十字架は究極の脱力
- 2016/06/11 11:36
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:ファイス, 十字架, 死と復活, フェイスの法則, 霊的サイエインス
うーん、気持ちがイイ。力を抜いて千メートルほど。その後、露天のジャグジーで。とにかく気持ちがイイ。いつも思うのだ、なぜ泳げない人はおぼれるのだろう? ぼくには溺れる方が不思議。
フェイスも同じ。十字架は死と復活のサブスタンス。罪と死の法則からいのちの御霊の法則への転換。自我を砕きぃ~とか叫ぶクルシチャンたちは力が入っており、もがく、すると沈む。叫べば叫ぶほどドツボにはまる。
水と同じで、力を抜けば浮かぶ。その法則に乗るコツを得た人には、逆に沈むのが難しい。あえて沈めば25Mくらいは潜水できるが、それは不自然で苦しい。 死は究極の脱力。脱力すればあとは自動でいのちの御霊の法則が働く。死が働くとき脱力、それは安息。それはフワッと天へと引き上げてくれる。
十字架って、重荷でもないし、もがきでもないし、苦しさを我慢することでもないし、自我を砕きぃ~とかヒステリックに叫ぶことでもないし、ましてや病気や 貧困を耐え忍ぶことでもない。十字架はすべての病を癒し、われわれを豊かにしてくれる。しかもそれは軽い。なぜ? 究極の脱力だから。
キリスト教のマトリックスから解かれよ。フェイスの法則は霊的サイエインス。脱力すること、こんな安楽な道はないのだ! 老子の言う無為自然の道。まことにジーザスこそ道だ。