* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
鈴香容疑者の供述を弁護士が詳細に記者会見でしゃべる光景。「どうしてうちの彩香だけがいないの。苦しくて、切なくて・・・気がついたら力一杯・・・」と言う彼女の主張。しかも供述も二転三転。被害者家族が聞いたらどう思うだろう?彼女は相当に狡猾でしたたかですよ。虚言性人格障害の兆候は明らか。彼らの得意技はマニュピレーション(人を操作すること)。オウム裁判でもあったが、「人権」と言う大義名分の下、弁護士が振り回されると言うか、利用されるパタン。この点では再建主義の富井氏に賛同したい。
【その1】キャンパスの周りをウォーキングしているが、いつものコンビニ方面ではなく、別の道を通ってみた。往復で約1時間だから、片道3キロといったところだが、何と今日は行けども行けどもコンビニがない!あるのはひたすら畑と農家と竹やぶのみ・・・汗。改めて、かなりの田舎だなあ〜、と再確認した次第。
【その2】ガソリンが高値なので、燃費のいい走り方の追求。まずカー用品店で何か金属を編んだモノを手入した。タンクに入れると燃費が改善するとか。半信半疑だったが、理由は不明ながら、なんとこれがけっこうイケル。約5-60`伸びた印象。加えて急発進・急加速は避け、高速でも80`を守り、一般道では前に停車中の車を発見したらギアをニュートラルにしてブレーキのコントロールのみで惰性で走り、長い信号ではエンジンを切る・・・。涙ぐましい努力をしているわけです^^
株価が600円以上の急落。米ダウに伴ってだが、バーナンキ議長の金融政策が不透明で、石油や原素材の高騰によるインフレ懸念から、金利上げの思惑でマーケットは疑心暗鬼。加えて福井さんの村上Fへの1千万の拠出の事実が発覚。と言っても99年のことだから、問題ないと思うのだが。日銀は即日買いオペで準備金が10兆を割らない措置を取ったが、やはり量的緩和策の解除が早かったのだ。需要デフレーターの伸びがややプラスに触れたとは言え、GDPデフレーターは相変わらず。依然としてデフレが続いているのだ。経済はビールと同じで、バブル(泡)がないと美味くない。極私的には前にも書いたがインフレターゲット策を取って欲しい。そして金利は当面上げず、資金はジャブジャブ供給する意思を明確にすること。このままだとやばいよ、せっかく成長率3.1%の上方修正が出たばかりなのだから。
私はあまりサッカーは好まないので(観ていると疲れるのだ)、昨日も11時に寝てしまった。俊輔が何気に蹴ったボールがラッキーにも入ってしまったところだったが、「これを守る姿勢になったらダメだな」と思って寝た。案の定、今朝起きてみると、最後の10分で3点取られたと・・・。ドーハの悲劇もそうだったが、最後勝利を目前にすると緊張の糸が切れてしまうのだろう。体力的にもきついようだ。これから王さんのような劇的な逆転が起こるのだろうか?(しかしサポーターの人は元気ですね〜)
高校時代、ギターを鳴らしつつ、井上陽水の『心模様』にはまった時期があった。鈴香さんの供述の様を見ているとまさにエレミヤ書の言葉どおり:
人の心ははなはなだしく病んでいて癒し難く、よろずのものよりも偽る。
病んでいる心に映ることばは、その心の凹凸を繁栄して、歪曲されている。人がペラペラと語ることばには真実はまずないと見るべき(村上君も同じ)。人は自分の真実を突かれると必ず怒り出すもの。それほどに真実には触れられたくないわけ。主はサマリアの女や律法学者に対する際、あえてそこに触れた。女は渇きを癒されたが、律法学者は主を十字架につけた。現代の教界の十字架を回避した人を気持ちよくするカウンセリングなどは互いに偽りのロールプレイング・ゲームをしているだけ。すでに商売だから。教会が商売になったらまさに絶望だけ。商売をする先生たち、それはぜひこの世で大いにやってもらいたい。
午前中はプールとサウナ。最近はサウナで汗を流しつつ、泳ぐと言うよりは水と溶け合うのが実にイイ気持ち。午後は映画。
『インサイド・マン』−デンゼル・ワシントン、ジョディ・フォスター、ウイレム・デフォーなど演技派俳優を一堂に会したテンポのいいアダルトな映画。銀行強盗に入った一味が、ワシントン扮するNYPDの交渉人と知的な駆け引きを演じる。その緊迫したやり取りがかなり面白い。この銀行の頭取の秘密を巡っての裏取引があって、最後のトリックによるどんでん返しが・・・。というわけで、後は実際にご覧下さい。
デンゼル・ワシントンは、偏執質傾向を持つジーン・ハックマン演じる艦長との潜水艦という閉鎖空間での葛藤と対立を描いた『クリムゾン・タイド』以来カナリ好きな俳優。ジョディ・フォスターは最近の『フライトプラン』などサスペンス物がはまっている。デフォーは、『プラトーン』で観て以来かなり好きだ。彼もやはり偏執性を持つキャラクターがピッタリ。『スピード2』(これはやや駄作)での客を道連れにする末期がん患者がこわかった。
いやあ、映画ってほんとにいいものですね^^
下で鹿嶋氏からコメントをいただきましたので、ちょとご紹介します。『誰もが聖書を読むために』新潮選書。聖書の啓示の中心が「いのちエネルギーの充満」にあることを大変分かり易く解いています。ニッポンキリスト教に最初に入った福音がこのようなものであったら、今の状況も相当に違っていたことでしょう。
秋田の事件では自供を始めたようですが、まだ30%程度しか語っていませんね。しかも相当に自分に都合がよくなるように脚色しています。私は心を病んだ人たちの話はまずまともには受けません。彼らは被害者になるのが得意であり、人の同情をとてもうまく引く術を心得ています。特に女性の言葉はまず真に受けてはなりませんよ、殿方たち。霊的には自己憐憫の霊がなせるわざ。
このような人々を相手に刑事さんは「落とし」ていくわけですから、キリスト教界の生半可のカウンセラー(このギョウカイのカウンセラーなどはほとんどインチキです、実際)以上に、人の心の機微を知っているわけです。最近テレビでよく見かける元刑事の北芝さんが「心の液状化現象を作る」と言っていたが、なるほどイイ表現。
ちなみに刑事には二種類おりまして、人情を知り尽くした「落とし系」と、強面の「実戦系」があります。かつて寿町で教会の留守番をしていたら、パンチマーマで黒背広の二人のお兄さんたちが来たわけ。「自分たちは昔ここの先生にお世話になった者だが・・・」と、静かだが有無を言わせないエラク迫力を伴った声で言うわけ。私はてっきり組の方々と思ったのだが、話をしているうちに実は刑事だったと分かり、なるほど組の事務所と刑事部屋は同じだと納得した次第。いやあ〜、スリルがありました。実際の話として、寿町では某組の組長だったおっちゃんとも知り合いましたが、彼らの方が現役の刑事よりも柔和なんですね、以外にも^^。
鈴香さん―これはなかなか手ごわいですよ。
また本日JRダイアが大幅に狂い、京急のギュウ詰め出勤でした。疲れたぁ〜、と。
そこで本日は「ニッポンキリスト教」の発明者明治学院大の鹿嶋春平太氏(ペンネーム:鹿嶋春平太チャーチ)に語っていただきます。明学には私の友人も教授(初期教会学&教父学の専門家)をしておりますが、戦時中はいろいろあったようですね。
・ニッポンキリスト教は避けて通る
「ラヴ・オブセッション(愛の強迫観念)」の病理です。
・Kingdom原理からの聖書講解
神の国(Kingdom of God)の豊かさを新エルサレムで解説しています。
彼はペンネームで分かるとおり、元々は経済学者です(シューペンターという有名な経済学者のモジリ)。こういった人がニッポンにいますから、ニッポンキリスト教もまだ希望があるかも。下でご紹介いただいたエル・カンターレ的牧師ばっかりだったら、ちょっと暗いですが・・・^^。(影の声:しかしほんとにどこかのキリスト教界のセンセイとよく似てるなあ。)
民間取り締まり5505件5日間で、作業スムーズに
「人が安息日のためにあるのではなく、安息日が人のためにあるのだ」ならぬ、道路は何のためにあるわけ?配送業者や道路端のラーメン屋さんが気の毒。暇をもてあました警察OBの隠居仕事。確かにイギリスでも民間人がやってますが、道路はけっこう駐車場として自由に使われていましたよ。
Gyaoで村上氏の会見を観た。「自分はプロ中のプロだ」を繰り返すだけで中身はないし、途中で腹が立ったので止めたが、一言、しゃべりすぎ。人は多弁な時は、不安があり、心に隠し事があるもの。こちらも秋田に負けず虚言性乃至演技性かも。LBがフジテレビを買収している時に北尾とかいう顔のでかい人が出て来て、「自分はM&Aのプロだ。自分を敵に回すと相当にタフですよ」と豪語していたが、どうも村上氏も同じように自我肥大を起こしている。金(マモン)に仕える人たちの大きな特徴だ。いや信徒さんをギョウサン抱え、聖会に何千人動員したとかのたまう牧師センセイたちも同じ・・・か(汗)
今回の秋田の事件で公開された彼女のビデオにおける行動と発言を見ていると、自己愛性人格障害および虚言性乃至演技性人格障害あたりが疑われる。自分の娘の死に対しては実に巧みに「被害者」を演じており、また男児の事件でも「親しかった者」の役割を実にうまく演じている。あれが演技やウソと思う人は、少なくともビデオを見る限りないであろう。彼らはそうやって生き抜いてきているから。自分でもその役になり切ることができるのだ。
この点、和歌山カレー殺人事件の真澄氏ときわめて類似する。彼らの特徴は自分本位な価値観と世界観に生きることにより、一種の異様な雰囲気を漂わせる。そして発言も周りの空気が読めないため、浮き上がる。かくして孤立感を強め、そのはけ口として子供などにあたることはよくある。今回最悪の場合、女児も同じ手によって殺害されている可能性が高い。孤立感・疎外感を持つ人格障害者による犯罪はまさに人間のつながりが切れてしまっている現代の象徴だ。
バトラ氏のPROUTは教会についても言える。いわゆるメガチャーチの幻惑で眼がくらんだ野心的牧師たちが、その流れを日本に入れるならば、商店街の小さな駄菓子屋的教会は成立しなくなる。すでに韓国では"倒産"する教会が出て、勝ち組みボクシと負け組みボクシとかも出ているとか?ニッポンキリスト教でもデカサによって牧師会での地位と発言力が決まるとか。サル山社会ですな(笑)
「現代の使徒・預言者による宗教改革」とか、肉の欲、目の欲、暮し向きの自慢を煽るにはまさにピッタリのスローガンだ。私は見栄えのしないおっちゃん・おばちゃんによる駄菓子屋教会があちこちに植えられることを願っている。そこで二人または三人がわたしの名によってあつまっているならば、わたしもまたそこにおる、と言う主のきわめて親密な語りかけを聴くことができるだろう。
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秋田の事件は、やはり、でしたね。やりきれない気分です。あのような閉鎖社会においては、人間関係の縺れで自分を見失ってしまうのでしょう。しかしこれからさらに最悪の展開もあり得ます(意味は・・・言いたくない)。これはキリスト教界も同じ。この業界は人を病ませる「何か」が働いています。クリスチャンたちよ、キリスト教界をエクソダスせよ!世にあって生き生きと生きよ!
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村上さんはインサイダーを認めたらしい。LBがらみの取調べで相当に証言があったようだが、金だけで結びついた者たちは互いの利益がなくなれば、さっさとバラバラになるのだ。アメリカ型資本主義の末路や哀れ。
90年代のバブル崩壊を予測し、警鐘を鳴らしていた、ラビ・バトラ氏の新著。先に『日本国破産のシナリオ』を紹介したが、それに続くシリーズ。同氏はホリエモンや今回の村上氏的手法(金がすべて)を批判し、徳による経済運営=経済民主主義=を提唱している。ただしちょっとインド哲学的色彩がある。