最近の日記

神を畏れること

テド・ハガードの件はやはり神の義の御手の介入を感じることができる。日本でも以前、私がホリエモンに対する神の御手の介入を祈っていたと書いたら、同氏のBlogに執拗に曝した人がいた。が、その同氏の裁判も本人主張を聞く段階に入り(以前強気のようだが)、佳境にさしかかっている(→記事)。また私は村上氏についてもこのように書いている。その彼もついにファンドを店じまいすることになったようだ(→記事)。

さらに失踪中だったらしい(訴状を受け取らないためのヤラセ)「2ちゃんねる」の管理人西村博之氏が、一昨日早稲田大学の学園祭で気を吐いたらしい。その収入は日本の人口よりもやや多いとか。そして裁判などは気が向いたら出向くとのこと(→詳細)。これだけ社会に陰湿な害毒を流しつつ、このぬらりとした爬虫類的態度には必ず神の御手の介入があることだろう。神を畏れるとはどういうことか、これらの「時代の寵児たち」が真に知ることを祈ろう。神は侮られる方ではない。

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アップロードファイル 28KBDVDサンプル映像を、アップテンポなノリのものから、しっとりとした臨在に触れる映像へと差し替えました。こちらからもご覧いただけます。(サイズがやや縦長になっています。)

ウイットネス・リーの問題点

「2ちゃんねる」に工作員と思しき方がスレを立てて下さっており、関連してご質問もいくつかいただいておりますので、この機会にちょっと触れておきましょう。彼/彼らはここもよくご覧いただいているようです。「2ちゃんねる」の方々も匿名の闇に隠れていないで堂々と対面で議論しませんか?私の方はすべてをさらしているのですから。

以前に公開していたサイトがGeocitiesの大幅な改変で更新ができなくなったことと、その内容があちらの微妙な変化によってやや修正が必要なので、現在作業中です。(山谷さんの立場がよく分かります・・・。)

1)まず「2ちゃんねる」のスレはおそらくリー・シンパあるいはローカルチャーチの人が、あえて私のクレジットを貶めるために立てたものと思われますので(しかしそんなに都合が悪いのかな?)、その内容にひとつひとつ応答・反論する必要はないでしょう。そこにすでに悪意がある以上、主の公義の御手にお委ねいたしましょう。

2)歴史的にウォッチマン・ニーはマダム・ガイオン、アンドリュー・マーレー、オースティン・スパークス、G.H.ペンバー、ジェシー・ペンルイス、特にJ.N.ダービーのブラザレンの影響を受けております。その原点はこちらです(→オリーブ園)。ちなみにこの管理者はローーカルチャーチの人ではなさそうです。以前にもここで申しましたが、私はローカルチャーチで福音に触れましたので、私のルーツおよびニーによって多大の影響を受けているコリン・アーカートのルーツもここにあります。

3)ウイットネス・リーの問題はこのような流れにあって、自らの偽りを、「真理の回復」として混ぜ込んでいる点にあります。完全な偽りであれば誰も騙されませんが、90%の真理に10%の偽りを混ぜると一緒に飲み込まされます。彼の教えの最も本質的な問題点は:

a)神は父・子・聖霊として区別された存在であるが(三の面)、同時に御子イエスは御父であり、キリストは聖霊である(一の面)。「三位格にして一つの本質」は三神論である。

b)善悪の木はサタンであり、その実を食べた時、人の体の中にサタンが内住した。これがローマ書の擬人化されている単数形の罪である。つまり人の肉体はサタンの住まいであり、邪悪である(肉=サタンの受肉)。

c)一方、神は人となった(第一の「なった」)。すなわちイエスとして神性と人性を混ぜ合わせた(mingling:ミングリング)。キリストはサタンをご自分の体の中に捕らえて十字架につき、サタンを滅ぼし、サタンを墓に残してご自分は復活された。かくして手順を経て「いのちを与える霊」、すなわち聖霊となって(第二の「なった」)、人の霊に住まい、私たちの人間性と神性を混ぜ合わせる。こうして人間は神になる(神化)。ただし神格は持たない。

d)教会は神と人が混ざり合った存在であり、イエスにおける受肉の拡大である。神と人(=教会)は混ざり合って、ついにはキリストとまったく同じ神・人(God-men)=受肉した神/肉において現れた神、となる。この完成が新エルサレムであり、それは神と人の混ざり合いの究極の姿である。

e)地上の教会は各行政区ごとにひとつだけ。これを「地方にあって合一の立場に立つ教会」と称する。正常な霊的生活、教会生活はこの立場に立つ教会「○○に在る教会」にあってのみ可能である。他はすべて分裂の教会であり、バビロンの娘たちである。よって例えば東京で福音を伝えるにはすでにその立場に立っている「東京に在る教会」に合流するしかないわけ。

f)ウイットネス・リーは現代の唯一の預言者であり、神は彼を通してのみ「回復の啓示」を与え、その御業を進めておられる。よってリーに逆らうことは神に逆らうことと同じである。個人的な罪は赦されても、神のこの行政に逆らう者は赦されず、裁きを受ける。

というわけで、おいおい私の元にある膨大な資料と欧米のサイトなども紹介しつつ、問題点を洗って行きたいと思います。とりあえず、前に紹介したRick Rossのサイトと、Christian Apologeticsを紹介しておきましょう。

追記:けっこう世界のあちこちで問題提起が起きているようですね。(向こうサイドのサイトもありますよ^^)

ConcernedBrothes
Nee,Lee&The Lord'sRecovery(ここで触れた諸論点について有益な議論がなされています。)
The Lord's Army

どうもこの20年間、彼らの抱えている本質的問題は時にいろいろな形で噴出すようですね。

神は無秩序の神ではない。

とあるのですが。

米中間選挙の行くえ

いくつかお問い合わせをいただいておりますが、BGMの曲はJarrod Cooperの歌声ですが、これはFaith Campのものではありませんので、アレンジがまったく異なります。つまりイージーリスニング用なのです。同じ曲ですが、アレンジが異なるとまったく別の曲にも聴こえますね。ポツポツと紹介していきましょう。

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アメリカの中間選挙が目前ですが、共和党の苦戦が伝えられる中、ネガティヴキャンペーンが盛んなようです。中には酷い中傷がありますが、あまりいただけません。

ちなみに中間選挙とは、米議会は上下院とも解散はなく、上院は任期6年、下院は2年で、上院も下院に合わせて2年ごとに1/3を改選するわけです。これと大統領選が4年毎ですから、大統領選のちょうど中間に選挙がなされるわけ。これが中間選挙です。

ブッシュはフセイン死刑判決を巡って高らかに自画自賛していますが、その支持率は地に落ちつつあります。共和党とキリスト教原理主義のガサツさが鼻についた6年間ですから、私的にも民主党に期待したい。しかし何だかんだ言っても、二大政党が機能している国ではあるわけで、わが国のオボッチャマ民主党と比べてうらやましい限りではあります。

なお、全米福音協会同盟(The National Evangelical Association)理事長テド・ハガードの問題は日本語でも読めます(→記事@記事A)。

この国の基礎

が着々と崩されています。エイズの原因であるHIV感染者数が最高となり、年に10%増加。これは先進国では日本だけ(→記事)。政府のテレビCMでも「元彼の、元彼の、元彼の・・・」という不気味なコピーがあるが、人と人との関係が着実に壊されていく。HIVの恐怖はまさにそこにある。単なる感染症に留まらず、人と人の関わりと信頼関係を壊すのだ。

この国は自由と放縦を履き違えている。私の友人の産婦人科医の話を聞くと女子高生あたりの実態が実に恐ろしい。自殺連鎖の原因である自己憐憫ミームによるマインド・ウイルスと共に、HIVウイルスも着実に蔓延増殖している。クリスチャンが「私は神のVIP」と浮かれる前に、腹の底から神への憐れみを叫び求める時が来ているのだ。

Kingdom Faithの新譜

アップロードファイル 20KBアップロードファイル 30KBアップロードファイル 23KB

Faith06-AMAZING(映像DVD+サウンドCD)、Move−By Appointment(for Youth)、King of Kings,Majesty(Jarrod Cooperセレクト)

Jarrod Cooperはわたしたちのテーマ曲でもある名曲『ユア・マジェスティ』の作者。いずれもお薦めです。希望者が多ければ少し入れたいと思います。DVD映像サンプルはこちら(画質は落としてあります)。

Dr.Lukeの一言映画評

アップロードファイル 6KB久々の映画鑑賞。『父親たちの星条旗』。クリント・イーストウッド監督作品。硫黄島上陸作戦のシンボルとなった一枚の写真の真実をめぐって翻弄された3人の帰還兵の運命を描く。

この有名な写真は太平洋戦争の帰趨を決定したが、それには隠された真実があった。が、政府とマスコミはこの旗を立てたとされる3人を利用して、戦争国債を消化しようとヤラセのヒーローショーを展開する。3人のうちのひとりはそれに乗り、自らの出世を画策する。ひとりは偽りに乗せられることに良心を病み、アルコールに溺れ、悲惨な最期を迎える。そしてひとりは淡々と人生を送るも、真実を一切語ることはなかった。

イラク戦においても女性兵士をめぐってヤラセ・ヒーロー物語を米国がでっち上げたことは有名だが、その体質はこの旗にも生きている。メディアもヒーロー話を好むものであり、美談や英雄譚をでっち上げていく。そのような時代の風向きに逆らって主人公に言わせる:「英雄などは世が必要とするから作り上げるもの。英雄などは要らない」と。けだし名言。

ちょうど朝にクリスチャンメディアのあり方に触れたが、彼らも金粉が舞ったとか、何それの預言が語られたとか、かまびすしい限りであるが、私に言わせれば、「油注ぎの器などは教界が必要とするから作り上げるもの。油注ぎの器などは要らない」となるだろう。普通のおじさん・おばさんとして、小さな真実の中に生きること。これこそが神の目にあってのヒーローなのだ。繰り返すが、「人が尊ぶものを神は忌み嫌う」。

ややトム・ハンクス主演の『プライベート・ライアン』と作りが似ているが、大人の鑑賞に堪える作品であり、12月に日本側視点から描かれた『硫黄島からの手紙』が公開される。楽しみだ。

クリスチャン・メディアの必要性?

アップロードファイル 5KB高々100万程度のパイしかないこのギョウカイに、いくつもの新聞や雑誌がありますが、皆さんどう思われますか?前に『世界が100人だったら』と言う本が出ましたが、まさにこれを地で行っているわけ。ちなみに、聖書の読み方が分かり、いのちの歩み方を知ると、聖書以外にあまり必要性を覚えなくなると、みなさんがよく言われます。

以前にニッポンキリスト教は「花見酒の経済」だと書きましたが、まさに八つぁんと熊さんの世界なんですね。つまりは「ゴッコ」なんです。私はいっさいのクリスチャン・メディアを見ていませんが、必要な情報は入ってきますし、霊的生活には聖書だけで十分。CDなどの広告も、一回3万だとして、これがペイするためには100枚売る必要がある。ところが仕入れは200枚程度ですから、経済学的にはナンセンスなんです。見方によっては、相互扶助、つまり「キリスト教的社会主義」とも言えなくもないですが(笑)まあ、クリスチャン・メディアの広告は別の動機がありますけどね。

そもそも現代社会は情報過多傾向ですし、ニッポンキリスト教では大勢の「耳年増」がいらっしゃるわけで・・・。これからは情報を得ることではなく、捨てることを心がけるべきでしょう。私たちの霊的生活にとって真に必要なものはそれほど多くはないのです。次の主イエスのことばがさらに重要になることでしょう:

あなたがたは何をどう聞くかによくよく注意しなさい。

プロの臭い

CTやそれに関連するCrossMapなどが出現した時、ある種の違和感を覚えた。それまでの閉鎖社会ニッポンキリスト教村とは異なる臭いを覚えたのだ。このギョウカイ、メディアも音楽も、何によらず、小学生の学芸会的な、あるいはごっこ的な素人っぽさが感じられるのだが、それが違った。手練られたプロの臭いがするのだ。ゴルゴ13でないが、プロの仕事とアマの仕事は明らかに異なる。単なる私の思い過ごしであればよいが・・・。

世の中何が起きるか分からない

通勤で湾岸高速をlizz wrightを聴きながら走っていると、見よ、中央分離帯のところに老人がふらふらと歩いているではないか。「えっ」と思ったのもつかの間。何と横断し出した!私は無事かわし、後ろのトラックも何とか。かくして大事は回避されたが、一瞬何が起きたのかと、呆然。で、慌てて車を止めて、緊急電話で通報したわけ。

おそらくは痴呆老人だろうが、前にも関越で老女がはねられ、バラバラの肉片となって発見された事故があった。何とも痛ましい限りだが、轢いた方も悲劇だ。最近のイジメ事件もそうだが、実は加害者と被害者は紙一重なのだ。

今、ニッポンキリスト教界で起きていること

表向きの華やかさと裏腹に、着々と偽りの侵入が試みられています。今後、何が真実で、何が偽りか、特に自己栄光を求める目は容易に騙されます。それを判断するためには、原点に戻ればよいのです。主イエスはどのように福音を伝えたか。国会議員などの有力者を集め、金をかけて、人々を動員して華々しくやったのでしょうか?

二つの道があったとき、どちらを選ぶかの基準は簡単です。低くされる道、見栄えのしない道、人が喜ばない道、人から嘲られる道、人が拒絶する道、自分にとって損失となる道を選ぶことです。そうすれば決して判断を誤ることはありません。たとえ人の目にとっては愚かであっても、神の目には賢いのです。欺かれない者は幸いです。

人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ。

北朝鮮のシナリオ

金さまが六カ国協議に戻るそうです(→記事)。相当に体制維持自体も厳しくなっているのでしょう。

今後のもっとも理想的なシナリオは、イラクのようにアメリカがミサイルを撃つことではなく、北朝鮮の国民がクーデターにしろ、革命にしろ、何でもいいですから、自ら金さまをターミネイトすることです。あのチャウシェスク政権のごとくに。そうすればイラクとは違う形で、自ら真の民主国家を築くことができるでしょう。

私はこのシナリオの実現を祈りたいと思います。

真の勝利とは?

昨日の「からさわ草」についてご質問をいただきましたが、実はこの花の写真、いつの間にかキャッシュに紛れ込んでいたのです。で、そのファイル名が"karasawaso.jpeg"だったわけです。どこで入ったのだろうか・・・?

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山谷少佐とCTの件は皆様が関心を持って覚えまた祈っていただいて下さるので、「後継者」が出て下さったようですよ^^相手と対峙する時に、押すばかりが能ではありません。まことの勝利は単細胞ブッシュの「行け行け」にはありません。主の十字架を見れば分かります。人の目から見てもっとも惨めな敗北が実は勝利なのです!

もう時間がけっこう経ちましたのでお話しても良いと思いますが、このBlogの古い読者の方はご存知でしょうが、かつて私のところにいた方が、ある場所(これも「2ちゃんねる」まがいの凄いところ)で、私のことを「ハーレムの牧師にして、KFCはカルトだ」とやり始めたわけです。その原因は、あることで私が彼をたしなめたためなのですが、それを「呪いの預言を受け、自分はうつ病になった」と騒いだわけです。

いやあ、人からこのような意図せざる粘着的な恨みを買うことは相当に気持ちのよいものではありませんが、しばらく静観していたわけです。そのうちその当初の問題もしかるべき手続きを経てちゃんと対処していることを知り、当事者に未成年者も関わっていたのでその将来も考慮して、除名処分を解除してあげたくなったわけです。

で、何と、よせばいいのに、愚かにも私自身がそこへ出て行ったわけです。案の定、牧師や教会に恨みを抱く人々から非難轟々を受けましたが(まさにニッポンキリスト教は病んでいることが分かります)、その際の彼の反応からみて、当初判断したよりも病理がやや深いこと、同時に彼の恨みは私に対する甘えと思い入れの裏返しであることが分かりましたので、こちらが全面的に降りて謝ったわけですね。かくしてDr.Lukeの面目は地に落ちることとなったわけです(削除をお願いして置きましたが、たぶんこの種の話は一部の人にとっては格好の嘲りのネタですから、いまだにそうなっていることでしょう)。

ところが数ヶ月して彼から祈りの要請と「自分が間違っていた、神に裁かれている、おゆるし下さい。もう敵とは思わない」と謝罪のことばをいただいたのですね。これはとてもうれしかったですね。私は「神は裁きませんから安心して、むしろあなたたちを理解して上げられなかったことを赦してくれたことを感謝しているんですよ。ちゃんと治療を続けて下さい」と申し上げたわけですね。・・・その後彼からは、「主が新しい次元に導いて下さった」とする証しのメールをいただき、安心したわけです。

これは私的には実に素晴らしい経験をさせてもらった事件でした。主イエスの十字架における屈辱は、私たちが主イエスに対してこのように申し上げる時に、主にとっての喜びに変わるわけです。イザヤ53章に「彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する」とあるとおりです。私たちを救ったのはまさに屈辱の中における「父よ、彼らを赦して下さい」と言う主の言葉だったのです。まことの勝利とは人間の目においては惨めな敗北と見えるところにあるのです。その事件の前後辺りでも書きましたが、それは自分を否む経験であり、否むことに比例して内側のキリストが生き生きと躍動する、きわめて甘美な経験なのです。

野の花を見るが良い

アップロードファイル 95KBこのところやや殺伐とした話題が続いたので、ちょっと一息つきましょう。人間相手でウンザリする時は、神が創られたままの自然に戻ります。ちなみにこの花、その名前を「からさわ草」と言うそうです(ほんとかな?)。

山谷少佐vsCTの件

山谷少佐がCT関連のログを一時的に封鎖されました。ご事情を伺っておりますが、一言で言えば、ご家族ならびに教会スタッフに対する配慮によるとのこと。これ以上の詳細は申し上げられませんが、お立場を理解致します。この業界、やはり怖いです。

ちなみに支持率7割近くを得ている安倍氏については、その表の顔と裏腹に裏に数々の疑惑がある。統一協会などの宗教組織との関係、○○団との関係、そして今回談合疑惑が出てまいりました(→詳細)。と、世の方はこういったことが個人Blogで書けるわけですが、キリスト教界ではそれすらもできない。倒錯していると思いませんか、皆様。