No.749の記事

リズムの意義

7日周期で社会が回ることは、やはり神の知恵。この周期がなくなると、体はたまらなく疲れる。抜ける日がなくなってしまうため。今も私の精神と身体は100%脱力したいのだが、明日の仕事に備えてアドレナリンが分泌され続けている。

日曜日の午前10時からの礼拝だけが正規のものとか豪語する牧師先生もおられるようだが、私はとてもではないが、ついていけない(その気もないが)。日曜日の午前中はぐったりと抜いていたいから。

<日曜礼拝出席厳守+十一献金厳守+早天祈祷・断食祈祷+奉仕+伝道+デボーション+弟子訓練+セルグループ活動+役員・執事の職務まっとう+清く・貧しく・正しく+(次々に吹き込む)アメリカ産教えの風+・・・>それに加えて、妄想的かつ迷信的教え・・・

はあ〜、これでは日本社会においてキリスト教が広まるとは思えない。教界が<休むこと>と<楽しむこと>と<満足すること>、そして<ただキリストだけ>を教えるようになれば・・・と思ってはいるが、まあ、現状ではとてもではないが無理ですね。

ヘブル4:1−
こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれにはいれないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。

Commented by Salt 2005年05月22日(日)00:46

まったく然り。アーメンです。無音の隙間にこそリズムがあります。

うるさいどらや、やかましいシンバルは、愛とは関係の無い騒音ですね。

私のところも、午後礼拝に変えて、ずいぶん体が健やかになりました。