No.2631の記事

ふたつの裁判

ひとつはホリエモン裁判。結審法廷で涙の検察批判。無罪を訴える。株式総会でも泣いたが、なかなかの役者やの〜。これが有罪にならなかったら、日本の将来は暗い。村上ファンドも同じ。「私の自由勝手さ」と言う同じ臭いを醸す「2ちゃんねる」だのが蔓延すれば、どんどん日本社会の基礎が侵食されるだけ。

ひとつは胎盤剥離のオペで患者を死なせた医師の裁判(前にも書いたが)。彼の逮捕以降、出産を扱う病院がどんどん減っている。遺族は「絶対許さない。厳しい裁きを望む」とのこと。私怨が社会の利益を損なう。私はこの医師に大いに同情する。そしてあえて言おう、こんなことでこの医師が刑事で有罪になるとしたら、診療せざるにしかず。結局首を絞めるのは患者自身。軽率な誤診事例とはまったく違うのだ!

ムキになる対象と時を誤っているのだ。ちなみに藤田東吾氏の訴えでついにAPAの偽装が発覚。彼も告発者としてさんざんに傷を受けたが、彼は正しいのだ。こういった人物を別件で罰する司法は大丈夫だろうか。罰する対象と時を誤っているのだ。

しかし司法も立法も行政も結局は国民を写す鏡。国家は国民を超えることは絶対できない。あの『国家の品格』の藤原氏が、「日本の最大の敵は政治家でも官僚でもなく、国民自身である」と言っていたが、けだし明言。国民は自らの決断と撒いた物を刈り取る。これが法則。ニッポンは刈り取りの時期に来ているのでしょう。ついでにニッポンンキリスト教も。牧師は信徒を写す鏡ですから・・・。