* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
午後またまた映画。ニコラス・ケイジの『ロード・オブ・ウォー』。闇の武器商人の実話に基づく物語。結局彼らを利用して武器を途上国に売りつけているのは、アメリカ、フランス、イギリス、ロシア、そして中国の国連常任理事国。表の顔と裏の顔の乖離がすごいわけ。
で、これはニッポンキリスト教界も同じ。このギョウカイ、ビョウキの人々が群れている。表と裏の乖離はこの世以上のものがあろう。私もこの数年、ありがたくも様々な"すばらしい"評判と言うか、数々の"名誉勲章"をいただいた。この世からよりも、むしろニッポンキリスト教界の人々から絡まれるようだ。が、なぜか満足があるのだ。
それは主の御手の中に守られている証拠。病んだ世界で好評判を得ることが何を意味するかは自明のこと。自分自身に対するイロイロな告発に対しては争う必要がない。それは告発者自身の心の有様を露わにするだけだから。議論も同じ。相手の病理性を露わにすればよい。ただし真理に対する挑戦に対しては御言葉を語ることで対応する、が、相手が認めなければ、それは相手の責任なので、それ以上折伏する必要はない。こちらの姿勢として和解の可能性に対してはつねに開いておく。
そして淡々と主を楽しみつつ、寝ている時でさえも主と共に生きること。これで十分。後は「ハードコア」でも書いたとおり、淡々と御言葉を語り、淡々と種を撒くこと。「そうこうしているうちに種は育ち、刈り取りの時期を迎える」。その日に焦点をおいて生きること。こんなシンプルな生き方ができたら、これは大いなる祝福と恵みであろう。
2005年ともあと1日でさよなら。今年新たに出会った皆さん、また以前からずっと知っている方々、主の配剤で関わることができましたことを感謝し、それぞれの上に主の不思議な大いなる御手があるように祈ります。
with every blessing!
特殊合計出生数が最低更新の1.26。
国と地方自治体の借金800兆。
引き篭もり100万。
フリーター400万。
NEET(ニート)80万。
失業者300万。
自殺者3万超。
全世帯の1/5が年収200-300万。
全世帯の1/5が貯蓄ゼロ。
来たる2006年はいかなる年に?
本日ようやく年賀状を作成。いつもいつも伸ばし伸ばしになるのですね。でも、80年代からの年賀状(家族写真を載せているのです)を見ていますと、わが家の成長の記録にもなっています。子供たちの受験や入学・卒業など、時々が思い起されます。で、もうひとつ、お歳暮をいただくのですが、そのお返しの手はずに追われと・・・。なかなかやる事が途切れません。
3日間、ゆっくりさせてもらいました。体は精密マシンですから、メンテが要ります。年末のあわただしい時とは拝察いたしますが、皆様もご自愛のほどを。
* * *
で、帰宅しましたら掲示板にまたまた難しい注文が入っておりまして、今、ざっとご回答しました(ハードコアをご参照下さい)。「余剰価値」についても霊的経済学を述べたいと思いましたが、少々疲れますので後ほど、と言うことでよろしくどうぞ。
福島の都路村で知り合いになりました芋久保さん(HN)のBlogです。ご自分で山小屋を手造りされています。「北の国」からの黒板五郎を地で行くような。
芋久保さん、トラックバックしました。メールでお名前間違えてすみませんでした。今後ともよろしくどうぞ!
フィギュアの浅田真央ちゃんは実に強い。プレッシャーもなく、伸び伸びと滑っている。勝とうとしていないし、うまく滑ろうともしない。ただ楽しんで滑っているだけ。あの無邪気さにベテランもかなわない。彼女たちもかなり良い成績を出したが、見ている方がハラハラする。特にラストの安藤美姫(18歳には見えない・・・)は緊張感がビンビンと伝わってきた。
ところが二位だった真央ちゃんにはそれがない。単純に演技を楽しんでいる選手を見ると、観客も楽しめる。実は私たちの信仰も同じ。勝とうとしたり、クリスチャンとして失敗しないように、あるいはうまくやろうと構えると、見ている人たちもハラハラ。無邪気さの中で力が抜けた真央ちゃんスタイルで生きたいと感じた。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
いのちのままに飛ぶ鳥。私たちはキリストのいのちを得ているのです!
さて、小生は明日から温泉であります♪福島でも抜けましたが、さらに力を抜いてまいります。
福島は今日は快晴。付近の山をS兄弟と息子さんとで散策し、都路牛の焼肉で昼食。白い雪と真っ青な空のコントラストが素晴らしかった。原始生活の山の1日は文明で汚染されたこちらの3日分くらいの感じですね。じっくりといのちの洗濯ができました。
S兄弟との交わりも、「フォーカスはキリスト。残された人生、イエスの魅力を極めること」で決まり。ややこしい神学の議論ではなく、単純に御言葉のみ。いつか彼が下山した際にはメッセージをお願いしておきました。で、1時ごろ福島を出て、高速を飛ばして、今さっき到着。
途中、何となくコンビニで買った谷村新二の懐メロ風CDを聴いていると、ある映画の主題歌の『群青』が流れてきた。この旋律は日本人には実にしみる(※)この映画は戦艦大和の最期と、国のために捧げられた者として、年老いた父より先に逝く二人の息子たちの物語なのだが、ふとその映画の最期の場面が思い起されて、何と不覚にも涙が止まらなくなってしまったのだ。今流しているBGMの御父が御子を犠牲にすることと重なったのか・・・。最近歳のせいか、涙腺がゆるい。
そして今また大和の最期を描いた映画『男たちの大和』が上映中。これからカミさんとレイトショーに行って来ます。あすはメッセージもないので気分も楽なのだ^^で、来週は温泉というわけで、遊んでばかりだ。
(※)私はニッポン人は嫌いだが、日本人でいたいのだ。
昨日は天気が荒れて、ノーマルタイヤで雪道を恐る恐る走りました。でも4WDはさすが安定していますね。
今、山奥の村営保養センターで雪を眺めながら風呂を楽しんだところです。ここにいると時間が普段の3倍はゆっくりと流れます。芯から癒されますね。
(しかしここにもネット環境があるとはね^^)
私たちの人生はカオスであると言いました。決定論(神の意志)と偶然論(私の意志)が区別できないのです。それらは共に綾なされて人生の日々を紡ぎます。私たちの過ちも神の召しを無効にできません。安心して今日一日をいのちのままに生きることです。なぜなら、
あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに(詩篇139:16)。
神学者の虚しい議論に巻き込まれないことです。御言葉に書いてあるところにとどまってください。 その知識とはいのちから生まれるものです。それぞれのいのちに従って造られましたし、それぞれのいのちに従って生きるのです。下のワンコちゃんたちを見てください。安息しているでしょう?あなたがたには聖なる方からの塗り油(原語)があるので、だれでも知識を持っています(1ヨハネ2:20)。
伊丹重三の「マルサの女」の中で、悪の権藤商事会長が無邪気に遊ぶ子供たちを見て、ふと名台詞をもらします:「心は安らかな方がいい・・・」と。安息とは何もしない無為ではなく、いのちにあって信頼し、いのちが喜ぶとおりに活発に生きることです。
本日で大学も終わり。一息です。私たちはこういったリズムがあるのでやっていけるのですね。普通のサラリーマンのように年中ベタ〜と仕事なんてとても勤まりません。主は私の特性をよくご存知でいて下さり、もっとも適切な仕事場を与えて下ったのです。
で、明日は寒気が強いようですが、福島は大丈夫だろうか?
ブヒさんのおうちのワンコちゃんたちです。実に表情がイイので、ややこしい話が続きましたので(まだ絡んでくる人がいるのですが・・・涙)、お口直しにここでもちょっと紹介します。ニンゲンが失った何かを彼らは持っていますね。それが私たちを癒すのです。
今BGMで流している曲は“There Is A Redeemer”という曲ですが、この作者キース・グリーンには逸話があるのですね。曲は前々から歌っていましたが、このような話は初めて知りました。左下のemiさんのBlog(a voice)をクリックしてください。彼は航空機事故で28歳で召されたそうです。今、彼はstanding in gloryしているのでしょう。
BBSで「反ユダヤ主義」の話題がありますが、キリスト教界と言うところのコワサは、人の(盲目的)熱心さと神がかりになることなんですね。ユダヤ人は神の選民、ゆえに神聖にして犯すべからず、○○主義や××神学は神の唯一の真理、ゆえに反対する者は悪魔に味方し、神に反逆する者・・・。やれやれ、お分かりになります?
人の血肉的熱心とそれを裏付ける神がかり、これがあれば人は何でもしてしまいます。かつての十字軍しかり、魔女狩りしかり、そしてKING KONGブッシュ(似てたぞ!)のイラク戦と(http://tanakanews.com/f1213Iraq.htm)。
私の本音:普通のノンクリスチャンとの付き合いのほうがどれほど安心していられることか。
クリスチャン、特に熱心で立派な人たちは互いに値踏みし合っている感じがしますね。だから、イロイロな団体に属して、自分は正統だと裏書がないとこのギョウカイではやっていけないらしいのだ。地域の牧師会も派閥ごとに分かれて、互いに値踏みし合っているわけで。なんだかとても疲れることです。と思いません?
神は人になられた―これはきわめて尊い奥義です。
私のメッセージで、「霊と魂の分離」とか、「異なる火を炊かない」とか申しますと、何でも心配になる人がいるのですね。「今、自分は霊なのか、魂なのか」とか、「自分は今異なる火を炊いて裁きを受けるのではないか」とか・・・。分かります、この心理状態。要するにアソビがない!
ある聖霊派の人はすべてを聖霊様(私はこの言い方は苦手ですが・・・)に伺いを立てて聞き従うとかの導きを受けて、家から学校まで行くのに、交差点ごとに「聖霊さま、どちらへ行くべきですか」とやっていたら、学校に着けなくなったとか・・・。ほとんど笑い話的ですが、けっこうこの手のビョウキが多いのです。
皆さん、神の導きってそんなにタイトロープを渡るようなものだと思いますか?神は私たちをそんな緊迫感の中に置かれる方だと思いますか?断じてNO!神は安息の神であり、ゆとりの神であり、自由の神であり、私たちを楽しませて下さる神です。
人にはローマ書にあるとおり、自然の人であっても律法の教えるところをなそうとする心、つまり良心(岩波訳では「内奥の意識」)がありますし、さらにマラキ書2:15には「人には霊の残りがある」と書いてあります。
霊と魂の分離とかを神経質に心配するのではなく、普通の生活においてこの自然の感覚に信頼し、素直に従っていればよいのです。それは御霊の導きと矛盾しません。再建主義ではそれを認めませんし、自然に従えば獣姦を犯すと言うほどですが(相当に病的です)、それは聖書の語ることではありません。分かりますか?
霊と魂は相互作用しながら、私たちの心の動きを綾なしています。その時に御霊は私たちの良心と共に働かれるのです。パウロはこう言っています:「私の良心も聖霊によって証ししています」と(ローマ9:1)。これが私の言う「普通の生き方」です。自然ですし、力みなく、滑らかで、楽です。
ただ私たちの肉、特に魂の中に条件付けられたアダム的な価値観や生き方に対しては諸刃の剣よりも鋭い御言葉で手術を受ける必要があります。これによって真に霊のものかどうか見極めることができます。それをして下さるのはオペの達人霊的財前五郎であるキリストです。これは時に従って神が取り扱って下さいますから、安心して任せて下さい。
自分で取り越し苦労して、自分をクルシチャン状態に追い詰めている兄弟姉妹があまりにも多過ぎます。神は私たちの父・パパ・ダディ・お父ちゃんです!パウロはこう言っています:
あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
「アバ、父よ」と呼ぶとき、内側が甘くなりませんか?神は甘美な方なのです!子たる自由をエンジョイしましょう!