最近の日記

初めに聞いたこと

北海道の岩内からポーランドに移り、また英国に戻ったMax&SheilaからNew Year Greeting Mail が届いた。その中の一節:

‘Learning to Be Led by the Spirit, Not Purpose Driven(Rom.8:14)

「御霊に導かれることを学びなさい、パーパス・ドリヴンではなく」(ローマ8:14)

今日「トランスフォーメイション」とか、上記のだとか、尤もらしい人間の教えが密かに侵入しています。欺かれてはなりません。初めから聴いていた教え、つまり御言葉に留まりましょう。

甘くまろやかな主

どうも今回の風邪は胃に来るようで、ジワジワと胃が焼ける感覚ですね。カミさんと長女も同じ症状です。

こういったサイトを開いているとイロイロと絡まれたり、ご批判を受けたり、告発を受けたりするのですが、それでも皆さんから証しのメールをいただくと励まされるのです。ひとつご紹介したいと思います:

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新年の初回セレブ

1月1日に礼拝をしないのは何故かと思われるニッポンキリスト教の方もいると思いますが、私たちは家族と家庭で新年を迎えたいわけですね。で、今日が2006年の初回です。

今年のスローガンは「ステップ・フォーワード」。つまり「一歩の踏み出し」です。それぞれプライベートでもパブリックでも、主の招きに従って、一歩を踏み出すと。ヨルダン川をわたる経験でもあります。でも主が道ですから安心して下さい。

私たちはこのニッポンキリスト教と言うギョウカイとはあまり関わりを持ちたくありません。「リバ新」から本を出しましたが、私はニッポンキリスト教聖霊派や、○○教団や連盟や同盟などには一切関係ありません。下の「リバ新」の記事でも、「日本民族総福音化協議会」とか「日本キリスト教団聖霊刷新協議会」とか「全日本リバイバルミッション」とか、何か大袈裟な名前が並んでいますが、これって主のいのちと何の関係があるのでしょう。どうもこの世代の先生たちは全学連や全共闘のノリなんでしょうね。

私の世代はノンポリですから、クオリアを楽しみつつ、いのちの歩みをしたいわけです。あまり「決起」や「戦闘」や「奪還」とは縁がありませんね。では、また1年、懲りずによろしくどうぞ。

知恵の道は右手には長寿、左手には富と誉れ、そして楽しい道、平安な道、いのちの道。

少々こわくなってきました

どうもニッポンキリスト教界はこわいです。再建主義ばかりでなく、下で紹介されている『リバ新』の記事なども、「決起」とか、「奪還」とか、「戦い」とか、これじゃ対テロリスト作戦みたいだ・・・。このギョウカイ、先生同士も因縁がくすぶり、先生と信徒の間でも遺恨が残っているようですし、とにかく表の「愛だ」、「赦しだ」と言う標語と裏腹に、潜在的な空気が陰湿でこわい。とてもクオリアどころではないようですし、いのちはどこかへ追いやられている感じがします。このギョウカイ、安心して身を置ける感じがしないのですね。

クオリア的生き方

この休み中に少々ヒゲを伸ばしてみた。私は若いころは老けて見られたが、最近は40台前半くらいに若く見られる。で、頭の方がややさみしくなっているので(汗)、ちょっと顔の方にと・・・。けっこう渋みが出たかと鏡を覗いて勝手に思っている。(が、カミさんと子供たちにはなぜか不評・・・)

昨日精神と物理化学現象の関係に興味があると書いたが、実はこの大脳が大脳を果たした理解し得るかどうかは分からないのだ。解剖学的にはニューロンのネットワークが徐々に分かっているし、神経生理学でもシナプスでの化学物質の働きなども解明されてきている。

しかしDNAの4つの塩基配列による遺伝情報の保存と再生のメカニズムのような根本的パラダイムが未だに分かっていない。(フォン・ノイマン型)コンピューターはONとOFFの二進数によって、AND回路やOR回路を組み合わせているだけ。その原理はきわめて単純。脳もそれと似ているが、しかしシナプスでのアナログ的要素があって、コンピューターとは相当に異なる。

この意味で私たちサイエンティストは常に己の限界がどこにあるのかと自問自答しつつ話を進めているわけ。デジカメでも画素数によって映像の質が決定してしまう。例えば一画素が1mm四方であれば、それよりも小さい物の像は決して写せない。CDなどもサンプリング間隔で周波数帯域が制限される。これと同じように大脳、そして言語と論理においてもある種の解像度と言うか、理解し得る限界があるのだ。果たして大脳の原理はこの限界の中に納まるのかどうか・・・。

対して神学者は愚かにも神を人間の言語と論理の中に収めようとしている。いや真摯かつ謙虚な神学者も多いのであろうが、己の解像度を知ることなく、自分の愚かさを曝しているだけの御仁もいるようだ。

言語と論理は大脳の、特に左脳の働きのひとつの表現であるが、右脳の感性やイメージはどう見ても表現し得ない。これを最近では「クオリア」と呼んでいる。これを提唱した人物は、布団に包まってぬくぬくとしている時の感覚と喩えているが、実は私はこの「クオリア」が大好きなのだ。温泉もそのひとつかな?トロトロと夢うつつに頭を使う大脳のアイドリング的・緩衝的働きと言える。

クリスチャンも左脳的(理屈と自己努力の世界)になるとクルシチャン化するが、右脳的(直感的感性と信頼の世界)に生きればこの「(霊的)クオリア」を楽しむことができる。昨年暮から正月まで各教会は様々なイベントでけっこう忙しかったようであるが、私は3週間たっぷりこの「クオリア」を楽しんだ。物理的にも、精神的にも、霊的にもぬくぬく感を楽しんでいたいのだ。

(本音:リバイバルのために、祈って、祈って、祈りぬけ!とか、徹底的に聖別されて、神の戦士として、戦って、戦って、戦い抜け!とか言われると、このデリケートな「クオリア」がたちまち壊れてしまうのだ。ゲンナリ・・・)

いよいよ2006年始動

ついに明日から始動です。時の流れは実に早い。どうも私は寒冷アレルギーがあって、気管支の狭窄を起こして呼吸が苦しくなるのですね。ちょっとツライ。

 * * *

アーサー・C・クラークの映画『2010年』のDVDを観た。当時から見た2010年ももはや目前であるが、現実の方が進んでいる場面と、遅れている場面のズレが面白かった。HAL9000のような自由意志的意識を持ったコンピューターは絶対無理(HALはIBMを1文字スライドさせた)。コンピューターはまさにカルバン的。運命(プログラム)の中でしか動作しない。現在量子コンピューターが提唱されているが、これも自由意志は持ち得ない。

対して人間の意識は自由意志を持っており、同時に物理科学的現象とシンクロしている。私たちが意志を働かせる時、大脳内における物理化学的現象が生じるのだ。この意識と物理化学的現象の関わりのメカニズムはどうなっているのだろうか。

ウォッチマン・ニーらに影響を与えたG.H.ペンバーの"Earth's Earliest Ages"によれば、創世記2:8に基づいて、神が体(soma)を土から造られ(=物理化学的存在)、霊(pneuma)を吹き込まれたとき、体と霊の相互作用によって魂(psyche)が生じたと説明しているが、これはサイエンスから見ても実に興味深い研究領域なのである。

物質と精神の関わり−私もこの20年ほど考え続けている。

この世の空気

ほとんど使わないケイタイが不調のため、カミさんと横浜駅地下プロムナードをブラブラしながら、ヨドバシカメラで機種変更した。普段大学では自分の研究室にこもっているし(だいたいキャンパスで鶯が鳴くし、たまにタヌキもでるのだ。数年後に都心に移転するが・・・)、世の空気にはあまり触れていないので、人混みを歩くことはかなりの刺激である。東京に出てきた時、雑踏の中で酔ってしまったが、最近もそんな感じ。要するに「御上りさん」状態。

で、店員がケイタイのいろいろなサービスについてアレコレ説明してくれるのだが、サッパリ分からない。「○○をお付けしますか?」、小生「えーと、それ何なの?」。で、説明が延々となされるが、結局は分からないので、「いや、要りません」といった感じ。

要は電話とメールができればよろしい。メールもほとんど受信だけ(変なスジのメールがやたらと多い)。送信はあのちっちゃなキーをチャカチャカできないので、「分かった」、「了解」程度。それにしばしばケイタイを忘れてどこかに置き忘れる、自宅の電話をかけて呼び出し音で見つける次第。便利なんだか、不便なんだか、分厚いマニュアルは見るものもうっとおしい。(要するに歳だよ、と息子に言われている)

 * * *

長女が友人と観光気分で秋葉原を探索してきたらしい。秋葉は昔は電気のオタクで、私もアンプなどを作るためにわざわざ上京しては部品を買ったもの。ところが現在の秋葉系と言われる人種はいわゆる萌え系ヲタクばかりで、腰までGパンを上げてベルトを高い位置で占め、ナップザックを背負ったロリ系のキモイおじさんたちの天国らしい。

そう、メイド喫茶の本拠地なわけ。何とディズニーランドのようにキモイおじさんたちが行列をなしているとのこと。中にはひとりでフィギュアに向かってブツブツしゃべりかけたり、嬉々としてメイドギャルとプリクラを撮る御仁もいるらしい。

いつからこんなになってしまったのか、このニッポンと言う国は。引きこもりやニートがその余った妄想的リピドーを発散する倒錯した世界が現在の秋葉原。いやキリスト教界も実はあまり変わりない。困ったものだ・・・。

伊豆白浜

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伊豆白浜の冬の空と海
実に鮮やかでした・・・

Dr.Lukeの一言映画評-SAYURI

午後はカミさんとチネチッタ散策。食事はIL PINOLO(松ボックリの意味とか)。実に落ち着いたイタリアン・レストラン。コース料理をゆっくりと味わえる。ウイター/トレスの雰囲気も日本離れしていて何ともいい。値段もリーズナブル。お薦めです。

アップロードファイル 404KB映画はSAYURI。う〜ん、実にいい。9歳で貧困のために芸妓置き場に売られた「水のような目を持つ少女」が苦難を経て、15歳の時に出会い、カキ氷を買ってくれて親切な一言をかけて下さった「会長さん」を慕い続けて10数年。No.1のGEISHAになり、戦争の悲惨を経て、絶望的事件で想いをこめたハンカチを海に捨てるも、水のように生き・・・、ついに運命は展開してその方の胸の中へと・・・。

先の「大和」は駄作だったが、俳優も韓国中国人やアジア人が多い中、何でハリウッドがこんな日本の心を描けるの?「ラストサムライ」もそうでしたが、日本映画が描けない日本の心を見事に描いています。感情を抑えた、心の機微に触れる台詞(しかも英語!)。抑えている分、泣けますね。映像も日本の美を実に鮮やかに表現している。終わった後もしばらく立てないで余韻に浸っていました。あなたの心に何かを残す作品。お薦めです。

ご紹介

KFC最年長(お歳は秘密)のひろこさんがついにBlogを開きました。このご婦人は英国のFaith03DVDにドアップで登場され、日本のリトル・レディとして有名になった方です^^

まったくゼロのキーボードから学ばれて、ワープロ、ネット、メール、そしてBlogへとチャレンジして来られたのですね。詩は私に送ってくださっており、ここでもちょっとご紹介しましたが、皆さんにもお読みいただけるようになりました。

信じて一歩を踏み出せば、何事もできてしまうわけです!

休みもやることが・・・

大学は木曜日まで休みなので、ちょっとゆっくりできています。でもね、イロイロとやることがあります。一番気が重いのが帳簿付け。私は、教会の会計はもちろんですが、家計もこの10年ほどは複式簿記で記帳しています。家計簿は主婦の仕事と言うのが一般的ですが、収入と支出だけの記帳では不十分なのです。

お金の動きにはストックとフローがありまして、前者は貸借対照表(B/S)で、後者は損益計算書(P/L)で把握できます。これをキチンとつけますと、自分の資産と借金のバランスも、収入と支出のバランスも正確に把握できるのです。そして何よりもあらゆる必要を満たして下さる主の真実を知ることができます。不正の金でも友人を作れと主は言われますが、金に振り回されるのでなく、金を管理すること。これは神のエコノミーの一部です。

昔ドンブリ勘定でやっていた時代はお金については何となく不安がありましたが、簿記で自分の真実を把握できるようになってからは、漠然とした不安は解消しました。不安とか恐れは対象を明確に見抜いていないときに起こります。まずはその対象の真実を正確に把握すること。すると何をどうすべきか、明確な対応法も見えてきます。

アップロードファイル 44KBちなみに日本国の財政はつい数年前まで家計簿と同じで、フローしか把握していなかったのですね。国の貸借対照表ができたのはついこの数年のこと。一般会計80兆、特別会計200兆(これが曲者!)の日本の財政はまさにドンブリ勘定です。かくしてわれわれの年金原資もグリーンピアとかで消えているわけ。このドンブリ勘定を改めないで、増税の足音がヒタヒタと・・・。東大法学部出た連中には庶民感覚はありませんからね。東大こそ諸悪の根源なのだ!

(私は東大に対して文句を言いたかったので、東大に入りました。今人気の『ドラゴン桜』最終回の桜木健二の台詞はなかなかよかった・・・)

ネット年賀状2006

$FILE1_l今年はこの世もいろいろありそうですし、キリスト教業界はさらに混乱することでしょう。そんな中で、普通のオジサン・オバサンとして、当たり前の日常を淡々と当たり前に生きる。そこにおられるインマヌエルなる主の魅力をさらに知りたいと願います。よろしくどうぞ。

(写真は摩周湖です。ここはもう10回近く行っているのですが、いつも霧が晴れているのです。一度霧の摩周湖を見てみたいのです・・・。)

行く年来る年・・・

何となく部屋を片付けながら、掃除をしてと・・・。

アップロードファイル 42KBアップロードファイル 50KBいよいよ今年も終わります。今年はなぜか富士山に積雪がなく真っ黒でして、趣がありません。で、わが家のバルコニーから見た昨年の富士山の写真をアップしておきます。

では、みなさまも主にあって良いお年をお迎え下さい。