最近の日記

リクエストに対するお答え

ある方からメールで次のサイトを見てコメントをとのリクエストを受けました。

・京大名誉教授がID(Inteligence Design)にはまった記事

・文鮮明に対してニッポンの知識人・文化人が賞賛の声を送っている記事

彼女はこれらの記事に対して、「日本の学識者ってどういう精神構造なんだろうとタダタダ驚き入っています。」と嘆息されている。でも、私からすると別に驚かないのです。大学の先生や学者で"変なこと"(私たちクリスチャンから見てですが)にはまる人はかなり多いのです!むしろインテリは論理的整合性によって容易に騙されるもの。

(影の声:私は寅さんの啖呵、「とかくインテリと申しますは、テレビの裏の配線みたくややこしいので、イロケが頭に上ってイロノーゼになります。そこいくとあたしなんざあ、配線が1本だけでございますから、頭を叩くとコーンとイイ音がするんでございます」が大好きなんですね。)

IDについては、いつもながらアメリカで流行しているようですが、愛にして義であるGodを認めたくなくても、自然の巧妙さを知って"何か"を認めざるを得なくなったインテリにちょうどイイ理論ですし、文鮮明に加担する人たちは金と政治の問題です。アメリカの有名どころの牧師たちや団体も統一教会から金をもらっているのですから。そのうちニッポンキリスト教でもIDが流行り、統一協会からの献金で会堂を建てるかもしれませんよ。

最近のBBSは「ナンデモアリ」であまり見たくないと彼女はおっしゃっていましたが、いや、ホント教界も何でもアリになるでしょうね。今のままの情勢だと。そして真理を語るほうが、心が狭いだの愛がないだのとカルト視されることでしょう。現にウォッチマン・ニーや、何とニール・アンダーソンまでがカルトとされているようですから・・・。

この世にも教界にも淫靡な霊的倒錯の世界が訪れようとしているのです。霊的秋葉系というべきか・・・。

やや失望しました

今回BBSにあるとおり、再建主義の富井さんが私の文章を引用し、私が語っていないことを語っているかのように批判された。例えば、モーセ律法を悪者扱いするとか、律法は破棄されたから人間の標準で何でも自由にしていいのが恵みであるとか、私が語っているかのように。

反対に私が語っていること−例えば、モーセ律法はいのちの御霊の法則によって、つまり信仰によって全うされること−については一切無視されたままだ。そして彼のサイトで公に的外れの批判がなされているにもかかわらず、こちらはそこにカキコができないと言う不合理な状態がある。他人を批判し、後は一切シャットアウトといった非常識は少なくともアカデミズムではあり得ない。(常識の問題と言う前に、そもそもモーセ律法の義に反する思うのだが・・・)

喩えて言えば、私が「1+1=10」と書いたことに対して、「お前は間違っている。1+1=2だ」と批判し、私が2進法を用いていることを無視するようなもの。実は今回の機会をとらえて、彼との積極的な交流をと期待したが、どうもその後何らのレスポンスもいただけない。残念なことである。私は彼をかなり評価しているのだが。

かつて富井氏と救世軍の山谷氏が大論争を繰り広げた。互いに自説を主張し合って、今回と同様に富井氏が山谷氏をシャットアウトしてすれ違いに終わったが、その論争から学ぶべき点が多々あったので、今回もそのつもりでいたのだ。ただ御言葉がすべてを露にするので、私はこれ以上追求するつもりもないが(そんな気力もないかな・・・^^)。

思うことは、前に「最も本質的なこと」としてディスペンセイション主義者と再建主義者の論争のあり方を論じたが(論争自体は大いになされるべきであるが、そのあり方はかなり病的である)、その時も、また今回も感じることは、ニッポンキリスト教には知的にはかなり高い資質を持ち、聖書の解釈や神学をよく知っている人はそこそこいるが、情緒的に成熟した大人はあまりいないと言うこと。むしろ情緒的にはきわめて幼い。

ニッポンキリスト教の諸悪の根源はこの情緒的な幼稚さにあることを痛感している。神学の問題ではなく、精神病理的問題なのだ(私は、どの神学を選ぶかはその人の精神病理と密接に関係していると感じている)。いのちの成熟がない。私たちに必要なのは成熟した繊細な霊的感受性なのだ。

妄想と現実の間の消失

最近実銃や改造モデルガンで人が撃たれている。私は車で高速を使って出勤しているので、実はこのこと(撃つことではないですよ・・・)を考えたことがあった−もし隣にピタリと着けられて、ピストルで撃たれたらオシマイだな、と。

昔スピルバーグの出世作で『激突』と言う映画があった。車で出勤中のサラリーマンが、巨大トレーラーに粘着されて、命を狙われると言う恐怖を描いたもの。恨みによって粘着されることは、私も経験があるが、実に不気味と言うか、コワイことなのだ。

わけても車は実にコワイ。車に乗るとそのドライバーの精神病理が拡大されて表現されるわけ。高速などはまさにビョウキの人のビョウキが暴走する場。

そしてニッポンでもまさかこんなことが現実に起きるとは・・・。サバイバルゲームをしていたら人を撃ちたくなったとか・・・。人間が壊れてきている。妄想と現実の境目が消失しているわけ、この世でもキリスト教界でも・・・。実にコワイことだ。

自然界で最もコワイもの、それはニ・ン・ゲ・ン。

チャレンジ

例の大蔵君は実に面白いですね。休み中に本を読んで「政治家は謙虚であるべき」と学んだと。何冊読んだかと問われて、しばらく考え、「1冊です・・・」。題名はと言われて、「プライベートに関することですから・・・」。いじめられて可哀想との声もあるがとの問いに、「いえ全然可哀想ではありません!」。彼はかなりの大物になるかもしれません。

でも、受験界でもこんな話があるのです。現代文の先生のところに深刻顔をした学生が来て、3ヶ月間勉強したがなかなか成績が上がらないとこぼす。先生は「3ヶ月で上がったら僕たち教師は失業するよ。ところで君はこれまでに何冊の本を読んだの?」と聞くと、彼はじっと考え込んで、「5冊かな、ええと、8冊かな・・・」。おいおい20年近く生きてきて、読んだ本の数を数えるなよって・・・。

何しろ、マルクス・エンゲルスを一人の人物の名前だと思っていたり、反対に、アリストテレスをアリスとテレスと二人だと思っているわけ(NHKよ、責任を取れ!)。スゴイことになっているのですね。だから私は大蔵君のようなキャラはさもありなんで、むしろ好きなんです。ガンバレ!

今、チャレンジしていること。映画の台詞を字幕なしで理解すること。私たちは論文を読んだり書いたりは英語でしますし、ニュースとかメッセージなどの内容のある場合は理解することは容易です。かえってたわいない日常会話がピックアップできないのですね。特に子供たちの英語が難しいわけ。これは幼児語を経ていないため。

で、好きな映画を白文(漢文みたい)で理解すること。これが今のチャレンジ課題なのです。「速聴」の訓練をした結果、これがかなり効果があり、ピックアップができる率が大幅に増えてきているのですね。最近はDVDで字幕を消したり、英語にしたりできるので、けっこうありがたいです。

とにかく歳とっても常に課題を自分に課して、絶えずそれと向き会うこと。本日のメッセージでも語りましたが、エジプトの物を神の国へとぶん取り続けたいわけです。

バプテスマおめでとう!

Nさんのお父さまが70歳でバプテスマを受けられた。主を賛美します。お父さまは「この世の風は冷たいですよ。自分は地獄に行くのが当然だ」とこれまでの人生を振り返っていましたが、人生の土俵の俵ギリギリでうっちゃりです。主の御国に入ったのです!イロイロあっても、主が道ですから、徐々にほぐされていきます。いつもバプテスマは新鮮です。

 * * *

BBSでもイロイロ語られているようです。よくご質問を受けるのですが、いわゆる10%献金は義務ではありません。マラキ書でも、コリント書の「各自が心に決めたとおりにせよ」でも、それぞれが主にあって選ぶことできます。そして献金は牧師の生活保障のためにではなく、主に対するものです。主との関係でなされるものべきですね。

(陰の声:しかし実態はなんだかスゴイことになっていますね。私はガソリン代から子供の教育費までを献金で賄うなんて、気が小さいですから、とてもできませんが・・・)

私の証をちょっとしますと、昔、お金のことで思い煩っていた頃、チャレンジを受けたのです。捧げること。で、忠実に心に決めたとおり実行に入ったのですが、8ヶ月程してある仕事が与えられました。1ヶ月間でしたが、その報酬が何と・・・350万。

私の弟は食うや食わずの翻訳家でしたが、ある時主に祈ったのです。で、与えられた仕事があの『ウォーリーを探せ』。皆さんの家にも1冊はあるでしょう。これが1,200万部のベストセラー。印税は50円/冊ですから、彼の得た額は・・・。主は富んでいる方なのです。私たちの願うところをはるかに超えて満たしてくださる方なのです!

捧げることを通して、主の真実を知ることができれば幸いです。

その日になれば、それぞれが直接主を知るようになる。

さて、これからカミさんとレイトショーを観て来ます。

ブレない小泉氏

が、実は根底からブレていた!?

96年に出版した『解体官僚国家論』とか言う本で、彼は小選挙区制は、@人気次第でなだれ現象を起こし、政権交代が不可能になる巨大与党の出現を招く、A候補者は公認を得るために政党幹部の顔色を見ながら戦々恐々とすることになる、B権力を思いのまま行使する独裁の危険がある巨大与党は恐るべきもの、C党にたてつく者は粛清される等々の警鐘を鳴らしている。彼は元々小選挙区制は反対派だったのだ。時は流れて・・・、おいおい、なんだ自分で批判したことを自作自演してしまったではないか!

昨日の朝日で中曽根氏(パパ)が、権力の乱用に自制を、と述べていた。今回の解散は違法ではないが、妥当性がないとも。ポピュリズムにうまく乗った小泉君らしいやり方だが、政治が浅はかなものとなる。ニッポンの今後は問題だ・・・と。中曽根氏が活躍した時代が懐かしい。

加えて阪神優勝で、経済も明るさが見えてきて、株式相場も上げ一本やり(凄いですよ、ほぼ直線です)。なんだか85年につくば万博成功、阪神優勝、竹下氏主導によるプラザ合意の後、円高不況を経て、過剰流動性が土地や株に流れ込んでバブルに突入した雰囲気ととても似ていると感じるのだが・・・。(すでに国会議員はバブル化したが)日銀もそろそろ量の緩和から金利制御に移り、穏やかなインフレ傾向を目指している節の発言が見られるようになってきた。ニッポン人がみんなである一つの方向に振れてしまうのは実にコワイのだ。

かくして歴史は繰り返す・・・。

若くいるコツ

大学のペースが整って参りました。今週はまだ本格的な講義ではなく、ガイダンス中心なのですが、来週からが本番です。でもね、学生諸君とアレコレやりとりするのが実に楽しいわけ。若くいるコツは若者と接すること。

ちなみにある時、同僚の先生(某TV局を退職後来られた方)と話していると、彼は重装備でアルプスなどを踏破し、スキューバのライセンスを持ち、グアムなどで潜っているとのこと。

で、ニヤニヤしつつ、「唐沢先生、私、いくつに見えます?」と聞かれるわけ。見かけは赤ら顔で、髪もふさふさ、ちょっとロバート・デニーロに似て、やや渋め。小生どう答えるべきか迷いつつ、ヨイショして、「35歳ですか♪」と見え透いた事を言うと、またニヤニヤしながら、「・・・いや、その倍ですよ」と!小生「え〜!?」と、継ぐ言葉を失いました。
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YAZAWAの真実

下の記事を書いていて思い出したのですが、予備校の同僚に大のYAZAWAファンがいるのです。彼が九州に出講したときのこと、博多の某高級ホテルに泊まり、そこのトレーニングルームに入ったんですね。

すると何とそこにYAZAWAが臨在(?)されたわけ。舞い上がった彼はYAZAWAの隣にポジションを取って、緊張しつつも何気に「自分はあなたのファンです」と、話しかけたそうです。するとYAZAWAの応答が「ええ、そうですか。人間、努力をやめたらおしまいっすよ・・・」と、極めて遜った丁寧な言葉で、その人生哲学を語ってくれ、最後に彼に対して握手をし、腰を曲げてお辞儀して去って行ったという次第。これで彼はまたまたYAZAWAが好きになってしまったそうです。あのYAZAWAがホテルに宿泊中はトレニーングに励み、一介の教師に話しかけてくれるなんて・・・。
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杉村太蔵クン、ガンバレ!

いや〜、君の出現は新鮮だった。若かりし頃の森田健作を彷彿としてね。謝罪会見もグッと堪えてえらかった。ただね、歳費を200万ももらっちゃうとね・・・。耐え難きを耐え、忍び難きを忍びと。こうやって器を大きくして行くんだ。YAZAWAみたくビッグになるんだ。応援してるぜ!だからさ、そこんとこ、ヨ・ロ・シ・ク!

カッコーの巣の上で

という映画があります。ジャック・ニコルソン主演で、精神病院を描いた作品ですが、これを見ていると巧妙に精神異常の患者さんたちの方が正常で、ドクターやナースの方が異常に見えてくるから不思議です。実際、私の義兄などもそうですが、精神科ではドクターが患者から"診断"されるのですね。(大学とか予備校では学生による教師の評価がありますが、いずれ精神科でもそうなるかも・・・汗)

また安部ジョージの『塀の中の懲りない面々』と言うかつてのベストセラーをドラマ化した作品があります。これを見ていると犯罪者達の方が純朴で純粋で、看守達の方が意地が悪く不正を働いているように見えて来るから不思議です。いずれも倒錯の世界です。
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夏が行ってしまった・・・

万博も終わり。アノ暑さの中でグロッキーになった1週間前が恋しい。夏も終わってしまいました。やや、さみしいです。私はどっちかと言うと夏が好きなんですね。まあ、高村光太郎みたいに「きっぱりと冬が来た」となって、刺すような寒さも身がしまっていいのですが。さあ、これから3ヶ月、12月の温泉と冬の北海道の流氷をニンジンとしてぶらさげて・・・走ります。

 * * *

BBSでは「ニッポンキリスト教の定義は」と問題提起されているようですが、これはちょっと理屈をこねますと、"illposed problem"(不適切な問題提起)なんですね。つまりダイヤモンドの本物を差し置いて、「偽ダイヤの定義は」と問うようなものです。

別にニッポンだけの問題ではなく、韓国には「カンコクキリスト教」があり、アメリカには「アメリカキリスト教」があり、イギリスも同じです。つまり私の頭の中では<キリストvsキリスト>の構図なんですね。ですから、「キリストではないものはすべて○○キリスト教」となるわけです。

ダイヤでないものが偽ダイヤですから、偽ダイヤを定義するには本物が判ればよいわけです。よく言われるのは銀行マンはただひたすら本物の札を数えるだけ。すると偽札に触ると感覚で判ると。ダイヤの鑑定士もひたすら本物を見つめるだけ。すると偽ダイヤは直感的に判ると。このいのちの感覚はきわめて繊細で、欺けないのですね。「うん?何か変だ・・・」という感覚を大事にしましょう。理屈は後から付いてきますから。

そのためには本物に触れ続けることだけです。本物とは教えや実行や集会ではなく、キリスト御自身であり、キリストはいのちなのです。どんなに美味そうに見えても蝋でできたサンプルを食べれば腹をこわします。私の言う「キリスト教」とはデコレーションできれいに飾られたいのちの欠如した宗教(=教え・価値観・実行などの複合体・体系)です。

宗教のシステムから解かれることです。クリスマスがどうのこうのとか、イースターが云々とか、私はあまり関心がないのです。そもそも私のタイムテーブルは大学のスケジュールで刻まれていますからね。日々キリストは私たちの内に誕生し(毎日がクリスマス)、日々死と復活に与り(毎日がイースター)、そして日々主のセコンド・アドベントを待ち望んでいるlifeを送ればいいのです。フツウのオジサン、オバサンとして・・・。

私にとって生きることはキリストである!

さあてと・・・

明日から大学の後期がスタート。さっそく再試のレポートの採点と成績報告のお仕事からです。う〜ん、やや重だ・・・。お休みモードからお仕事モードに切り替わるまでが、ネ♪

チャレンジ

午前中はいつもどおりプールとサウナ。最近なぜか歴史に関心が出てきて、日本史も読み直しているのだが、以前から挑戦したいと思っていた歴史書がある。それは『三国志』。ご存知の通り、後漢に続く魏・呉・蜀の群雄割拠の英雄たちをめぐる一大歴史ロマンである。

もちろん読むのは、原作ではなく、吉川英治でもなく、柴田連三郎でもなく、陳舜臣でもなく、北方謙三でもなく、そう『鉄人28号』の横山光輝ヴァージョンなのであります^^。つまり漫画版。何せ漢字が多いのはダメでして、人物像もイメージができないうちに挫折するわけです。その点漫画ならば入門としてはまさにピッタリ。漫画とは言え、吉川英治版に沿って、彼が15年の歳月をかけたライフワークですから、30巻近くもある。

どうして国ができるのか、また国を治めるとはどういうことなのか。少々考えているわけです。しばらく楽しめそうです。

鹿嶋春平太氏の紹介

彼は『誰もが聖書を読むために』や『聖書の論理が世界を動かす』(いずれも新潮選書)の著作で知られている元々は経済学者ですが(本名は肥田日出男)、宗教学者としてこのペンネームを使っています(シューペンターと言う有名な経済学者がいるのです)。明治学院大学の教授です。ここは、私の友人も教授をしているが、まっとうな大学ですよね^^。

彼の聖書理解の特色は、<いのちエネルギー>をキーワードとします。つまりエデンの園で失ったいのちエネルギーをイエスがわれわれに注入して下さるというわけ。あれあれ・・・?そうです、Dr.Lukeと同じことを言っているわけ。下に紹介したBlogには「KINGDOM原理からの聖書解読」などというコーナーもあって、その中で「聖書は、天の創主のKINGDOMにおけるロイヤルファミリー(王室家族)になるためのノウハウを記した本」と言っておられます。これはわがKFCでも何度もメッセージしていることで、北森氏の著作よりははるかに分かり易い!

彼については一部で異端とかカルトと評されている「ベレヤ運動」と関係しているという話もありますが(確かにベレヤ関係のサイトでリンクされている)、彼自身の著作はきわめて聖書に基づいています。自分に都合の悪い者はみな異端・カルトのラベル貼りを好むニッポンキリスト教の方がよほど病理的であると私には見えるのですけどね。

と言うわけで、たまたま下にリンクを張りましたが、改めてご紹介いたします。興味の範囲が実に広く話題も豊富で、実に有益です。

注:彼はベニー・ヒンをけっこう評価しているようですね。まあ、人はそれぞれ、ということで、目くじらはあまり立てないでください、ネ♪