* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
ご存知ウイリアム・ワイラー監督、チャールトン・ヘストン主演のアカデミー賞大作。値段は7000円ちょっと。やや高いと思っていたら、DVDが4枚。何と『ベン・ハー』にはいろいろなヴァージョンがあるのです!2枚はワイラー・ヴァージョンですが、1枚は何と1925年のサイレント・ムーヴィ。監督や俳優はまったく知らない名前でした。残りの1枚は特典映像。
で、これが面白い。チャップリンの映画みたいに動きがチョコマカしており、時々に台詞の字幕に切り替わるわけ。多分弁士がしゃべっていたのでしょう。ところが台詞がない場面でも、何となく台詞が聞こえてくるような感じが面白い。それでも例の戦車レースの場面は迫力があり、よくできています。画像は白黒と思いきや、青だったり、赤ぽかったり、時にフルカラーになったりでこれも面白い。ワイラー・ヴァージョンもデジタル処理されており、映像がvividで美しい。
私は『パッション』はついに観なかった。その露骨さが嫌なんですね。自己憐憫を煽るような感じがするわけ。主の苦難はどんなに血が飛び散る場面を描いても、決して私たちには分からないのです。対して『ベン・ハー』では、彼の人生の背後に摂理的にタッチするキリストを描いており、私たちの人生と重なります。旧約聖書ではルツ記やエステル記。神はご自分を隠される方であり、派手な聖霊派的パフォーマンスを好む方ではない。聖書自体も感情表現を排して淡々と神を記述する。
私たちも人生のあらゆる場面で、この隠れた、そして私たちのすべてに配慮して下さる方のタッチを感じることができれば幸いなのだ。今、高3になる長男がはまりつつあり、これも摂理と感じている。
お薦めです。
今般、幼児が転んだ際割り箸をのどに刺し、それが小脳に刺さっていることを見落とした医師に対して無罪が言い渡された。また最近、産婦に対して胎盤剥離の無理なオペをしたとして産婦人科医師が逮捕された。さらに例の7人の安楽死の医師。以前にも美人女医が安楽死をさせたとして逮捕された。この方とは私も間接的な関係があるのだが、彼女の妹さん(某有名私大医学部教授夫人だった)が自殺した。
・・・というわけでこの手の事件が起きると、直ちに逮捕とか、刑事告発とか、医師も安穏としていられない風潮である。現在、小児科と産婦人科の医師がどんどん減少し、胎盤剥離のオペをした医師のいた病院は産科は休診。さらにその地域の3つの病院でも大学の医局から派遣がなくなって、たったひとつの病院だけになったようだ。小児科や産科は特に夜間の勤務がきつく、子供相手の診断や治療は難しいとのことで、志望する若手医師は減少の一途。ちなみに小児科と産科がもっとも訴えられるリスクが高いそうである。
医師も人間であるから、家族団らんを願うだろうし、休日には家庭サービスも必要。だから医師は高額な年俸なんだろうと言うのは言いがかりもいいところ。勤務医の年収は1500万前後であり決して高くはない。私の友人でも血液を専門とする医師がいたが、ある病院の勤務条件が夜間でも必要があればただちに出ることとあって、結局彼は体がもたずに辞めた。
肉親を亡くされた家族の感情的な要因は理解できるが、この手の医師のミスを刑事で取り扱うのは果たしていかがなものであろうか。胎盤剥離の医師とて、患者を実験台に使ったわけではなく、学会でも困難なオペであるとしているし、その場にいたら何かしなくくてはならないだろう。献血の用意もしていたわけだから、困難は予想していたはず。単純なミスではない。
真実が隠蔽されたりする場合は何らかの訴えも必要であろうが、単に被害感情を晴らすための訴えは決して生産的ではない。このような風潮が蔓延するにつれ、若い医師は刑事でやられたらたまらないからとますますこれらの科を避けることになろう。そしてそのツケを払うのは患者なのだ。「被害者」こそ絶対善的な最近の空気が何かおかしいと感じるのは私だけであろうか?
ある病院の外科部長が、安楽死のために、人工呼吸器をはずして7人を死に至らしめたとして糾弾されている。記事によると(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060329-00000007-kyodo-soci)患者への過度な思い入れが動機を作ったようだ。
『白い巨塔』において、里見と財前という正反対の医師像が提示されているが、おそらく里見のように個々の患者に入れ込んでいたら、医者自体がもたなくなると思う。学校で言えば、金八先生。私の友人の中学教師が、金八はウソだと憤慨していた。これは精神療法などでは特に言える。
クライエントがセラピストに対して積極的感情を向けることを陽転移、その逆を陰転移と言うが、セラピスト側からクライエント側に起こす転移もあるのだ(逆転移)。そしてこれが精神療法やカウンセリングの場面において双方にとって危険性を生む。
教会でも人格障害傾向や精神病質傾向を持っている人たちから勝手なイメージを抱かれて(彼らは自分の無意識的願望をこちらに投影するわけ)、それに対する失望をちょっとでも与えると、コロッと態度が豹変することをよく経験する。私の評価などはまさに天と地なのだ。甘えの構造でベタベタのニッポンキリスト教界の住人では特に言える。
かくして私などは、とにかく、まとわりつかれないことを心がける。牧師などで消耗している人たちはみなこのメカニズムの中でがんじがらめにされているわけ。人間ほど度し難い存在はないとますます感じる次第。
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姉葉元建築士の奥さんが自殺したようだ。姉葉さんはうつ病の奥さんの介護のためにも仕事をこなすために手抜きをしたようだが、その愛情がこのような形で実を結ぶとは。前に鳥ウイルスで告発された会社社長が自殺したが、なんともやり切れない悲劇である・・・。こういった事件が起こると、マスコミをはじめすべてが彼らを極悪人のごとくに叩き、追い詰める。どうもこの国は何かを忘れていないだろうか?
先週の金曜日の夜、腰をひねって、えらく痛みが出て、主日集会のときはメッセージをPeenyさんにお願いしていたので、座っておれて助かりましたが、実際歩くのもきつかったのですね。
ところが、福島ではS兄弟が、山歩きをしようと言うわけで、困ったと思いつつも、「腰が痛いから」と逃げるのはカッコ悪いと思って、道なき道を(彼はあえてヤブを好むのです)S兄弟の後をついて延々と歩いたわけです。腰の痛みに耐えながら・・・。昨日は2時間ほど。今日も2時間ほど。いや〜、実にシンドかった。・・・
ところが、ところがです、驚くことに、気がつくと腰痛が治っていました。家に帰って私がピンシャンしているので、カミさんが一番驚いておりました。
土曜日にかかった病院は「K大腸肛門科クリニック」という看板でして、待合室には若い女性などもいるわけです。私はそこで腰痛のために変な格好をして歩くわけですが、一見すると痔の痛みに堪えているようにも見えるわけです。で、私は心の中で「僕は痔じゃないんだよ。これは腰が痛いからだからね・・・」と自己弁護しつつ診察室に入ったわけです。このくらいに痛かったのですが、今は、さっぱりと痛みが消えました。
いやあ、人の体は不思議なものです。パウロは地上の幕屋の中でうめいていると言いつつ、福音のためには体を打ち叩いて従わせると言っていますが、この体はなまけさせるとキリがないのですね。「喝うっ!」を入れることも大切なんです。
昨日と今日(ほんとはあと1日の予定でしたが、S兄の都合で)、福島の山小屋に行ってきました。いつもどおり、ここに来ると時間が普段の3倍くらいに遅く流れます。で、新たに横浜から移住されたNさんと知り合って、その家を見せてもらいました。ガーデニングがコンセプトの家で、750坪の土地に豪勢な庭が広がっていました。5年がかりの手作り!
イギリスからのゲストPenny姉妹のメッセージです。英国のノーウィッチでは、私たちの最近の導きと同じ流れの実行に入っています。それはいわゆるキリスト教の伝統的実行や価値観を打破するものです。ひとりひとりが祭司として立ち、語ること。受身でありがたいメッセージを聞いて、自分の満足だけを求めるといったメンタリティから解かれる必要があります。
午前9時に一番で診察を受けました。Dr.は年間1500例の内視鏡検査と750例の内視鏡手術例を持っている専門認定医です。が、今日は問診と採尿と採血だけ。内視鏡検査は4日となりました。ポリープなどが発見されたら、その場で切除(ポリペクトミー)するとのこと。統計的には、潜血反応陽性者の3%(データによっては10%)で大腸がんが発見されているようです。ポリープは2-30%、異常なしが7-80%というところ。ただしガンだった場合はかなりの高率で進行がんのようです。さてさてどのような結果になりますか。
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で、今週と来週のセレブレーションは英国からの姉妹にメッセージをお願いすることになりました。今イギリスでどのような主のわざがなされているか、シェアしてくださいます。ポイントは従来のように、礼拝にお客さんとして出席して、ただ座って、ありがたいメッセージを聞いて、気分よく帰っていくというあり方を打破しようとしているわけです。メッセージを受身的に聞くのではなく、自ら主から直接に聞くことを訓練しているとのことです。誰かメッセンジャーがいなくても、それぞれが主に聞くことができること。まさにニッポンに必要なことではないでしょうか?
そして来週は福島のS兄弟の山小屋に行ってきます。また共に交わり、祈りたいと思っています。というのは、これまでここでは伏せてきたのですが、昨年暮れにN兄弟に肺への遠隔転移が見つかり、再度オペすることになりました。が、とてもうれしいことは交わりがとても有意義になっていることです。彼の霊的状態がとても健やかにされているので、肉体の病のことを語っても、以前のように暗い雰囲気にならない、いやむしろ明るい雰囲気があるのですね。主の御手が明らかにあることを感じ、むしろ彼から流れる霊がとてもイイのです。すでに主は勝利されたと感じています。主の働きは、内から外へ向けての癒しであり、変革です。
今日はやや疲れが出ました。しかしあす検査があるので、午前中にプールとサウナ。体がモヤモヤとするときは、けっこう思い切って泳いでしまうとシャキっとするものです。50を迎えると体もそれなりにいろいろ出て来るようです。
主がゲッセマネで血の汗を流すほどの葛藤しておられた間、弟子たちは寝てしまったのですが、彼らに主は言われました、「霊は燃えていても、体が弱いのだ」と。また詩篇に「主は私たちの成り立ちを知り、私たちがチリに過ぎないことを心にとめてくださる」ともあります。ロマ書には、「体を生ける捧げ物とせよ、これが神が求めておられる礼拝である」ともあります。
体がなければ内なる感動も表現できないわけで、体は主にとってもとても大切なのです。ですから「神はキリストを死者の中から起こされた御霊によってあなたがたの死ぬべき体にもいのちを与えるであろう」とあるとおりです。
多分ファイバースコープで診ることになるのでしょうが、ちょっと興味があります。自分の体内を見てみたいとも思っているのですね。
はるばるイギリスのKingdom Faithからご婦人が来日されました。Blogの紹介欄にあるemiさんのバイブルカレッジのチューターです。4月の初旬まで日本に滞在され、広島や横浜を尋ねる予定。今日は初対面ですので、一緒に食事をし、ちょっと富士山の麓をドライブしました。
で、ここに紹介したのは、軽井沢の白糸の滝(昨日訪れました)と富士山の白糸の滝です。ちょっとスケールが違いまして、前者は高さ3m程度、後者は30mです。空間的には10の3乗、つまり1,000倍の差があるわけで、中々感動でしたね。
(ブラウザでサイズが大きすぎる場合は、一度ダウンロードしてから、画像ビュアーでご覧ください。mpgファイルはクリックしますと動画がごらんいただけます。)
温泉から帰りました。新しいところを開拓でしたが、なかなかよかった。伊香保と草津は『不如帰』の徳富蘆花や西洋医学を普及させた東大医学部教授ドクトル・ベルツの縁もあるところで、趣のある町でしたね。後ほど日記にしようと思います。
で、帰ってみると先日のドッグの結果が来ておりました。予想したとおりのいつもどおりの結果でしたが、ひとつ新たに便潜血反応陽性が加わっておりました。これは大腸がんとポリープが疑われるので、さっそく土曜日に、私の義兄の同級生で、市大第二外科講師の後、消化器系の病院長をしているドクターに診てもらうことにしました。そろそろがん年齢ですし、身近にN兄の件もあるので、この際徹底的に調べようと思っています。(影の声:秘密の話、昔JIをやったことがあるので、その可能性も高いのですが・・・。)