No.1344の記事

主の御心とは?

せっかくヒゲをはやしたものの、何とマスクをする際、ムズムズとして耐え切れなくなって、ついに剃ってしまいました(笑)。これは主がヒゲを伸ばすのをお許しにならなかったためで、そのために風邪も主によって許されたのです・・・と、言った「証し」が聖霊派あたりではよくなされるようであるが、私にとってはこれが主の御旨なのか単なる生理現象なのか、判断できない。

このような「証し」が嵩じると「御心を行なえ」→「聴き従え」となって、深刻な事態が生じる。「御心」って何?「聴き従え」って、誰に?かくして「御心」から落ちることや、不従順の裁きを恐れて戦々恐々として、とてもクオリアどころではなくなるわけ。こうして牧師センセイ様が教会のトップにお座りになられる次第。この根底にはパラノイドの病理がある。主から見捨てられる、裁かれるという恐れと不安。

主の御心は何でしょうか?主の御心はただひとつです。「主ご自身を知ること」。私たちの失敗において、主の憐れみを知る。私たちの不従順において、主の愛を知る。生きるにせよ、死ぬにせよ、あらゆることで主を知ること。主のクオリアに触れること。これが御心です。このことだけを動機のすべてにしているとき、万事はOK!

安心して罪を犯してください、とは言いませんよ、パウロも言っていますが。しかし罪の満ち溢れたところには恵みもさらに満ちるのです。不従順のある心には主の愛によるメルティング(溶解)があるのです。あなたは自我を砕かれたいですか。ニッポンキリスト教の「自我を砕き〜」から解かれて下さい。主よ、私の頑なさをあなたの愛のクオリアで融かしてください、と祈りましょう、ね♪