信仰

驚愕!"クリスチャン・トゥデイ"はクリスチャン・トゥデイではない!?

何だか週刊誌の広告みたいですが、今山谷さんのBlogを見て驚いている次第。ダビデ張氏の指導の下、日本で高柳氏が興した新聞は、正確には何と『クリスチョン・トゥデイ』だと!?彼らは一体何者?

さてさて、これは面白くなってきましたよ(笑)。アメリカの正式な『クリスチャン・トゥデイ』(ちなみに雑誌の『クリスチャニティ・トゥデイ』ではないですから、念のため。しかしヤヤコシイ・・・汗)はダビデ張の"クリスチャン・トゥデイ"に抗議している模様。山谷さんもさぞかしこのパズルを解くことを楽しまれている事でしょう。

確かにロゴマークが違っている・・・。

色気のある人々

驚きましたね。ダビデ張氏の履歴。

大韓イエス教長老会合同福音総会長、SCC組織神学教授、クリスチャントゥデイ創設者、オリヴェット大学総長、フラー神学校インターネット宣教学会理事、そしていまや世界福音同盟(WEA)北米理事となった張在亨氏。

しかし山谷さんは

その張在亨氏が、自分を「来臨のキリスト」として若い学生に教え込んでいるという異端カルト疑惑を、小生はこれまで諸種の資料と証言に基づいて追及してきた。―少佐Blogより

このフラー神学校は最近ウイットネス・リーを正統であると宣言しているらしいのです。彼らもそれを盛んに喧伝しています。キリスト・李とキリスト・張と、何とも錚々たる顔ぶれですね(笑)。

そしてこのクリスチャン・トィデイの取締役に、現在教文館ビルでCTに間借りさせてあげている、万代栄嗣氏が就任されたとのこと。と言っても、私はニッポンキリスト教はほとんど知らないので、どういう方であるのかはサッパリだが、Mr.ドントウォーリーことVIPクラブの広告塔である国際弁護士佐々木満男氏が、「万代牧師が間借りさせてあげているのだからCTは白である」と仰っているほどの人物なのだ。ちなみに日本脱カルト協会理事の平岡師によると、張氏の教えは統一協会の教えの影響が大であり、異端であることは明白とのこと。

これらの教えの問題点に触れる事はココでは無理ですが、ここで一言、皆さんに簡単な質問をさせていただきましょう。上の煌びやかな肩書きや地位、これらの雰囲気って、まことに私たちの主イエスご自身の人となりに相応しいことでしょうか。今後、いやすでに日本でも国会議員を集めて派手に人目を惹いたり、地位や立場をひけらかしての"伝道"がなされることでしょう。これらの働きは、枕するところもないと言われ、大衆から捨てられた私たちの主イエスのご性質にふさわしいことでしょうか?

私は前から何度も申し上げておりますが、人の目に煌びやかなもの、人が喜ぶもの、人を高くするもの、人が願い求めるもの、これらのルーツはどこにあるでしょうか?霊的識別力を得るための条件はただ一つ。低いところにいること、人から歓迎されないことを求めること、人の目に魅力のない歩みをすること、神の願いを求めること。簡単に言えば、今日のニッポンキリスト教で歓迎されることと逆の道を選べば良いのです。

今日の格言:色気のある人は騙され易い

6月の予定

6月は3日に英国からThe Way of the SpiritのディレクターをされているPennyさんが来日します。何と1ヶ月の滞在。日本語を学ぶためです。

10日はKFC7周年と韓国の天声教会2周年と、Pennyさんのウェルカムパーティです。ワーシップと愛餐とフェロ−シップを楽しみます。

17日はTOWSを学んでおられる皆さんとPennyさんのフェローシップとします。カンファレンス形式でいきましょう。日本の各地におられる兄弟姉妹とPennyさんがぜひお会いしたいとのことです。詳細はまだつめていません。

23-24日は福島のMr.Sugarの山小屋。彼もドイツから帰ってきますので、お土産話を伺えます。都路牛と温泉を楽しむ予定。

というわけで、通常の形は3日のみ。場所は天声教会です。私たちも時々に攪拌される必要があるのですね。こうやって主が刺激を下さるので、常に新鮮におれるわけです。

支離滅裂なクリスチャン・トゥデイ

花の金曜日。午後はしばしの自分の時間が取れるわけで・・・。いつものiTunesからのJazzが軽快です。

それにしても、CTのやっていることと言っていることが、一層支離滅裂になってきていますね。山谷さんに和解を申し込んでいる一方、CTのサイトではクリスチャン新聞の根田氏に対しても法的措置を取ると威嚇しています。またあの不気味なSola Blogはそのまま。名前が「ただ恵みのみ」と言うわけですが、その内容との乖離性がすごいわけで。このBlogは高柳社長自らのものですが、このようなものを堂々と出してしまう神経がすでに・・・ではあります。ニンニクの臭いに満ちた場所にいる人は、その臭いを発散させているのですが、本人はその臭いに気がつかないのです。

Christian Today紙での声明文

Sola Gratia Blog(高柳氏のBlog)

山谷氏のBlogでの和解申し入れ

しかしこのようなメディアに対して無防備に露出する人々も後を絶たないようです。自らを売り込みたい人と、CTの思惑がうまく合致することによって、この手のメディアは成り立つわけです。まさに蛇の道は蛇。彼らの霊的識別力の欠如はいかんともし難いものがありますが、これがある意味、ニッポンキリスト教の現実でありましょう。

ウイットネス・リーの"悔い改め"

ローカルチャーチでは非常に面白い病理的現象が起きております。まさにカプセル化の病理の典型的症例ですね。詳細は情報サイトの中のこちらを。

ここにも現メンバーの方々が来られており(監視員や工作員もいるようですが・・・笑)、中には離脱した方もいるのですが、コントロールされた情報によるのではなく、ぜひ目を開いて、自ら読み、調べ、考え、真実と対峙してもらえたらと考えています。

まあ、クリスチャン・トゥデイもそうですが、ローカルチャーチも、自分たちの正しさを声高に叫べば叫ぶほどに、その行為によって、自分たちの本性を現してしまうわけです。言葉はいくらでも繕えますが、行動はできませんね。この乖離性が彼らの病理そのものですから。

と言っても彼らには理解できないでしょう。分かっていたら、一千万を要求して調停などしないでしょう。まさに墓穴を掘るとはことのことです。裁判に出たら、まあ、それでジ・エンド。その意味ではローカルチャーチの方がまだオトナかも知れません、一部を除いては。

壊れている日本

昨日のコメントの「日本が壊れている」にご質問をいただきましたが、最近の嬰児を山林やゴミ捨て場に捨てる若者や、赤ちゃんポストに3歳児を捨てる父親などを見ると、その意味がお分かりいただけると思います。堕胎は、正式なもので60万件、闇に葬られるのを入れるとその倍から3倍と見積もられています。

HIV感染も、原因ウイルスや感染様式が不明であった80年代ならいざ知らず、昨今ではそれも明確にされ、何をどうすれば感染が起きるかは、誰もが知っているはずなのですが、先進国では日本だけです、これだけの感染者数増加率を示している国は(→こちらも)。

HIVの問題は、その感染経路がモラルの問題と絡んでいるわけで、ソレを守れば感染は簡単に防止できます。つまり自由意志の要因が実に大きいのです(もちろん血液製剤感染や親子間の垂直感染のことを言っているのではありません)。また離婚してから300日間で生まれた子供の認知の問題にしても、みのもんたも言っておりました、「もうちょっと待てないのかねぇ、作るの・・・」と。

総務省のCMに「元カレの、元カレの、元カレの・・・」と言うコピーがありましたが、これは人間関係を根本から不信と絶望に陥れるこの病の不気味さを表しています。この意味で、この国の根幹が問われているわけです。人の道として、してはならないことをしない。これがHIVの蔓延からこの国を守るすべてなのです。

前から言っていますが、「個」が確立していない社会には「公」もあり得ず、そこに見せかけの自由を導入した結果でしょう。しかし自由には必ず結果が伴いますし、人は撒いた物を刈り取るわけです。このことを真に理解しないとこの国は滅びます。

注意:感染者のケアはまた別の話ですし、15日に死んだアメリカ・キリスト教右派のジェリー・ファルウェルのように、エイズは神の裁きだとは言いませんが。

クリスチャン・トゥデイその後

山谷少佐に対して、一千万円の損害賠償金を求めて民事調停を起したCTは、前回少佐に蹴られたものの、再度、調停への呼び出しを行ったようである。これに対して少佐はキッパリと調停を拒否する意思表示をしている。CTもいよいよ裁判に出るしかないところまで追い詰められたが、本件についてはキリスト新聞、クリスチャン新聞、リバイバル新聞がいっせいに記事にする模様。クリスチャン新聞はすでに今週号で報道したようだ。韓国メディアでもすでに本件は報道されており、思いのほか、各方面に影響を与えている。他にも水面下の動きはイロイロあるが、ここでは書けない。さて、CT高柳社長はどう出るでしょう?いや、現代の"キリスト"ことダビデ張氏の意向次第でしょうか?しかし、少佐が指摘されるとおり、どうも彼らは秘密裏に事を処理したいのがホンネのようだ。

ザ・ローカルチャーチ情報

すでに情報サイトを開いていますが、こちらでも少々。

タイタス・チューは大陸にいる頃からウォッチマン・ニーの親密な同労者だったのですが、五大湖近辺の諸教会の若者をロックミュージックによる賛美で堕落させた上、ただひとつの出版部門(Living Stream Ministry)があるべき「主の回復」で、自らの雑誌を発行し、自らの本の出版をして、「主の回復」の"ブレンドされた兄弟団"に服さず反逆の業をなしたということで検疫されました。

で、そのワーシップには、例えばカルバリーチャペルの「マラナサ」の曲などもあるのですが、そのライブ映像があります。これらをLC側は堕落の集会と断罪しているわけですが・・・。

ビデオBlog
オーディオBlog

いかがでしょう。わがKingdom Faithのワーシップなどはどうなってしまうわけでしょうか?同じウォッチマン・ニーから影響を受けていても、えらく異なりますね^^そもそもウォッチマン・ニーが説いた「地方性」は、各地の教会が主の前に自立することでした。ひとりのパパ様も、指導者もなく、理事会などの決議によって動くのでもなく、それぞれの諸地方の教会が自立して、直接に主に対して責任を負うことだったのです。これはJ.N.ダービーのプリマス・ブラザレンでも唱えているところです。ところがLSMと"ブレンドされた兄弟団"に従わないと反逆者として全世界の責任者の連著により、検疫されるわけですね。

最近英国でも教会の地方性を言っていますが、それはキリストの体のある地方における現れのひとつが自分たちであると言う意識です。"ONE OF THEM"です。主の体の表現はきわめて豊かですから、私たちはその中のひとつに過ぎないのです。つまりクリスチャンの交わりはすべて一般名詞のローカルチャーチです。しかし彼らは、・ローカルチャーチと化しているわけです。それはつまりある時代にはひとりの務め人がおり、彼が見た幻が真理の回復であり、ひとつのビジョン、ひとつのミニストリー、ひとつの出版部門、ひとつの心、ひとつの実行によって定義されるわけです。

現在、ウォッチマン・ニーが生きていたら、この事態をどう見るでしょう?

よみがえりの信仰!?

先日癌で亡くなった方は、患部が腐り、悪臭を放つようになっても、なお医学を拒否していたようです。最後にモルフィネを打ってもらうために病院に行っただけだと伺いました。モルフィネを扱うには医師もその資格が必要なのです。立派と言えば、立派なのかもしれませんが・・・。

しかも、驚くことに、周囲の人が"よみがえりの信仰"を持っていたとのこと!?先にベニー・ヒンの元に死者を運んでくると書きましたが、ニッポンでもすでに、と目が点になった次第。

ペンテコステ・カリスマはまとめて聖霊派と呼ぶそうですが、どうも私どもの信仰とは違うものになっていませんか?金歯が生えたとか、金粉が舞ったとか・・・。それとも私どもの信仰がヘンテコステなわけでしょうか?いやはや、この業界、ますます倒錯現象が激しくなっているようです。

今週のメッセージ

はColin Urquhartの「神から受けること」の同時通訳です。40年間のミニストリーを通じて、神と人々に絶えず自分を注ぎ出し、時にはもう何も注ぐものがないところまで追い詰められることもありました。が、自分の何かが尽きてしまう時、神の新しい霊的次元が開かれ、いのちのリフレッシュを得て、新鮮なアノインティング(油塗り)を得て、また前進することができるわけです。こうして私たちのキャパが広げられていきます。

昨今の、自己(Self)をすべての基準とし、自己を大切にし、自己の利益を求める、煌びやかないわゆる「繁栄神学」などが、特にアメリカで流行していますが、その風潮に対して警鐘を鳴らしています。私たちはすでにキリストにあってすべてを得ていますが、それを経験するためには、私たちが自分の十字架を取り、自分を否むことが必要です。自己に仕える人からみれば、立派なカルト思考となるでしょう。しかし主イエスご自身が

わたしに従いたい者は、自分の十字架を負って、自分を否みつつ、わたしに従ってきなさい

と言われるのです。問題は間違った十字架を負っていることです。信仰の究極はキリストを選ぶか、自己を選ぶかになります。バプテスマのヨハネが言うとおり、「私は小さくなり、あの方が大きくなる」こと。

今後、この世はいわずもがな、キリスト教会でも牧師たちが自己をすべてとする人々の肉を喜ばせ、人間を喜ばせるメッセージを語り、自己をすべてとするようになるでしょう。いや、すでにそうなりつつあります。かくして自分の何かや自己の達成を誇る自己栄光化の霊が広く蔓延することでしょう。

実際、私がニッポンキリスト教においてどうしても理解できないことがあります。それは「すべての栄光を主にお返しします」と言う台詞です。とてももっともらしく聞こえますが、ここには巧妙に自己が忍び込んでおり、自己の臭いがするのです。なぜ、「お返しする」のでしょう?自分が持っていたからでしょう?栄光は元より神のものです!

もうずっと前に書いてきていますが、今、クリスチャンがふるわれる時代に入っているのです。何を第一とするか、それぞれの心が明らかにされる時代です。

自己愛の病理を脱する十字架の道

ご紹介-Colin UrquhartのNEW CD-

アップロードファイル 66KBやや生臭い話が続きましたので、ちょっとリフレッシュを。英国Kingdom FaithColin Urquhartの新しいCDセットが出ました。題して"The Gospel of John"。ヨハネの福音書からのメッセージです。紹介を紹介しておきましょう:

FOR MANY YEARS PASTOR COLIN HAS STUDIED THE DETAIL OF JOHN'S GOSPEL AND HAS AN INTIMATE KNOWLEDGE OF EVERY WORD AND PHRASE. IN READING THIS GOSPEL ACCOUNT FROM THE NIV, HE BRINGS IT ALIVE FOR THE LISTENER AND OPENS UP THE OPPOTUNITY FOR FRESH REVELATION OF THE WORD OF GOD.

ディスペンセーション主義の本質はサタン教である

と再建主義の富井さんがおっしゃっていますね。

いつものことだが、私と議論すると、その人の信仰の内容が明確化される。
それまでキリスト教であると思っていたものが、私と議論を戦わせるにつれて、実質的にはサタン教であるということが明らかになってくる。
意固地になって、自説を主張し続けることによって、ますます「サタンが王であり逆らえない」という敗北主義を強く主張することになる。

う〜ん、すると私なども立派な「サタン教徒」になるのでしょうか!?

やれやれ。ローカル・チャーチでも人の体にはサタンが内住すると言うのですが。私などはサタンに唆された反逆者となるわけですね。加えてクリスチャン・トゥデイに、再建主義にと・・・。何ゆえか、絡まれてしまうのですが、この業界、カナリ疲れることが多いようであります(汗)。

お知らせ

午前中から4時過ぎまで四谷にて仕事。帰ってからプールとサウナ。やはりこれでスッキリと・・・。すでに一種の中毒かも知れません。

さて、韓国系カルトの摂理の教祖チョン・ミョンスクが中国で逮捕された模様。韓国では10,000人の女性に対して性的暴行を働き、日本でも100人の被害者がいるようだ。脱カルト協会でも情報が回ってきているが、一昨年の聖神教会を初めとして、この手の隠された話題は多い。

で、件のウイットネス・リーのローカルチャーチ(主の回復、地方召会)でも、かつてリーの息子が10数年に渡って姉妹たちに対して性的陵辱を行っていた。ところが父親であるリーはそれを見て見ぬ振り。エリの末期と同じだった。かえってそのことを糾弾した長老たちを検疫した。その息子フィリップも最近死んだそうだ。彼らもすべてを時の流れに封印してしまいたいのだろう。

前から懸案であったウイットネス・リーに関わる真実を集めた情報サイトが、まだ8割方ですが、とりあえず見切り発車いたしました。私の手元にはこの倍以上の情報があるのですが、何分体力と時間が追いつきません。最近はやたらと"反逆者たち"の検疫が次々に行われております。

それについて彼らの側の声明も出ておりますが、これを読むとまさにどこぞの国の粛清を髣髴とさせるような雰囲気。日本語での糾弾集会も公開されていますが、「個人的な意見を持ってはならない」として体制維持に汲々としている様が分かります。こんなものを堂々と出してしまうわけですから、彼らは閉鎖社会のカプセル化現象で私たちとは感受性がずれている証左なのですね。

というわけで、今後皆様におかれましても、「福音主義の中の福音主義」を自称する彼らとの接点も増えると思いますので、情報を得て備えておく必要があろうかと思います。それにしてもクリスチャン・トゥデイがウイットネス・リーの主張に基づいて自分たちの正統性を訴えるとは、思いもかけない展開でありましたが・・・。

ウイットネス・リーの地方教会(召会)・主の回復情報サイト

注ぎ出すことの祝福

下にも書きましたが、ニッポンキリスト教にあっては献金が大きな躓きになっているようですね。特にいわゆる1/10献金を強制されて、それで相当にまいっている人や、神に呪われるのが恐ろしいとか、さらには恨みを抱いている人などが多いようです。

実は、自分の何かを捧げること、さらには自分自身を注ぎ出すことあるいは自分を無にすること―これはもっとも大いなる祝福なのですが、キリスト教と言うシステムの中ではあまり味わえない経験のようです。私も献金では主を試みたことがありますが、御言葉どおりでした。

どうもニッポンキリスト教で躓きますと、「自分を注ぎ出す」などに対しては、「Dr.Lukeはカルトだ」とか言いたくなる人もいるようですが、そのような心の状態は貧しく哀れなものです。自己をすべて("神")とする人の兆候です。

英国のKingdom FaithのColin Urquhartが最近のメッセージで、自分を注ぎ出すことの祝福をシェアしています。よろしかったら、お聴きください。またウォッチマン・ニーの言葉も紹介しておきます。

"Receiving from God" by Colin Urquhart

働きに倦む時に by ウォッチマン・ニー