キリスト教原理主義者の定義とか?
- 2016/04/16 20:31
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:キリスト教, 原理主義
1910年にアメリカの長老派会議(General Assembly of the Presbyterian Church)では、次の5項目全てを信じる者を「キリスト教原理主義者」として規定し、極端なキリスト者の例としているとのこと、だ(⇒ソース)。
- 聖書が神の霊感を受けた書物であること
- イエスが処女マリアから生まれたこと
- イエスが罪の代価となって十字架上で死んだこと
- イエスの復活
- イエスの行った奇跡が事実であること
これらを否定して、どうしてクリスチャンって証できるわけ・・・。まあ、これが現代のキリスト教界のスタンダートなのかもしれない。なにしろマリヤはローマ兵にレイプされたとのたまう日本基督教団の牧師もいるのだから・・・。私の本などはそれこそ狂信的カルト本とされることであろう。まあ、そろそろそういった輩も当たり前にいる業界なのだと分かってきたので、いちいち応答したり相手したりするのも面倒なので、ご勝手にといったところなのだが・・・。(ホンネ:実質、彼らは神を偽り者とするとんでもない冒頭を犯しているのだが、自分が何を言っているのかわかっていない・・・)
とにかくややこしい聖書の裏読みみたいなことはそろそろやめて、素直に読めよと言いたいところだ。癒しがなされたら、その裏生地をひっくり返すような錯綜したオツムではなく、素直に喜び、主を賛美したらよかろう。ひねくれ者の聖書解釈とか、深い意味の解き明かしとか、聖書を暗号解読の書物にするなと言いたい。それはフェイスの世界にわれわれを導くのであり、現代文読解講座のためにあるのでないのだから。聖書はオツムや五感で取り扱ってはならない。そもそもがスーパーナチュラルな世界を開くための媒体なのだから。
フェイスは単純、神のレーマを聞く(受信する)、語る、従う。すると何かが起きる。主を賛美する。ピリオド。いろいろこねくり回して自分のオツムの分泌物を混ぜるなよと言いたい。まことにこうあるとおりだ。
神は人間をまっすぐに造られたが/人間は複雑な考え方をしたがる、ということ。-Eccl 7:29
ニュークリーチャー
大きな組織の人たちが、自分たちの値打ちを高めるために、複雑にするのかなと思ったりします。