えたやや狂気の入った再建主義が関わっていたとは!?一読をお薦めします。

見分けの鍵

どうもインフルエンザのようですが、胃に来ており、しかも味が分からなくなっています。この数日間、ウイダーゼリーとヴィタミン剤と牛乳でしのいでおります。お陰様でダイエット効果てきめん^^ただ、みなさんにうつしてはまずいので、明日のセレブは私はお休みです(集会はあります。主とみなさんにお任せ)。
 
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いろいろな「風」を見分ける鍵は何かとご質問をいただきました。そうですね、メディアが好んで取り上げるものはたいていよろしくない。なぜ、金が絡むから。そして最も本質は、

・世の霊:自己増長・拡大・主張・ニーズ・評価を受けることや煌びやかを好む
・主の霊:自己が小さくされる・低くされる・軽視される・争わず人々からの拒否無視を喜ぶ

ある方の教会でも「パーパス・ドリヴン」に副牧師主導でどっぷりだそうですが、その方自身は「この2年間ビッシリ学ばせていただいたら、十字架の死と復活がないものに目ざとくなったようです」と証しされています。でも、大変ですね。周りが踊っているのに、自分は踊らないのも・・・。

教えの風のルーツ

ニッポンキリスト教ががんじがらめのクルシチャンを大量生産することは明らかのようですが、その教えはどこから来るのでしょう?また「パーパス・ドリヴン」などの流行の風はどこから吹いてくるのでしょう。

パウロは言っています:

キリストの充満の〔持つ〕規模に到達し、もはや未成年者ではなく、人間たちのサイコロ遊びまがいの、人を欺き惑わすだけの奸計じみた教えの〔送り出す〕どのような風にも〔挑発されて〕荒波立てたり振り回されたりすることなく、愛にあって真理を語り・・・(岩波訳エペソ4:13,14)

この風のルーツは、エペソ2:2では「アイオーン」と訳され(岩波訳)、人格化された時代の霊であり、天空という権勢領域の支配者に従って、不従順の子らの内に働いている霊(アイオーン)」とあります。ガラテヤ4:3;4:9;コロサイ2:8;2:20では、「世を支配する諸霊(新共同訳;原語ストイケイア)」と訳されています。

つまりこの空中には何か霊的存在があり、彼らが人間にある種の考えのヒントを吹き込むのです。あるいは絶対主権者の神は、温度が原子運動によるにも関わらず、絶対零度でも原子運動を許していますから(論理的には矛盾。不確定性原理により観測の限界)、大脳の不確定性要因によって、何かのアイデアが閃くのかも知れません。前に述べた「間」の病理によって相互作用しているかも知れません。(私たち医学者からすると分裂病者や欝病者の幻覚や妄想が聖霊派のようにすべて悪霊由来とは思いません。大脳生理的要因があります。)

いずれにしろ、私たちの内に生まれたその種は、ここが大切な点ですが、私たちの肉を刺激するのです!十字架と御言葉を経ていない肉にとって気持ちがいいのです(肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢;これが私の言うヒューマニズムです)。この意味で私は「人間的教え」と言っています(新改訳では上の聖句も「この世の幼稚な教え」と訳しています)。つまり人間の責任を無視し得ないのです。かくして肉はふくらみ、論理的肉付けをなし、さらには御言葉の「裏づけ」まで取り付けて、ひとつの確固とした思想体系が構築されます。これが肉の要塞のひとつです(2コリント10:4)。これが風となって時代を動かします。ニッポンキリスト教などはまさに赤子のように吹き回されているでしょう?

では、この空中の権を持つ者たちはどこから生じたのでしょう。これは実は私のカレッジの「スピリチュアル・バイブル・リーディング」と「真理の探究」で詳細に述べていますが、創世記1章を開いて下さい。創造が6日でなされたことが書いてありますが、よ〜く、読んで下さい。第2日目に大空を分けました。他の日ではすべて言われている「神は見て、良しとされた」の句がこの日だけないでしょう?何故でしょう?ここでウォッチマン・ニーと言うよりは、そのルーツのG.H.Pemberは、このときに空中の存在者も解き放たれたのだ、と言います。ではそれまで彼らはどこにいたのでしょう?はい、これから先はカレッジをどうぞ(と宣伝してしまった^^)。

かくしてこれからキリストに充満されていないニッポンキリスト教は、ますますアメリカ産の油注ぎの器や、先生たちの流行の風に吹き回されることでしょう。加えてメディアがヨイショ記事で煽ります。株と同じで、メディアが煽ったらオシマイ。御言葉で啓示されている主の御心は、黙示録3章のフィラデルフィアの教会にあります。ご自分でぜひ声を出してお読み下さい。

見よ、私はお前の前に扉を開いたままにしておいた。それは誰にも閉めることができない。なぜなら、お前は小さな力しかないのに、私の言葉を守り、私の名前を否認しなかったからである(岩波訳)

扉は人がムーヴメントで開くものでもなく、力のあるメガチャーチを打ち立てることでもない。「小さな力」を主は尊んでくださるのです!欺かれてはなりません。

なお、リンクで紹介したMax&Sheilaは何と"Lerning to Spirit-led, Not Purpose Driven"をロゴマークにしてしまいました^^彼らも言っています:福音とは普通の人が偉大な救い主を知ることであり、私たちが偉大になることではないのです!

主の御心とは?

せっかくヒゲをはやしたものの、何とマスクをする際、ムズムズとして耐え切れなくなって、ついに剃ってしまいました(笑)。これは主がヒゲを伸ばすのをお許しにならなかったためで、そのために風邪も主によって許されたのです・・・と、言った「証し」が聖霊派あたりではよくなされるようであるが、私にとってはこれが主の御旨なのか単なる生理現象なのか、判断できない。

このような「証し」が嵩じると「御心を行なえ」→「聴き従え」となって、深刻な事態が生じる。「御心」って何?「聴き従え」って、誰に?かくして「御心」から落ちることや、不従順の裁きを恐れて戦々恐々として、とてもクオリアどころではなくなるわけ。こうして牧師センセイ様が教会のトップにお座りになられる次第。この根底にはパラノイドの病理がある。主から見捨てられる、裁かれるという恐れと不安。

主の御心は何でしょうか?主の御心はただひとつです。「主ご自身を知ること」。私たちの失敗において、主の憐れみを知る。私たちの不従順において、主の愛を知る。生きるにせよ、死ぬにせよ、あらゆることで主を知ること。主のクオリアに触れること。これが御心です。このことだけを動機のすべてにしているとき、万事はOK!

安心して罪を犯してください、とは言いませんよ、パウロも言っていますが。しかし罪の満ち溢れたところには恵みもさらに満ちるのです。不従順のある心には主の愛によるメルティング(溶解)があるのです。あなたは自我を砕かれたいですか。ニッポンキリスト教の「自我を砕き〜」から解かれて下さい。主よ、私の頑なさをあなたの愛のクオリアで融かしてください、と祈りましょう、ね♪

パーパス・ドリヴンへの警鐘

救世軍の山谷さんがとても重要な指摘をされています。人間の目に訴えるものは真理のようで、実はフェイクです。終わりの時代、流れに飲み込まれて欺かれてはなりません。

再建主義ウォッチング掲示板

発熱をおして・・・

この7,8年、熱なんて出したことがないのに、本日は二コマ講義が入っており、しかも学年末で補講期間がないので、ブルブルしがら講義しました。やつれている上に、ヒゲを伸ばしたので、『三丁目の夕日』の売れない作家のような風袋。学生が心配してくれて、彼らはやさしいんだあ〜涙。

というわけで、明日が1日休みですから、もう寝ます。