* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
今度は女子高生が惨殺された。同級生によって50箇所も刺されたとのこと。尋常ではない。加害者も思春期のエネギーを抑圧してきた分、多分その子の「言葉」によってキレて爆発したのだろうが、ふだん大人しい人はけっこうコワイ。
私などもそのような抑圧された病的な感情をモロにぶつけられることが多々あるが、人の心のコワサを心底感じる瞬間である。彼らとは決してガチンコしてはならない。彼女は多分彼にとって致命的な言葉を投げたのだろう。彼らの感情をかわすこと。かわし損なうとこちらも傷を受ける。
感情と言うものは適切に解放する必要があるのであって、ニッポンキリスト教的聖人を装っている人は実はコワイ。正直言って、私は牧師たちを見ていると、表面では柔和な笑顔であるが、目が笑っていないのがコワイのだ。本心が見えない。絶えず人を値踏みしていると言うか、そんな眼の動きを感知し得る。その表情は作られており、どこか自然ではない違和感を覚えるのだ。医者でも科によって顔が違うが、私はこれを「牧師顔」と呼んでいる。
イエスはこのようなニンゲンの暗い感情をすべてご自身に引き受けられた。十字架をネックレスにしてぶら下げている人もいるようだが、本当の十字架は実にコワイのだ。そこにニンゲンの心底がすべて露にされるから。主がゲッセマネで何ゆえに十字架を避けようとしたのか。単に十字架で殺されることを恐れたのでないのだ。それは罪を知らない方が罪とされること。罪に触れること。ニンゲンの真実を引き受けることだった。
どう考えても結びつかないこの二つのキーワード。『週刊文春』今週号にタリウムで母親を毒殺した女子高生のBlogの内容がすべて掲載されていた。鳩の内臓や猫の頭をホルマリンに漬けて標本にしていたらしい。
ちなみに東大医学部本館の2階にこの種の標本室があって、あらゆる臓器のサンプルや、中には夏目漱石の脳までもある。この部屋に入ると真っ先に感じるのは「死の臭い」。独特の世界であって、1時間といることは苦痛である。
この少女は実に化学・薬物に関する知識が豊かであり、研究者のようなスタンスで母親の状態を記述している。われわれが論文を書く時の言葉使いすら見られる。病理としては一種のサディズムであるが、やはり何かの霊的要因を感じる。
本件は女子である点がめずらしい。前のサカキバラ氏とも、同級生の首をカッターナイフでかき切った女子小学生とも、さらに、男児を裸にして駐車場から投げ捨てた男子高校生とも同じ臭いがある。<霊的要因+精神病理>が錯綜した現象と感じる。
数年前に書いた予測どおり、否、私の予想よりもはるかに超えた現象が起きてしまっている。少々ショックを禁じ得ない。
・少年たちの心の闇を探る
・青少年の「怒り」と犯罪
フランスが進めてきた移民政策が裏目に出て、エライことになっているようだ。大臣が「社会のクズを排除せよ」とやってしまったため、さらに火をつけた。結局、移民たちは異分子のままフランス社会で孤立しているため。
で、これが海の向うの話と思っていると、実はニッポンの将来もアブナイ。今太蔵君が相手にしているNEET(80万)やフリーター(210万)がこのまま30,40代になる時を考えればすぐに分かる。これらの300万近くのニッポンの中での異分子の身の置き所をどうするのか?彼らは何の専門的知識もなく、職業能力もない(彼らのために税金が数百億投入されるらしい)。「自己実現」と言うモウソウを追っかけているだけ。成田空港に突っ込んで警官を刺した男も10年来の引き篭もりだったらしいが、この種の人物による犯罪がますます多発するであろう。
ニッポンキリスト教を見ているとそれが良く分かる。自らの信仰で歩めず、常にブツブツ、ネチネチと不満を発散するだけの人々の群れ。前にも書いたが閉鎖社会ニッポンの縮図がニッポンキリスト教だ。霊的NEETやフリーターがはびこっている。このギョウカイ、ニッポンの病理が凝縮している。もう一度繰り返すと、リバイバルなどは絵に書いた餅、モウソウ。実態はサバイバルなのだ。
あなたの信仰があなたを救った。
賛美の中で 主とお会いすることは
歌声の響きにのり 霊の深きところより
泉のごとく溢れ 流れ出る炎うける
わが喜びの ひと時なり
賛美の中に主がおられ
私はあなたのもの あなたは私のもの
染みとおるようなあなたの愛に
心癒され 温もりの中で憩う
わたしのいとしいお方から 命の水が
こんこんと注がれ たえることなく
我が永遠の命となる
賛美の中 互いの霊の交わりが
一つとなり心かよう
わがうちにある全ての細胞よ
主を褒め称え 賛美しよう
其の歌声は 天から流れる透明な
聖なる響きの如し
我が心主への思い 深く 深くなるときに
この世のもろもろの事も消え去りて
ただあなただけ
イエス様 あなたが私のうちにおられるので
この世では アップダウンあるけれど
私は恐れない あなたがいつも共におられるから
この時の中で 永遠を見つめつづける
永遠の命の川にいる私は 揺るがない
万軍の主が私と共にいる
なんと心強いことばでしょう
この言葉に励まされ
弱い心に力注がれ 溢れ出る
天から流れてくる賛美は 命の川の流れ
その命と一つになり あなたへの思いが
限りなく静かに 深く 深くなる
神の玉座から流れ出る命の水が
私の中に流れ込む
命の木は 毎月実を実らせ
木の葉は民の病をいやす
そんな世界が現れて
其の中に浸るこのよき時よ
「静まって 私こそ神である事を知れ!」
といわれるお方にお会いできる
こんな深い世界を知り 賛美の中で
ハレルヤ!ハレルヤ!と感謝する
今、大学の研究室で、お昼休みです。BGMにTCAIKOVSKY Symphony No.6を流しつつ、これを書いております。
さて、このところアクセス数が増加しており、特に日曜日の夜と月曜日に集中しています。MSGを聴く/ダウンロードされる方々が多いためと思われます。そのためその時間帯はどうも速度が異常に落ち、御不便をおかけてしているようです。ネットモニターを見ても、同時に何人もの方がアクセスされているのです。なにしろ数種のサーヴァーを1台でやっていますから(汗)
現在の回線はADSLでして、名前の通り「非対称回線」なのです。つまりこちらかみて、ネットから受ける方(インバウンド)は早くても、ネットに出す方(アウトバウンド)が遅いのです。かくしてアクセスが集中しますと、パンクするわけです。しばしばザーヴァーがダウンする原因でもあるようです。
オンライン・カレッジの開設しましたので、これからますます回線が混みそうです。そこで近々光ケーブルを入れて、アウト/イン共に100M体制を取る予定です。数週間かかりますので、しばらく御不便があると思いますが、時間帯をずらすなどしてよろしくお願い致します。
前々から気にかけていた、ペルー元大統領フジモリ氏(このサイトは外国語っぽい日本語で独特の雰囲気があり、オモシロイ)が日本を出て、チリに入国し逮捕された。彼が曽野綾子氏の元に「保護」されていたことは有名だが、今回の件は何を考えてのことだろうか?
あの大使館事件を見事に解決してから人気が高まり、その後自分に反対する議会を解散したり、憲法で禁じられている3選を果たしたりと、徐々に「独裁者」と見られるようになり、ついに議員の買収工作が発覚し、失脚。故郷の日本に逃げていたわけだが、それにしては今回はオソマツ。
が、これで、すでに30%あると言われる支持層に加えて、さらに同情を誘って復帰する意図があるとも言われている。こういったケースでは裏読みがオモシロイ。ちなみに小泉氏もFujimori氏の二の前にならないとイイが・・・。
ひるがえって、今回の内閣改造で大臣になった人々が嬉々としているのを見て、「そんなに大臣になるのってうれしいのかなあ〜」と不思議に思っていたが、大統領職も一度やると二度三度となるのかなあ〜と、さらに不思議を覚える次第。(ドン小西氏が小池氏と猪口氏の服装に対して、乳牛が工事現場の青いシートをひきずっていると評したのには爆笑したが・・・)
「末は博士か、大臣か」と言われて(ないが)、私は一応博士にはなったが、別に何てこともない。小市民である私などは、八ヶ岳の麓に300坪ほどの土地を買って、ログハウスができたらそれで十分満足なんだが・・・。
今晩の立花隆による『NHKスペシャル』、ごらんになりました?ニンゲンとマシンを脳で直結するテクノロジー。脳の細胞から出る電気信号で、人工の腕やコンピューターを自分の意志で動かす。さらには人工内耳で音を聞き、人工網膜で物を見る。驚きです!
かつて私も東大の医用電子研にいたときに、隣の研究室では山羊を使った人工心臓で世界記録を樹立していました。生きたまま脇腹にパコパコしている人工心臓を着けられて、機械につながれている山羊に同情を覚えたものです。
また別の研究室では犬の心臓をドライアイスで焼いて心筋梗塞状態を作って、2次元心電計の開発をしていました。また一方で当時U病院で精神病患者を人体実験に使って東大の脳研を追われたU教授もいましたね。
私はと言うと神経症の治癒過程を統計数理モデルを作って、カセクトされた精神的エネルギーの放出過程(放射性元素の崩壊過程とほぼ同じ)として説明すると言った訳の分からない研究をしていたわけですが・・・。
まあ知識の木の実を食べた人間はどこまでも追求するわけですが、ほとんど映画『マトリックス』の世界がそこまで来ています。何がリアリティで何がヴァーチャルなのか、ほとんど区別がつかなくなりつつあるのです。
もっと言えば、体のほとんどを失っても、脳が生きていれば、その中にいる「私」は世界とコンタクトすることができるのです。「私って、一体何?」(クリックして下さい)とかつての三田何とか氏の文学のテーマがきわめて迫る現代科学の最先端です。
対してキリスト教界の幼稚で不毛な神学論争を見ていると、何だかあらためてニュートン以前と・・・。やれやれ。
* * *
バイブルカレッジは続々と早速申し込みがきております。意外に反応いただいており、うれしく感じております。
午前中はいつもどおり、プールとサウナ。午後はカミさんと食事をして、書店をフラフラ。書店を散策すると世の動きが良く分かる。面白いのは株コーナーがかなり人気があり、「三国誌」も何と特設コーナーができていた。私はかなり世の流れにはまっているのかも知れません。
* * *
オンライン・カレッジがようやく4コースのみ開講にこぎつけました。あと2コースはもう少し先になりそうです。これまでテープをご注文いただいて皆様にはお待ちいただきましたが、改めてオンラインバイブルカレッジの聴講コースをお申し込み下さい。ご自由にファイルをダウンロードしていただけます。詳細はこちらを:
オンライン・バイブル・カレッジ
BGMはちょっとビートが効き過ぎていますか?これはティーンエイジャー用なのです。でも、ここを見ている人たちは若いですから^^
BBSとも関係しますが、私は人を評価する時に、あまりその人が表向き言っている事や行なっている事を見ません。その人の生活を見たいわけです。特に家庭生活。
基準はごく普通であるかどうか。例えば女性ならば教会の奉仕や"霊的"なことにのめり込む妻はちょっとご遠慮です。育児や家事をキチンとしてほしいです。夫ならば仕事をちゃんとして、家族に対する責任を果たし、子供たちを素直に育てているかどうか。
当たり前が当たり前であること。これが最も尊いし、幸福な人生の鍵なのです。ところがニッポンキリスト教にはこの辺が崩れている使徒や預言者だの、エライ牧師などが多いのです。彼らに何ができると思います?当たり前を当たり前にできない人たちに?
私たちは主にあって普通のオジサン、オバサンであればそれで十分な証しとなるのです。主イエスは霊能力者になったのではなく、人になったのです!その30年の人間生活を思い巡らすべきでしょう。
キリスト教界の中でイロイロな教えや、主義や、教義や、実行や、流行や、人物が現れては消えしている中で、何が主からのもので、何か別の霊からのものかを判定するにはどうすればよいのか、とのご質問をいただきました。
それは簡単です。物理学ではなるべく極端な状況を考えて思考実験すると本質的なものが浮き彫りにされます。次のような思考実験をしてみて下さい:
・もしソレまたはそのヒトが教界から社会一般に100%広まったらどんな状態になるだろうか?
・そこに安心感があり、満足感があり、喜びがあり、愛と平安があるかどうか?
・主イエスのご性質を反映しているかどうか?
表向きの理屈や教えなどはあまり本質ではありません。ソレを語るヒトの有様がむしろ本質を証明します。
BGMは英国のNewCDのサンプルです。いかがでしょうか。これはYouth向けのCDですが、他にもかなりイイ曲があります。
Moveとは、youth向けミニストリーの名称。
意に反して、ここ数年にわたりニッポンキリスト教と接触して分かったこと:繰り返しになるが、病んでいます。何か、ジメジメ、ネチネチ、イジイジ、イライラ、ブツブツといった冷たく陰湿で暗い霊を感じるのです。それにコワイ。しかも自分のビョウキに気がついていない。すでに相当に深く要塞化しています。あるクリスチャン・メディアの人も「凄い世界ですよ」と言っていた。
パウロはテモテやテトスに対して、「健全な言葉」とか「健全な教え」を何度も繰り返して強調しています。現在この「健全さ=健やかさ」がほとんど感じられません。ガンバッテつくろっている表のキレイさはあるのですが、どこか無理があって不自然な違和感を覚えます。
健やかであること−これは聖の主観的表現。ほがらかさ、解放感、安らぎ、満足、安息と平安、伸びやかさ、あらゆる面で健康であり、満たされること。そして普通であること。これが神の子の特権なのです。健やかになるコツは健やかさ(の霊)に触れること。それはジーザス。
BBSにあるとおり、多くの兄弟姉妹がシンドイ思いをされて来られたようですが、キリストにある自由を見出し、解放を得られていることは感謝です。むしろ苦しさに気がついた人は幸いです。ガムバッテそこそこやれてしまう人は気の毒。一方で、私はますますニッポンキリスト教とは関わりを持ちたくないと感じています。
英語の授業でつい・・・。"look for"と言う熟語が分からない学生がいたわけです。で、つい、「あのね、君、ルック・フォオ〜だよ」って両手を挙げてしまった次第。学生たち、どうリアクションするか困惑の様子で、完全にオヤジしてしまいました(汗)。(ニッポンキリスト教の良い子には分からない・・・^^)
* * *最近、夫の浮気を疑う妻たちが、夫のケータイを監視しているのだそうだ。対する夫も用心深く受信メールはすべて削除するのだが、何とひとつの落とし穴が・・・。
最近の機種には変換機能があって、良く使う言葉が登録されているわけ。例えば「あ」と入れると、「あ」の付く単語で頻出のものがゾロっとリストされるのです。で、何と「愛してる」とか「会いたい」とかがゾロゾロと・・・。これでバレルのだとか。自分の妻には決して使わない単語だとか。
もっと哀れなケースは、「今度映画に行こう」とか言う台詞のメールを、間違って奥さんに送ってしまう夫がいるそうで、受け取った奥さんは「何で私にこんなメールを・・・?」と。これでバレルとか。う〜ん、愛の不毛地帯。
かく言う私も、実は、この夏中学の同級会があった時、かつて気があった子(現おばちゃん)とメアドを交換したわけです。で、こちらへ戻ってしばらくすると、何と彼女からメールが入ったではないか。
淡い期待にトキメキつつ開けてみると、「唐沢君、同級会楽しかったね♪そのとき話した医療保険の設計書を別便で送ったから検討してみてね♪♪」と・・・。心の中の何かがしぼむのを感じつつ、「はい、ありがとうございました」とレスした次第。
これもいわゆるひとつのオジサン化現象か・・・。