No.1181の記事

自然人と律法

生まれながらの人、あるいは律法を持たない異邦人については、次のロマ書にある御言葉を見れば明らかですね:

2:14 律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行ないをするばあいは、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。
2:15 彼らはこのようにして、律法の命じる行ないが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。

これが私の言う「生まれつきの価値観」です。霊の残りが人にはあるわけですね。しかしパウロが言うとおり、善(神の基準)を行なう意志はあっても力がない。この力はいのちにより、いのちはいのちの御霊の法則に従って働き、この時、私たちの内に立法の要求が満たされるのです。これが神学の理論ではなく、御言葉そのものの啓示です。

Commented by Luke 2005年11月30日(水)10:59

いま拝見したら、ちょうどグッドタイミングで山谷さんもさらに詳細に論じておられます。

再建主義ウォッチング掲示板
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富井氏の頭の構造はちょっと常人とはかけ離れてきていますね、やれやれ。

Commented by Luke 2005年11月30日(水)11:10

富井さんの方は、聖書の話に心理学者が口を出すな、出すとロクなことにならない!と叫んでいます。自然科学の手法は通じないとおっしゃっていますが、さすがの神学音痴の私も、経験科学と啓示の違いくらいは知っております(「論考集」参照)。この方はどうも自閉症的世界で空転しますね。しかし段々と本質が見えてきました。

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