* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
ついにクリスチャン・トゥデイ側は山谷少佐が精神異常であると主張し出しましたね。
→Sola Gratia-信仰と宣教の自由を守る者たちの集い-
精神病者でも医師を逆診断する猛者もおりますが・・・やれやれ。
聖書本文批評学における写本評価の一つの原理として、「改竄は理解しがたい文脈を、理解しやすい文脈へとなされるのが自然だから、理解しがたい方が本物に近いと判断される」と言うものがあるようだ。その顕著な例として、マルコ1:40-44に
さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」
とあるが、41節の「憐れんで」は異本では「怒って」とある。また43節では、もっとキツイ単語が使われており、「その人を放り出そうとし、厳しく叱責して」となっているとのこと。
で、これらの写本のどちらがオリジナル(に近い)かを判断する際に、上の原理を適用すれば、優しく、憐れみに満ちたイエス像に合わせて、理解しやすい方へと改竄するわけだから、オリジナルは「怒れるイエス」だと言うわけ。これではニッポンキリスト教の何でも愛して赦してのニコニコ牧師の方がイエスよりもはるかに人格が丸くなるわけだ(笑)。しかしオリジナルなマルコの証ししたイエスは、ご自分の権威や能力や意志に対して異義や不信を唱える者に対しては、きびしく怒りを燃やすイエスなのだ。
う〜ん、これはなかなか面白い。私のイエス像とかなり合致するかも^^
再建主義の富井さんがまたまた面白いことを言われています。サタンは妻を狂わして、御国建設を妨げると。
・・・アダムの地上支配を邪魔するサタンの根源的な方法は、「妻を使う」ということである。我々が御国の働きを開始する場合に、奥さんがおかしくなっても驚いてはならない。突然、悪霊が取り付いたように夫に不従順になる。
・・・
あなたが、御国を地上に打ち立てるということを決意したら、奥さんに働くサタンに注意しなさい!
それまでのキリスト教を信じている間には働かなかった霊が働きはじめるから。
・・・
しかし、「地上支配を主張する」カルヴァン主義のキリスト教を一言でも唱えようものなら、サタンは奥さんに働きはじめる。
・・・
再建主義は、普通のキリスト教とは次元のまったく異なる運動である。それは、サタンのもっとも痛いところを突く働きである。だから、霊的な攻撃を受けることを覚悟しなければならない。
聖書にはこうありますね: 御国は私たちの内側に自然と育ちつつあるのです: このいのちのDNAが自然と実をならせますから、安心して主に信頼しましょう。聖書はこう約束していますから:
同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。
神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。
あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。
昨日紹介した本では聖書の写本の歴史や本文を再構成する手法などが紹介されており、知的にはかなり面白い。例えば一つ紹介しましょう。
1テモテ3:16に
キリストは肉において現れ、聖霊によって義とされ・・・
とあるわけですが、KJVでは と「神が肉において現れ、聖霊によって義とされ・・・」となっています。
God was manifested in the flesh, Justified in the Spirit...
この相違はどこから出るかということですが、ある写本を見ると"ΘΕΟΣ"(God)と言う単語を短縮形で"ΘΣ"(上に短縮の記号バーを付ける)と書くそうです。ところが写本を良く見るとこのバーが他の部分とは違うインクで書かれており、後代の付けたしと分かり、しかももっとよく調べるとΘの中の横棒は実は裏に書かれたインクの染みだと分かったとか!つまりここの単語は"ΟΣ"(関係代名詞のwho)だったのです。そこで正しい意味は、「肉において現れたところのキリストは聖霊によって義とされ・・・」と言うわけです。で、これでキリストの神性が削除されます。
皆さん、いかがでしょう。インクのシミとか、ちょっとできすぎだよと感じませんか?(松本清張の小説に油絵の中についていた昆虫の羽根が犯人特定の決め手になったのがあったが、何だか似てるぞ・・・)こうして新約聖書の中にはキリストの神性を明示している箇所はないのだ、と聖書本文学的には結論されるのだそうです。エホバの証人が喜びますね。
ここで問題は聖書テキストだけを相手にして信仰を持とうとする姿勢ですね。信仰は聖霊が内側で私たちの霊に働きかける結果として生まれます。すでに存在する霊的リアリティを語って下さるわけです。ですから原文はギリシャ語であったとしても、日本語訳に触れる私たちでも信仰を持ち得るわけです。白黒の文字で指し示されている霊的事実を実体化することが信仰の作用です(ヘブル11:1、ダービー訳)。かくして理屈を超えて分かるわけですね。そうでなければギリシャ語どころか、日本語すら危うい私たちのような者が救いに与ることができるでしょう。マックスウェルの電磁気学は4つの微分方程式で書かれていますが、それを知らずとも、あるいは試験でちょっと×と・を間違って書いてしまっても、誰でも電磁気の恩恵に与ることができるのです。それが眼です。眼の網膜による電磁気(光)の情報処理手法を知らなくても、単純に瞼を開ければ、光は入ってくるのです。視力は電磁波を実体化するのです。実にありがたいことです。と、思いません?
信仰は望む事柄の実体(substance)であり、見えない事柄の証拠(evidence)である(KJV)
『捏造された聖書』(柏書房)−ノースキャロライナ大学宗教学部長にして、聖書本文批評の専門家による聖書の改竄の歴史を論証した本。著者はもともと監督派教会出身。十代で「本物の"再生"を経験し」、儀式としてのキリスト教から脱皮し、きわめて熱心な福音主義かつ聖書原理主義クリスチャンとなり、ムーディーズ神学校から、ホイートン大学へと進み、ギリシャ語、ヘブル語、ラテン語を学び、ついに霊感されている聖書本文は存在しないことから、聖書学を学ぶほどに「信仰を保つことに困難を覚えるようになった」とのこと。結論として彼は、聖書はあくまでも人間が神についてそれぞれの意見を述べた書物に過ぎないと言う。
と言うわけで、学ぶほどに信仰を持てなくなる−何と言う逆説!?確かに写本しか残っていないわけで、現存する聖書のテキストに転記ミスや意図的改竄があるかもしれない。そこで福音主義では、原典において霊感された神の言葉であると信じる、とするわけです。リベラル系になりますと、まさにこの著者のように聖書は人間が神について記録した記事に過ぎないとなるわけです。実際、前にも書きましたが、処女懐胎をも信じない方々がいるわけです。聖霊派では御言葉はそっちのけで、「悪霊よ、出ろ〜」、「主は・・・と言われます」・・・。
いかがでしょう、こう言った本や主張で皆さんの信仰は揺るぐでしょうか。もし揺るがないとか言えば、妄信しだとか、MCされてカルト思考にはまっているとか言われるでしょうね。で、Dr.Lukeはどうなんだと問われますと、私はあまり葛藤は覚えないのです。なぜならそのお方こそが私の信仰の対象ですから。
パトリック・ジュースキント原作小説の映画化作品『パヒューム』。
以下はチネチッタの紹介より:
それは、昨日まで人だったもの。
舞台は18世紀のパリ。悪臭立ちこめる魚市場で一人の子供が産み捨てられる。名をジャン=バティスト・グルヌイユ。グルヌイユは生まれながらに体臭がなく、神が彼に唯一与えたのは、あらゆるものを嗅ぎ分ける驚異的な嗅覚だった。やがて彼は、天才香水調合師となり、世間を驚かせる芳香を生み出していく。時を同じくして、パリを震撼させる連続殺人事件が発生。被害者はすべて若く美しい娘で、髪を刈り落とされた全裸死体で発見されるのだった…。犯罪史上最も純粋な動機が彼を狂気へと駆り立て、そして物語は、かつて誰も目にしたことのない驚愕の結末へと向かっていく…。
11週間連続1位を記録したあの『パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト』を抜き、驚異の全世界BOX OFFICE No1!という記録を樹立した本作。原作は、世界45カ国で1500万部も出版された大ベストセラー、パトリック・ジュースキントの「香水 ある人殺しの物語」。永い間、最も映画化の待たれる小説として、その座に君臨してきた幻の小説で、スピルバーグやスコセッシがこぞって映画化権を熱望したと言われる話題の小説だ。その禁断のベストセラーが、『ラン・ローラ・ラン』の鬼才トム・ティクヴァ監督の手により、遂に完全映画化!未曾有の衝撃が、あなたの五感を貫く!(作品資料より)
確かに臭覚は大脳辺縁系の深いところを通るため、人格の深層と密接に関係していることは前にも書いた。ある意味世界の認識が匂いだけになった世界を描いてもいる。で、当初は単なる匂いフェチの人格障害者を描いたサスペンス物と思って観ていたが、ある場面で作者の意図が見えたような気がした。もしかすると私の思い過ごしかもしれないし、少なくとも聖書を知らない日本人には意味不明の作品だろう。その真偽を確認するためにも原作者の個人歴が知りたい。
女性の体臭に惹かれてそれを保存しようとし、若い女性を殺して体臭のエキスを抽出し、それらを調合して究極の香料を作り上げる。当時パリで流行していた「愛と精霊」などはインチキであるとして、それを超える作品を作るわけ。しかし殺人者として囚われ、処刑判決を受ける。が、その執行日、その究極の香料を振りまくとカトリックの司祭からはじまって、怒りに燃えていた群集がトランス(恍惚)状態に陥り、ひざまづき彼を天使としてあがめつつ、恥を忘れた行為に及ぶ。彼に最愛の娘を殺された父親すらも、「私は騙されないぞ」と剣をもって処刑台に登るが、その香によって逆に「私を赦して下さい」と懇願する始末。ついに彼の代わりに別の無実の者が処刑される。かくしてこの香料により世界を支配することも可能となるのだが、彼はパリに戻りオルレアン門から入る。と、自分の誕生した臭い場所において香料を頭から注ぐや、そこにいた人々が再び恍惚として彼を天使とあがめつつ、彼を、なんと食べてしまう!(すみません、オチを明かしました)
何じゃ、この映画は。単なるシュールかつグロテスクな猟奇映画?ここで思い起こすのが、ジョン・レノンの歌。「キリストさんよ、あんたの弟子たちはクサイぜ」と。そして牧師ですらキリストの生まれはローマ兵のレイプによるもので、素性の分からない私生児あると説教する昨今。愛と聖霊はインチキ。民衆が恍惚としてグルヌイユを崇め、彼が手を振るとバタバタと倒れる場面はついヒン様の聖会を連想してしまった。旧約の調合された香油はキリストの御霊を象徴する。キリストの香ははたしてキリスト教から発散されているだろうか。キリストの身代わりの処刑などはインチキであり、彼に赦しを請うことはかの父親のように愚かなことである。そして最後に彼は愛の証として人々に食べられてしまうというカニバリズムのオチ。イエスも言われた、「わたしの血を飲み、肉を食べるならば、あなたがたは永遠に生きる」と。そしてキリストの意味は香油を注がれた者。
いかがでしょう。この映画にはキリスト教の臭さ、いかがわしさ、ペテン性がこめられていると考えるとすべてが解けるわけです。確かにジョン・レノンが言うとおりキリスト教はクサイのです。しかし、ここで見かけのキリスト教を否定することによって、キリストご自身とその御業を否定しまう危険性を、聖書をなまじっか知っている欧米人は有している。すなわちイエス・キリスト御自身を知ることとキリスト教の一員となることの違いが分かることは幸いです。私はイエスを肉において現れた神と信じ、その十字架の贖罪に与るキリスト者ですが、キリスト教を信じているわけではありません。このお方に捕らえられた者であり、キリスト教の教義や神学や実行に捕らえられたものではありません。
イエス・キリストとキリスト教−歴史的にも後者は福音にとって多くのつまづきを与えてきたし、今もなお与えている。だからキリスト者である私にとってもジョン・レノンやこの映画の動機も理解できてしまう。昨年女性と裸で飛び降りた牧師も、イエスは好きだが、キリスト教は嫌いだと言っていたそうな。むしろイエスご自身につまづくならば、幸いなのだ。ここにイエスご自身を知ることとキリスト教徒になることの間には大きな溝が横たわっている。キリストはまさにその愛の動機ゆえに、私たちに食べられるほどに小さくなられたお方なのです。永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。
川内氏のあの立派な耳毛には感動した。歳を取るとちらちらと気になって、私などは丁寧に刈り取りをしている次第。その川内氏が水原弘について、「人はどん底まで落ちないと、下を蹴って上がることはできない。アイツを落ちるところまで落とせ」と言いつつ、「君こそわが命」を書いたそうだ。『巨人の星』の星一徹を彷彿とするこの手の逸話はけっこう好きな方でして、川内氏がただ単に因業爺ではないことが分かった。大下氏が「森さんは身を切る必要がある」と言っていたが、相当の腹をくくる必要があるのかも。別の評論家は「川内さんが怒っている間は希望がある。それは愛の現れである」という言葉にはかなり感動してしまった。主とパウロも言っている:
いつまであなたがたにがまんしなくてはならないのか!
ああ、愚かなガラテヤ人よ!
今のニッポンキリスト教からは、イエスもパウロも愛と忍耐が足りないと評されそうですが。叱責されることはけっこううれしいことなのです^^
茨城県のある姉妹との交わりが与えられ、4人で交わりの時が持てた。とてもリラックスして交わりをエンジョイできた。その中でS兄弟が教えてくれたウォッチマン・ニーの言葉を思い巡らしているところです。彼の生涯はここでも何度も紹介していますが、その彼がよく語った言葉:
・・・あなたは神です。
深いです。
う〜ん、"DREAM GIRLS"を観てはまってしまった。ビヨンセ。黒人と白人のハーフは独特の美しさがある。サウンドもディスコ調でおじさんでもノレる。夕食の席で娘たちと若かりし頃、ディスコにはまっていたことを話したら、ディスコって何?と。今はクラブ(アクセントに注意!)らしい。そしたら息子が割り込んできて、ビヨンセのCDをすでに持ってるとのこと・・・。負けた。それとアカデミー賞助演賞のジェニファー・ハドソンもスゴイが。
CT側からはどうもお約束いただいた財務諸表の提出がないようですね。このまま立ち消えになることをお考えなのでしょうか。そもそもあの会談を申し入れたのは高柳社長自身ですね。こちらはスケジュールを空けてお待ちしていたのが、最初のはCT側の一方的都合でお流れ。こちらの予定とかの配慮はまるでなし。
そしてようやく席についたところ、私どもにCT社の取締役になってもらっても良いとまで言われ、ならば当然のこと財務諸表は見せてもらえると思いきや、その約束が果たされないまま、山谷さんの妄想で終わらせようとしているようです。株式会社として、それも新聞社と言う公器を運営なされる人々の姿勢としてとても社会的に認められるものではありませんね。
高柳殿、山谷さんのクレジットを貶めようと画策することはよくある工作でして、私などもローカルチャーチがらみでそのような工作を受けておりますから、それ自体あなたがたの防衛策としてあえて何も申し上げませんが、このBlogを見て下さっている方も1日300前後もおられることをお忘れないように。あなたがたの言動は神と人の前で覚えられているのです。
どうもあなたがたのハイはイイエで、イイエはハイのようですが、もう一度おじさん心で忠告しておきましょう。ニッポンキリスト教界自体もそれほど正常とは思いませんが、その中にあってもまずは社会通念に則った対応をされますように。
このBlogを検索していただくとお分かりいただけますが、かなり頻繁に中国について触れています。元々禅にはまっていたために中国は好きな国でして、漢文の引き締まった表現に惹かれるわけです。またこの国からはウォッチマン・ニーなどの大いなる主の器も輩出されています。悪く言えば、何でもあり、よく言えば懐の深い国です。
で、先週の株価の世界同時大暴落。これが中国発でした。中国経済がすでにバブル化していることは指摘されており、中国政府が何かするのでは、とみんなが戦々恐々としているところに、枯れ尾花の影がチラっと差すだけで、ドドドーと雪崩を起すわけです。経済は心理学です。しかも日本はちょうど利上げをした直後で、何ともタイミングが悪かった。
大前氏は日本の低金利は異常であって、むしろ現代の世界経済はどれだけ金利を上げても耐えられるかによって国力が測られると主張しています。金利が高ければその通貨は強くなります。これは国力の反映であると。アメリカが5%台、ユーロが3%台。そこで円を借りてドルやユーロで運用して儲け、さらに円安が進めば返済金の経ると。これを「円キャリー」と言うらしいが、この反対決済が行われているらしい。つまりファンドが円を買っている。これで1日に5円も円高になるという事態に立ち至った。
こうなると輸出がダメージを受け、竹中氏が再びデフレに戻るリスクを指摘したが、物価上昇率も鈍っているらしいから、十分あり得る。経済は「風吹けば桶屋が儲かる」の世界。だれが風を吹かすのか・・・。政治的にも軍事的にも中国の影響が無視できなくなっている中、株や為替でも中国のパワーを見せ付けられたこの数日であった。この国が本当に目覚めたら、マグロが食えなくなるどころではなく、相当に深刻な事態になる。
まだ微熱が出たり引っ込んだりで、プールとサウナはお休み。ひたすらおとなしく。午後、恐る恐る外出して映画−『蒼き狼』。角川春樹の構想27年、制作費30億。豪華キャストによる一大歴史スペクタクル大巨編、圧巻だ!!!
・・・と言いたいところだが、一言、駄作。モチーフは兄弟より固い契りを結んだ幼馴染との裏切りと相克や(ベン・ハーだね)、出自を巡っての父と子の葛藤(万俵家だね)、そこにモンゴルの大草原での壮観な肉弾戦・・・。まあ、映像は一応観られますが。しかしあまりにも内容が稚拙。以前の『天と地と』のノリで、当時角川は『ベン・ハー』を超えたかったらしいが、とてもとても。今回も同作品のモチーフを入れたりもしているが、人間の深みを描くのが何と下手なことか。役者も反町隆史に菊川玲じゃあね。やたら仰々しい演技だが、学芸会のノリ。観た後のカタルシスも感動も何もなく、ただシラケた。角川映画だから大体予想はしていたが、しかしね・・・(ブツブツ)。
ご参考までに映画評論家の評です→コチラ(映画よりこの評の方がオモシロイ^^)
『SAPIO(3/14)』誌の関西大学李英和教授の記事によると、今回の6ヶ国協議のソフトランディングは、米国が北と密約を交わしていたことによるとのこと。面白いのはその秘密をばらしてしまったのは米国自身。金桂冠が会議の冒頭でいきなりマカオのバンコ・デルタ・アジアの凍結解除を持ち出したところ、米国のヒルがなんと「ベルリンの米朝会談で6者閉幕後に30日以内に解除することですでに合意したはずだ!」と激怒してしまったたとのこと。これでばれた。そこにいた他国代表は聞かなかった振りをその場はやり過ごした・・・と。アメリカの思惑は北の核がイランに流れないこと。米国は持っている国は攻めず、持っていない国を攻めるのです。前にアメリカはダブルスタンダードだから、心理戦になると書きましたが、今回は金さまの勝利です。
同教授によると、今後北は韓国において太陽政策系の大統領を立てるために、まず日本の安倍氏を来朝させ韓国を煽るだろうと予測しています。そのために拉致問題が有力なカードとして利用されるわけです。しかし太陽系大統領の擁立工作に失敗すれば、再び核を振り回すだろうとも予測しています。そのために金さまは今回はソフトランディングをしておいて、時間稼ぎをしたいわけ(つまり核放棄の可能性は限りなくゼロに近い)。なお『週間文春新潮』によると安倍さんと被害者会の関係もあまりよくないらしいですし、かくして日本はまた利用されるでしょうね。被害者家族がもっとも気の毒です。