* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
私のメッセにはイロイロな感想があるようです。笑い方がアブナイとか・・・。不思議なもので、対人関係で一番のファクターは何かというと、初対面の印象なんですね。ボクシにはボクシの臭いがあり、医者には医者の、教師には教師の印象があります。ちなみにカミさんが私をはじめてみた時(当時はパーマでクルクルの髪でしたから)、「ああ、三流大学のアホな学生だ」と思ったそうです(写真参照。現在は本数が・・・嗚呼)。
未知の物に対する大脳の反応をMRIで診てみると、大脳辺縁系の一番奥にある偏桃核と言う部分の反応で分かるのです。シャイな人は未知の人に会うとここが過敏に反応するのですね。
また好みの人に対する反応はシナプスのドパミンの放出で分かります。これはいわゆるランニング・ハイの状態を作り出し、ある種の恍惚状態を作るのですね。「恋は盲目(アバタもエクボ)」状態はドパミンで酔っている状態なんです。タレントの翁菜恵とか山口萌がIT企業の社長と結婚する時、シンデレラになれる幻想を見ていたわけで(萌ちゃんはマダですが)、これはひとえにドパミンの作用なんです。
かくして「恋なんて幻想」となるわけで、精神分析学者の岸田秀氏は『性的唯幻論』なんていう本も書いている。「ああ、Dr.Lukeの話を聞いているとロマンスがなくなるなあ〜」と言う声が聞こえてきそう。私は人の転機が見える時があることは前に話しました。タケシの自殺未遂も、逸見さんの悲劇も予言というか予測できましたしね。あと、伊丹監督の自殺も。前のトリインフルエンザの隠蔽の時も、今回の建築疑惑でも自殺者の可能性を感じていました。姉歯氏も危ない感じ。保護してあげる必要があります。
で、結婚したカップルがどうなるかも大体分かります。それは目を見ればいい。焦点が定まっていない泳いでいる目の人はまず騙されています。ピタっと焦点の合った目をしている人は大丈夫ですね。ちなみに相手が自分に好意を持っているかどうかは、瞳孔の大きさをみるのです。開いている場合は、目は潤んでおり、これは行為のシグナル。閉じている時は鋭く警戒感の表れ。ネコの瞳を見れば分かるでしょう。ニンゲンも同じ。
かくして人の印象とかはほとんどその実質と離れており、意図的に操作して欺くこともカンタン。ですからギョウカイのいわゆる評判なるものも当てにならないのです。ところがキリスト教界ってところはほとんどがこのドパミンで酔っている人や、自分の幻想の世界に生きてる人が多いわけ。
焦点の会った目を持つ必要があるのです。
今回の偽造建築事件ではついに自殺者も出た。私はおそらく政治家レベルまで汚染していると感じている。われわれから見ると、1級建築士ともなれば自分のペースで仕事ができると思っていたが、そうでもないようだ。私の従兄弟も1級建築士であるが、企業に入っての仕事なので、かなり大変そう。
自殺した設計事務所社長も、「なぜ」と思ってしまうが、彼はこれまでも良心の呵責を抱えていたのだろう。『白い巨塔』の柳原医局員の悲劇である。ちょっと前にはCPA(公認会計士)がカネボウの粉飾決算を手伝って逮捕された。また今回名義貸しで西村議員が逮捕(名義貸しってけっこう一般的にあるのです・・・)。
医師、弁護士、公認会計士、建築士は4大資格と言われているが、それは世間から見た評価。ギョウカイに組み込まれたら何のことはない、単なるペーパー上のこと。実際の仕事では周りの人々のダイナミクスの中に個人は飲み込まれてしまうのだ。私は東大に入ったとき、田舎では引き立ててもらえるが、キャンパスでは周りがみな東大生なので自分が埋もれてしまう危機感を覚えた。
ギョウカイに入ったら最後、そのギョウカイの色とシキタリに染まらなければやっていけないわけ。で、その臭いが当たり前になると自分の臭い(おかしさ)にも気がつかなくなる。私などもGパンと加山雄三のロゴの入ったヨットパーカーで仕事に出かけるので、娘たちのマンションの友人の間で話題なるそうだ。「メグのパパって、かるくヤバイよね。何している人?」とか^^まあ、確かにサラリーマンの臭いはしていないと思うが、ヤバイかなあ・・・。
キリスト教界などはまさにこの好例。ネットでイロイロな先生方のメッセを聞いて、「カミっさまわ〜」的しゃべり方と内容までも何ゆえにこうも金太郎飴なのかと、少々驚いている次第。ボクシの世界は右見て左見てと、相当に縛りがきついだろうと推測している。なお、私のしゃべり方に抵抗がある人もけっこういらっしゃるようだが(そんなに癖があるかなあ・・・?)、ニッポンキリスト教ギョウカイの教団お抱えのボクシではありませんで、大学と予備校の講義もこのペースなので、そこんとこヨ・ロ・シ・ク^^V
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新しいCDは希望者がちらほらおられますので、英国に注文の問い合わせをしております。今流れているBGMはオトナのヴァージョンです。ちょっとシブイです。
それは私の信仰の強さではなく、イエスのみ。自分の信仰を強くする問題ではなく、イエスの真実を知るだけ。信仰のサイズはからし種一粒で十分。何と言う解放。自分の信仰を見つめればますます確信を失うだろう。そうではなく、主がそうだから、そうなるわけ。
わたしの名によって求めるものは、何でもかなえてあげよう。
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で、温泉を1日延長しました。1泊だけだとややさみしい。1泊目は民宿的な処。2泊目はややリッチに。それと12月は映画が面白いのがけっこうある。これも楽しみ。
さあ、あと1ヶ月。ニンジンをぶらさげたので、最後のコーナーでムチを入れるぞ!
N兄弟の娘さんの個展に招待されてきました。イイですね、家族でこういった企画ができることは。十何年ぶりで息子さんにも会えて、分かりませんでした。しかし面影があって、ふとあの時代にまたまたタイムスリップ。ややウルウルでした。時はまさに芸術家です。
会場は目白にあるジャズ喫茶ですが、ここにはヒロノミヤさまもお忍びで来られるとか。何しろ学習院大の真ん前ですから。毛糸で作るジオラマですね。夢のある世界です。サイトがまだないのでご紹介できないのですが、いずれ。
主は私の不信仰を超えて、真実です!
下に書いたディスペンと再建主義のコメントが、またまたえらく富井さんの不興を買ってしまったようですね(汗)。どうも彼らは他人の文章を読めないようです。言ってもないことを勝手に「理解」する人たちのようです。私は神学は知りませんと言っていますし、だから彼を理解したかったのですけどね・・・。
それにしてもここの文章を部分的に勝手にコピペして批判すると言った普通の常識的礼儀に反することを、モーセ律法を守れという人たちがなぜするのでしょうね。富井さんに対する根本的な疑問です。
本質的に「モーセ律法=いのちの御霊の法則」とする人とは超えられない溝があるようで、Dr.Lukeは「リベラルでクリスチャンではない」と断罪されております、やれやれ。
すでに論点が見えてしまっていますので、あえてこれ以上は争うつもりはないですが、それにしても偏執気質です。私などが何を言っても、再建主義が真理ならば、何も動じないでしょうに?
ちなみに再建主義では、「神の敵(=自分たちに従わない人々)を呪う務めを礼拝の中で回復せよ」と言っているそうです。再建主義だけが真理ですから、それを受け入れなければ神の敵となります!コワイことです。
なお、再建主義について詳しく知りたい方は救世軍の山谷氏のBBSをご覧下さい。いろいろな情報と学びが得られます:
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=makotoyamaya-lj
山谷氏がここで再建主義者のために祝福を祈ろうと提言していることに大いに賛同します。私も再建主義に対しては警鐘を鳴らすと同時に、彼らが呪いを祈るならば、私は彼らのために祝福ととりなしの祈りをしたいと思います。
Salt氏が紹介してくれている人形作家の作品です。感動しました。何だかウルウルしますね:
故郷のたからもの−高橋まゆみ創作人形の世界-
また前にも紹介しましたが、私の義姉がお世話している人形作家の与勇輝氏の作品も紹介します。高橋氏が老人ならば、与氏は子供たちです:
河口湖ミューズ館−与勇輝館−
そしてBBSにも出て下さるアイルランドの夢見さんのサイトもご紹介しましょう:
The Baby Fairies
サラ・ジェインちゃんの奇跡の証しはこちらをどうぞ。
いのちの温もりって何だか感動しますね。歳取ったせいか、やたらとウルウルするようになってしまいました。
午前中はプールとサウナ。午後はカミさんとチネチッタで映画。街頭販売で実に美味いチーズとワインをgetする。このチーズ、発酵が強くて、ワインと一緒に口の中で溶かすと最高。
映画は"Big Comic Original" 連載の西岸良平氏の『三丁目の夕日』。一言、よかったあ〜。前半は間伸びしている感じでしたが、後半はウルウルでして、とても純粋なカタルシスを味わえます。原作は私が学生時代から連載されているコミックです。
背景は東京タワーができつつあった昭和33年。売れない作家と、借金のカタに身を売る娘の不器用な切ない恋愛に、孤児をはさんで、頑固一徹の鈴木モーター一家のどたばたを交えての、貧しい中での温かい人情があふれる、ちょっと甘酸っぱく、切ない物語。見えない婚約指輪が泣けた。
セットが当時の物を実によく再現しており、あまりの懐かしさにタイムスリップした感じ。私が幼少期を過ごした東京大森の下町もあんな感じだったかなと。鈴木モーターが自動車の修理工場で、ミゼットの三輪車で仕事しているわけで、私の親父も同じ仕事をしていたので、やや感傷が入り込んでしまいました。
当時はタリウムを母親に飲ます女子高生も、ストーカー的に相手の喉を切る男子高生も、女子小学生を殺してダンボールに入れる人間も、援助交際も、出会い系サイトも、一切なかったわけで・・・。品はなく、粗暴で、金も地位もなくても、人間として最も大切な「何か」、「素」というか、「純朴さ」というか、ヴォキャブラリーが不足でイイ単語を思いつかないが、少なくとも今のニッポンが失った"something"があったのだ。そう、生きている、だ!
そしてそれはジメっと陰湿なニッポンキリスト教でもすでに失われて久しいモノ。正しい神学に、壮麗な教会で、リッパなセンセイの元にいて、日曜日ごとにニコニコ作り笑顔しながら、「何かが変」、「何かが違う」とお感じの、ニッポンキリスト教にあって違和感を覚えている兄弟姉妹方に100%お薦めできます。
それはジーザスのみ。人から裏切られた、傷つけられた、失望したなどなどは、自身の心の置き所を探られるチャンス。自らを省みて、これができるのが大人の兆候。
この岩に拠り頼む者は失望に終わることはない。
しかし、今のリッパな先生たちは、人々を自分や自分のミニストリーへと引き寄せようとしてる。で、信徒たちも目に見えるものに拠りかかりたい。Co-Dependence。これが諸問題のルーツ。
Dr.Lukeに期待する者は間違いなく失望します。というか、私はそういった感覚を寄せられることはたまらなくうっとおしいのですね。とにかく自由でいたいのです。
今回の事件は他人事ではないですね。文春の今週号によると、この姉歯という建築士はちょっとオツムがおかしいとの当事者の証言がある。あの髪の毛も偽造らしいが、それはともかくとして、強度を6-70%程度にするのはまだ理解できるが(イイと言っているのではないですよ)、30%で自然崩壊もあり得るとは、インチキをするにしても尋常ではない。確かにTVで観るアノ現実感と当事者意識の欠如は、何となくベールの向うにいる人の感じがする。それに一級建築士の自宅にしては、破れた窓がビニールで、ゴミも散乱しているらしい。
多分構造設計という分野は下積みのパッとしない役割で、コストダウンを迫られて、かなり抑圧されているのかもしれない。人は希望もなく、そのような環境に置かれると、やはり心を病む。本当は最も大切な役割なのだが、人はデザインとか、内装とか、衆目の注がれる部分の仕事を優先するのだろう。文春の記事では、エントランスが大理石で立派な物件は危ないと警鐘を鳴らしていた。キリスト教界も同じ。人の目に見える部分を大事にするセンセイは多いが、見えない土台にはあまり関心を払わない。偽造教会設計書に基づいた教会建造がなされていないといいのだが・・・。
ど根性野菜がアチコチで話題になっているが、植物の魅力は人が見ていようと、見ていまいと、そのいのちに従って、いのちの表現を発揮すること。いのちのポテンシャルに従った自然な生き方ができれば幸い。私たちはそのような自然ないのちを生きるために、絶えずキリストと言うまことの希望に目を置き続ける必要がある。
と言う懐かしい作品がありましたね。私的には、「キョウカイの中の懲りない面々」と言いたいかな?よくやってますよ、このニッポンキリスト教という閉塞したギョウカイで。「リバイバル」なる幻想を追い求めて。もうビョウキの人の相手も、立派なセンセイとの関わりもご遠慮したいところがホンネ。勝手にやって下さい、と。(ニッポンキリスト教からエクソダスしたい方には援助を惜しみませんが。)
BBSでタバコとアルコールの話が出てきましたが、よく電話をいただくのですね。くら〜い声で、「私、実は酒が止められなくて、教会に行くと責められるようで、苦しくて仕方ないんですが・・・」と。有名な教会の方々です。
まことにお気の毒ですが、アディクションは止めようとして、挫折して、自分を責めるほどに深くはまるもの。根底に満足がないのです。クリスチャンにとってタバコやアルコールがOKかNOかは本質ではありません。本質は渇くことのないキリストの水を飲むこと、満足すること、です。
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しかし、早いもの。あと1ヶ月で今年も終わり。そろそろ体も疲れが溜まってきて、温泉がチラチラとし出しました。そう、Dr.Lukeは温泉がないとやっていけません。おいおい、キリストで満たされたら、そんなもの不要になるんじゃないの?・・・こう思った方、ニッポンキリスト教にマインドコントロールされていますよ。それは宗教です。この肉体は旧創造のもの。適切なメンテが要るのです。
とにかく何を言われようとも、自分とキリストとの関係を維持しつつ、楽しく生きることですね。かくして迫害で殺されることも究極のエクスタシーなのでしょう。妄想を持っている人には殺されたくありませんが(笑)
昨晩、N兄弟から直接に電話をいただいたとき、回復が順調なのももちろんのこと、彼の心が実に柔らかくほぐされていることがすぐに分かった。この瞬間、主をほめたたえることができた。
彼の娘さんが編み物の個展を開くので、今度の日曜日の午前中に行って来ることになった。アノのび太君の森永卓郎氏もラジオで「天才少女だ」と宣伝してくれているらしい。
福島で山篭中のS兄弟とも電話で交わり共に主を賛美した。12月に温泉の前に彼の元に泊まりに出かける予定。来年50を迎えて、もう人生の秋かなとも感じているが、どんな実を刈り取ることになるだろうか。健やかな死に備えた歩みをしたいと願う。
(写真は福島県裏磐梯)
皆さんにお祈りに覚えていただいたN兄弟ですが、その後順調に回復していると電話をもらいました。47`だった体重も61`まで戻っているとのこと。奇跡的です。主に感謝です。後は再発と転移に注意して行くことですが、引き続き覚えて下さると感謝です。
が間もなく終了らしい。今日は再放送で、日産に吸収される前のプリンスのドラマ。零戦を創った男たちが翼をもがれて、地上の星となるまで苦闘。私はなぜかこの手のものは好きでして、ついジーンとするわけです。
昨今の、何も創ることなく、金に物を言わせて、買収だの、乗っ取りだのは好きではありません。また巨人のように人が育てた選手を金で取ってきてメンツだけはそろえても、いざとなると清原みたいな仕打ちをするのも気分が悪い。
野村やヴァレンタインみたいにボロ選手を育ててチームを盛り上げるタイプに惹かれるわけです。何を隠そう、神もわれわれのようなボロを拾い上げてくださり、御子の栄光に与る日まで大切に叱咤激励して育てて下さるのです。
今MSGで話している幕屋は神の御心の模型で、実に良く設計されている。それも当然で、宇宙のデザイナーである神が心を込めたものであるから。強度についてもしっかりと計算されており、その土台も2つの銀の台座、つまり神の約束と誓いによる贖いであり、この土台を崩すことはできない。チャペルではコンピューター・グラフィクスを用いてヴィジュアルに解説している。
ところが昨今一級建築士ともあろう人が強度計算書を偽造して、求められる強度の30%程度のマンションが十数棟も建っているとのこと。実に背筋が寒くなる話である。ちなみにわが家は13階建てマンションの1階であると同時に、10階なのだ。分かります?何となく心配にもなってきたが、まあ、この構造ならば倒壊することはあり得ないので、大丈夫だろうと。
くれぐれも設計・施工者を選ばないと。民営化が叫ばれている折、何とも何をよすがにすればよいのか。韓国でデパートが一瞬で崩壊した事故があったが、あれは他人事ではないわけ。いかにニッポンはあぶなかっしい土台の上に建てられていることか・・・。
この機会に私たちの信仰もその土台を再点検する必要があろう。油注ぎの器だの、立派なセンセイや、特定の教えや実行、あるいは主義や神学の上に建てているならば、いつか崩壊する。私たちの土台はただひとつ、キリストのみ。また神が家を建てるのでなければ虚しいともある。人の浅知恵で建てた木・草・藁の家は焼かれてしまう。
今回の被害者には気の毒だが、幕屋の話をしていて、何ともタイムリーなニュースではある。