最近の日記

年末の行事ぽつぽつと・・・

ようやく年賀状ができました。毎年のことながら、押し詰まらないとやらないわけで。でも来週はまったく時間が取れないので、重い腰をしぶしぶ上げました。家族の写真で作るのですが、そろそろみんなで一緒に、と言う機会が難しくなりつつあります。長女も4月から社会人ですしね。

で、片付けの最中にふと結婚した頃のアルバムを広げたところ、何と若いこと!自分は変わってないと思っているのですが、確実に外なる人は古びているわけでして。でも、内なる人は日々新しくされると聖書に書いてありますからね。

そして車のメンテ。ATFの交換ですが、AutobacksなどではFord車はやってもらえず、やむをえずオイル強化剤を添加してごまかしました。

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下にもカキコをいただきましたが、飛び降り自殺の牧師は気になりますね。まだ断定できませんが、その教会のホームページは閉鎖されています。実はその教会には私の知人がいるのですが、電話で聞くわけにも行かないですし・・・。こんな亡くなり方では葬式すらも出せないでしょう。教会関係者にとりましても厳しい年の瀬になってしまいました。

それにしても私が「"用いられる"クリスチャンたち」と皮肉交じりに書いた直後ですからね、やや気持ち悪いです。でも、率直に言いますと、前々から繰り返し書いていますが、今後この手の事件はこのギョウカイでけっこう起きてくると予測しています。信仰の冬の時代に備えましょう。

年末の感慨つくづくと・・・

昨年は再建主義の富井さんにからまれて、今年はクリスチャン・トゥデイがらみで気味の悪い人たちにまとわりつかれて、と・・・(疲)。どうもニッポンキリスト教界のネットの住人は粘着性が高いようです。私的にはひたすら逃げるだけですが(笑)。

下にも多々リンクくださいましたが、このギョウカイのネタは相当に露骨でありまして、もうカナリ食傷気味であります。「ゲップ」も出ないといった感じ。とにかくニッポンキリスト教なるギョウカイには深入りは禁物。

アップロードファイル 5KBで、年末で研究室の掃除をしたところ、けっこう溜まっていますね、ホコリが・・・。パソコンの中も相当だ。それと車のタイヤを替えました。FordのEscape(「逃げる」の意味ですよ^^)ですが、4年で10万キロ。ギリギリまで磨り減っておりました。明日はミッションオイルの交換の予定。ホコリと磨耗。これは人生の避けられない現実。

嗚呼、体のオーバーホールである温泉が恋しい。でもこうやって待ち望む期間がイイわけですが→温泉までT-6Days

アップロードファイル 12KB【追記】で、今気分転換にはまっているのが、プリズン・ブレイク。DVDが12巻で、完結か?かなり楽しめる。

・・・と思ったら、これはシーズン1でありました。春に2が始まると。覚悟を決めて見ないと・・・「24」も控えているのですが。

またまた、用いられて・・・

牧師が女性を突き落とし、自らも飛び降り(→記事)。だいたい「牧師」を職業化すること自体が胡散臭いわけで。ニッポンキリスト教のいわゆる「献身制度」を見直す必要があるでしょうね。このギョウカイ、「制度改革」を誰も言い出さないのが不思議だ。

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再建主義の富井さんが面白いことを言い出された。

翻訳をしていてつくづく思うのは、人間の知恵のすごさである。学問の進歩は驚異的である。

統計学に関しては翻訳のためにかなり勉強したが、付け焼刃では無理と判断した。

これほどの頭脳を人間は備えているのに、政治については馬鹿なことを延々と続けている。

と。統計学の素晴らしさにようやく気が着かれたが、ご自分には理解が無理と。それにしても「再建主義」では自律領域を否定していませんでしたかな???

いやあ、実に惜しいですね。もうちょっと学ばれれば、カオスの理論あたりに触れることができ、これを理解するならば「カルヴァンの決定論対アルミニウスの偶然論」を論じること自体の愚かさに気が着かれるはずなのですが。ただそうしますとね、カルヴァンに立っていると言われる「再建主義」が根底から崩れてしまうわけですから、知らない方がよろしいかもしれません。このあたりの事情はすでに述べていますので、過去ログを見ていただくことにして、再度繰り返しませんが。

神学なる学問は人間の限界を忘れて、不毛な議論を延々と繰り返しているわけで、私たちサイエンティストとしては、まことにご苦労様としか言えないのですが・・・。まあ、神学のような高級な学問はその筋の方々にお任せしておきましょう(笑)

e-クリスマスカード

メールでイギリスのKFCのRaul D'Oliveiraからカードが届いた。彼は日本の「ドリカム」のバックでペットを吹いているだが、私も一度横浜アリーナの特等席に招待されたことは前にも書いた。ところがそのカードがポルトガル語。彼はポルトガル系英国人なのだ。分からんよ〜と言うわけで、私は日本語で送り返そうかしらん^^。

アップロードファイル 107KBで、本日は休日。いろいろ溜まったことを片付けないとね。来週は福島の山小屋で兄弟姉妹と2泊3日のキャンプ。Salt氏のミニコンサートも企画しております。

そして→温泉までT-7Days

もうひとつの美国の美しくない話

ブッシュが実に面白い負け惜しみをのたまっています(→記事)。アメリカが敗北したのではなく、相手が成功したのだと!?ブッシュはやはり猿でした(コレかなり楽しめます^^)。こんな人物を聖書預言をよく知っている現代のリーダーだとかってヨイショしていたイスラエル・フリークの某福音テレビの先生などはどう反省されるのか。猿でも反省するが、その反省は所詮猿の反省にしか過ぎないわけで・・・。

"美しい国"の美しくない話

「2ちゃんねる」がらみの話などが続き、そろそろ食傷気味になってきたが、この国の美しくない部分がまた露呈した。大阪大教授の税調会長本間氏が官舎に愛人と同棲の責任を取って辞任。よくやるよなあ〜と、ある意味で感心してしまうが。浪速大学の財前教授のように自分の小遣いからお手当てを捻出して、人に知られないマンションをあてがって・・・と言った話ならまだ理解できるのだが。

でも本間氏は企業減税の推進者であるから、辞めてもらって、どなたか個人税の減税を進めてくれないかな。今の経済を持たすには企業の設備投資頼りではダメ。個人がもっと消費しないとね。大企業を大事にして個人をいじめる制度はいずれ崩壊する。個人にも会計原則を適用して、経費の申告とか減価償却とか金利の経費化をさせてほしいのだ。自立した経済主体として個人を考える必要があろう。

当の安倍さんは銀行からの献金を拒否したそうだが、見え見えで、かえって姑息な印象しか受けない。前に安倍氏の背後は相当に汚いし、彼の周囲の人物もスネに傷持つ者ばかりで、彼は案外もろいかもと指摘したが、果たして来年の選挙まで持つかいな・・・。と言いつつも、小沢さんがいまいち精彩を欠いているし。わがニッポン丸はどこへ向かうのだろうか。周辺国の力学の狭間で、彼方此方と浮遊するクラゲだ。

青島幸男と出生率

あの不作為な無責任男の青島氏が死去。都知事になったのはいいが、博覧会をやめてからはまったくの無策。考えると現代のヘラヘラした軽薄さとME-イズムをウリにする風潮はこの男が作ったかも知れない。

アップロードファイル 13KBその風潮のツケが今回の出生率下方修正。「人口減少が加速し、総人口は46年に1億人を割り込む。55年には8993万人まで減少、65歳以上が人口に占める高齢化率は現在の20.2%から40.5%に倍増する」とのこと(→記事)。この国は確実に壊れていっている。

祝勝利亀田

今回はキッチリ勝ちました。試合運びも冷静で、オトナでした。大したものです。惜しむらくはKO勝利ではなかったこと。しかしけっこう前回はきつかったのでしょう。「おやじが壁になってくれたからな」と言って涙。彼は大口の割りに、根は純情なのです。あのオヤジの方がむしろアブナイわけで(笑)。前回も書きましたが、いいですね、今日、こういった親子鷹。前回「2ちゃんねる」に晒したあなたも見ていましたか。彼は若いけれど、あなたよりよほどリッパです。あなたも何かに打ち込んで一つのことを達成してみなさい。闇でコソコソしなくてよくなりますよ。

"用いられる"クリスチャンたち

私はこれまで社会の病理がキリスト教界に凝縮し(食物連鎖と同じ)、ニッポンキリスト教はリバイバルどころではなく、サバイバルの時代に入ると指摘してきた。もっと言えば、社会からこぼれた精神疾患や人格障害を有する人々が、何でも愛して、受け入れて、赦してのキリスト教界に群がり、混乱と不満を撒き散らすであろうと予測している。彼らのすべての動機は他者に病んだ自己を受け入れさせ、自己のポジションを獲得することだから。彼らは自分の十字架を負うなどの真理はとても理解できないし、否、負うことを願う人は成長するのだが、負うことをたいていは避ける。ネットはその病んだ自己主張のための格好のツールとなり、倒錯現象が起き、それはいずれリアルの世界にも波及する。

しばしばクリスチャンは神の栄光を損なうために敵に用いられることが多いのだ。例えば、メッセージでも触れたが、日本での初めてのエイズ患者は何とクリスチャンだった。また今回も14億円の借金で自己破産した小杉元文部大臣の妻も立派なクリスチャンである。世が神の栄光を傷つけるのは当然であるが、むしろ今日、自称クリスチャンたちが神の栄光を損なうのに大いに用いられている。病識の欠如した病んだ人は特に言える。誤解がないように繰り返すが、精神疾患を持つことが問題なのではなく、本質的問題は本人にその自覚(病識)が欠如していることである。あるいは自分の病理性を認めないこと。これは自称正常な常識人についても同じ。否、むしろ病識を欠如した”正常者”はもっと性質が悪いかもしれない。ニンニクを食べた人は、自己臭には気がつかないが、確実にその食べた物の臭いを発散する。時にはニンニク臭を発散させていることを正当化する。自己の病理を人権問題に刷り替えたりなどして、ホモやレズビアンの牧師が出現する今日である。

聖霊派あたりの調子の良いリバイバルの預言だので踊らされるならば悲劇である。むしろ今後、心ある信仰者は冬の時代に備えるべきであろう。主が言われたとおりに・・・。

人の子が戻る時に、はたして地上に信仰が見られるであろうか。

人格障害と言う生き方(2)

人格障害者の特徴として、他者から受容されたいと言う願望と他者からの拒絶を自ら招く行動と言うアンビバレンツな要素があることを指摘したが、この心理は「2ちゃんねる」あたりのキャラを診ていると実によく分かる。彼らは他者に不快感を与え、他者から拒絶され嫌われるキャラほど、目立ったキャラ、あるいはその場を支配する「神」として君臨できるようだ。自分の主張を認めさせないように、しかし無理やり相手をねじ伏せるためにエネルギーを空転しているのだ。

例えばこのアンビバレンツ性のひとつの際立った現れとして、自分が擁護したい対象は「2ちゃんねる」などを見ていないと言う主張がある。今回も「クリスチャン・トゥデイ」の高柳社長をなぜか必死で擁護する面々がいるわけだが、彼らの主張は、救世軍の山谷少佐は妄想者であり、彼を擁護する人々が「2ちゃんねる」で各種工作を必死にしているが(「空詐話」もそのひとりだそうだが、実にうまい当て字だ・・・笑)、CT側は余裕の構えで、まったく相手にしてなどいないと言う弁護が見られる(苦笑)。

ここに実に面白い乖離と言うか矛盾があることにお気づきだろうか。自分は「2ちゃんねる」においてCTを必死に擁護しているわけだが、その擁護の対象は「2ちゃんねる」などは鼻にも引っ掛けていないと言うわけ。見事に少佐に対する加虐性が、実は自虐性の合わせ鏡になっている。そこで賢明に自己主張しつつも、彼ら自身の言葉、「所詮2ちゃんねるだ」によって自己疎外している。自分は決して熱くなっていないが、相手はなっている、相手は必死だと、自分自身が必死になっているわけで(笑)。かくして下に書いた人格障害の病理が、そのまんま現れている。鏡の中の自分に向かって延々と攻撃をしているわけだ。

今回山谷さんの件でずっとフォローしてきたが、どうもこの「2ちゃんねる」なる場は病理の共有体として、それ自体がひとつの病理的人格を構成しつつあるような印象を受ける。一説によると管理人のひろゆきの母親は在日であると言う。もしこれが事実であるならば、ひろゆきは日本社会におけるネガティヴな要素をその意志によらず不条理にも引き受けてきたのではなかろうか。彼の根底には他者から拒絶される痛みが横たわっている。その恨みあるいは憤りを、表面的にはへらへらと軽いノリで、「2ちゃんねる」なる場で晴らしているような感じを受ける。

表面上「へらへら」、あるいは「軽いノリ」、あるいは「おちゃらかし」、あるいは「皮肉屋な態度」を取る人では、心の奥深くに癒されていない深い傷あるいは深刻な挫折感を隠し持っている場合が多いのだ。それに直面するだけで、自己存在が脅かされるような・・・。これを反動形成と言うが、まじめさとか、真実さとか、一生懸命さをあざ笑い、貶める人たちに共通する病理である。

もっと言えば、彼は日本社会に対する復讐をしているのだ。日本人のモラルを日本人自身が失う場を提供することによって、内部から腐れを起こさせる。誹謗中傷を書いた本人のIPなどを提出することを頑なに拒み、自身が訴えられ、多額の賠償金を要求されても、なお継続すると言う根性は実にたいしたものだ。「裁判には、まぁ、ヒマだったら行く」、「(裁判に)勝とうが負けようが、(賠償金を)払わなければ一緒」とうそぶく彼の心のルーツはどこか。何ゆえそこまで張っている必要があるのか。彼は関連企業から1億以上の収入を得ているようだが、金に対してわりと淡白な印象を受ける。金をヒラヒラさせ、むしろ人々を挑発する道具としているのだろう。

彼の真の動機は日本社会への復讐にあると思える。彼の深層心理においては、自分は加害者ではなく、あくまでも被害者なのだ。だから「2ちゃんねる」で自殺者が出ようと、プライバシーが暴かれて人生の破綻を招く人が出ようと、彼の良心は決して痛むことはない。これは英国の売春婦連続殺人事件の犯人と共通する心理であろう。加えて「2ちゃんねる」は所詮遊びの場だから、まじめに批判などする者たちはオトナではなく、オトナであればさらっと流すべきだとして煙幕を貼りつつ、実質的犯罪行為がまかり通っている。「必死」になってはならないのだ。しかし最近ではマスコミも表立って批判を開始したようだ。

あの爬虫類のようにヌメッとして、すべてをジョーダンと化し、ヘラヘラっと流すあの場の空気は、まさにひろゆきの人格の拡張あるいは肥大化である。もっと言えば、人々の心の深層に横たわる「邪悪」を非常に巧妙に引き出し、それを良心の呵責なく表現し得る場であり、その集合的無意識の共有体として、ひとつの人格を構成しつつあると言える。よってひろゆきと同じように、果たせなかった挫折感の解消や鬱屈した復讐をしたい人にとっては格好の場なのだ。

ニッポンをひとりの人として見たとき、分裂する自己の病理の現れとして歴史を論じたのが岸田秀氏であったが、その乖離性を有するニッポン自身が人格障害を抱えているわけ。その病理性がひろゆきの動機とピッタリはまって、乖離したニッポンのもうひとつの病理的人格として現れているのが「2ちゃんねる」であろう。悪魔は実に便利なツールを獲得したものだ。私たちは主イエスの御名によって対峙しよう。

イギリスの連続殺人事件

の容疑者が逮捕された(→記事)。この男、おそらく母親あたりから性的虐待を受けており、しかもその母親がソノ仕事をしていたのではなかろうか。あるいは父親から虐待を受けており、その父親はそのスジの女に入れ込んでいた。まあ、相手は誰か、経緯はどうか、もちろんこれは調べを待つ必要があるが、たいていこのようなケースでは被虐待経験を有しているものだ。つまり彼にあっては"正義"の鉄槌を下したに過ぎないのだ。

人格障害という生き方

北朝鮮はどうもブッシュに対して核保有国であることを認めさせることに成功しそうな気配になってきた。ブッシュも支持率が30%台に低落し、レイムダック化して、何かドラスティックな策を取って歴史に名を残すことを考えている、とある北朝鮮スジの評論家が唱えていた。そこでブッシュは北朝鮮と依然として停戦状態(注)にある現状に対して、終戦を宣言し、国交を正式に結ぶと言うのだ。これはニクソンがベトナム戦争で泥沼化した時に中国と国交を回復した策と同じであると・・・。

(注)朝鮮戦争はまだ終結していない!

うーん、初めこれを聞いた時は?だったが、今となってみるとそのシナリオの実現もあり得るかも。一方で米国はいろいろな裏工作で北を内部崩壊へともたらすことを画策してもいるようだ。キムさんはフランスへの亡命準備も始めているとの情報もあるらしい。さてさて、どっちになるのかは平凡な生活人であるわれわれには分からないが、分かることは妄想性人格障害と診断されているキムさんのしたたかぶりである。

ある意味で状況は彼の思惑通りに進んでいる。これでブッシュが核保有国として彼を認め、北と手を取るならば、拉致問題などはふっとぶし、安倍氏がそれを牽制できるかと言うと、彼自身がすでにレイムダック状態。日本はまた立場を失うだろう。キムさんのしたたかさにはある意味で感心する。

私自身、人格障害者と関わって感じることは、彼らは他人からの受容と認知を切望しつつ、その願いが決して実現しない振る舞いを取ることに長けているのだ。つまり実に絶妙のタイミングで他者に不快感を与え、決して自分を受け入れさせない。心の底では自分を受けれて欲しいと人一倍欲しているのだが、むしろその願望を屈折した形で表現しつつ、決して満たされないように自ら工作している。

加えて他者を巧妙にマニュピレートする演技も巧み。泣いたり、笑ったり、怒ったり・・・と。また挑発も巧みである。かくして他者が自分の反応で振り回されることにおいてアイデンティティを確認し、ある種のサディスティックな快感を覚えているのだ。しかし実際には自分をさらに傷つけることであり、マゾヒズム的行為である。つまり彼らは他者の不快感をかき立て、自分を傷つけるほどに自己同一性を確認することができるわけだ。この他人の不快感をかき立てる業は実に巧みである。

かくして自分はまた裏切られ、他者は自分を認めないのだ、周囲は敵なのだと言った確信だけを強めている。自分の内なる憎悪や敵意を他者に見ること-これを投影と言うが-によって、周りが悪であると思えば思うほど、自分は清く正しく美しく、悲劇のヒーロー/ヒロインになれるのだ。こうして周囲は仮想敵だらけとなる。これをパラノイドと言うが、昂じると被害妄想、被迫害妄想へと発展する。すなわち自己内世界においてのみ究極の自虐的自作自演を延々と繰り返す生き方、これが人格障害である。屈折した自己愛のあり方、あるいは実質の欠如した歪んだ自己の肥大化。同時にネガティヴなエネルギーを蓄積していく。

しかしこのような人格障害者が実効的な核を持つとなると、これはまた相が転換する。核によって他者をマニュピレートし得るわけで、果たしてレイムダック・ブッシュがそれに対して以前のように抗することができるかどうか。キムさんは「自国が崩壊する時は地球をぶっ壊す」とのたまっているそうだが、蓄積されたネガティヴなエネルギーがどのような形で暴発するか、これはかなりコワイ。

いずれにしろ人の良いニッポンにとっては頭越しに「何か」が起きるわけだが、それに対してわが国はなす術、切るべきカードがないのだ!ある意味で病識の欠如した人格障害者は最強の存在と言える。

温泉までT-10Days

神の栄光と霊的いのちのフロー

本日も英国Colin Urquhartのメッセージの同時通訳です。時期としてまさにフィットする内容です。テーマは神の栄光に与ること。地的イスラエルと天的イスラエル(=エクレシア)の関係を再確認しており、神のエコノミーの鍵はいのちにあることを確証しております。このいのちの次元の理解と経験がないと、あのややこしい不毛な神学論争に落ちるわけです。

私たちの召しは失っていた神の栄光に与ること。私たちの務めはこのいのちを流し出すこと。ガリラヤ湖のように水が流れ込み、それが流れ出ること。この霊的いのちのフローが滞ると死海と化します。かくしてクリスチャンが煮詰まってしまい、死海のように硫黄の悪臭を放ちます。腐ったクリスチャンは不信仰の者たちより扱い難くなります。塩気を失った者は人に踏みつけにされ、しかも自分がいかなる状態にあるかも分からなくなり、ただ悪臭を放ちます。かくして死海のように自分の中での堂々巡りで妄想と欲求不満だけを膨らませるわけです。

健全ないのちを保つ鍵は自分を脇へ置いて流し出すこと。受けるより、与える方が幸いだ、と主は言われます。そのためにはキリストと共なる死の適用が必要です。

こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。

   * * *  

ある方との会話:あたしはイエス様の声を聞いたからやっているんです!Lukeさんはなんでそれを止めるんですか!それに何で断食なんかするんですか!私は霊でLukeさんが何しているか分かるんですから!!!私:「はあ〜?」(ダイエットはしても断食はしてないのだが・・・汗)

あれ、ここ精神科の入院病棟だったけか・・・。しかし今日ニッポンキリスト教においてもこの手の「声」を聞く人が多いのです。これも自己の中で本人の肉的願望が堂々巡りして、「声」として反響するわけです。このような場合、周囲と必ず摩擦を引き起こします。しかも本人はその「声」を神の声であると信じ込む、というよりは思い込んでいるわけです。彼らの「確信」を覆すことはまず不可能です。かえって彼らから見るとその「声」を認めない私はキリストに対する反逆者となるわけですね。

実に病識を欠いている人は、お釈迦様ではないですが、度し難し(扱いに困る)。大体は分裂病まではいかなくても、分裂病型乃至分裂病質人格障害あるいは妄想性のそれでしょう。問題はこの手の人がかえって「霊的」に見えてしまうわけで、「主は・・・と言われます」式の自称預言者などが蔓延っているわけです。

あなたがたは聞く事柄によくよく注意しなさい。

実際、今日、キリスト教界の闇は深いのです。

ご紹介―DJ Jerry氏のLAジャーナル

ここでもよくレスを下さる、現在UCLAに留学中のDJ Jerry氏が興味深い記事を書いておられます(→こちら)。下で書いたフローする状態。自分を何かに注ぎ出すこと。彼は「楽苦しい」と表現されていますが、燃えているのです。ある面、うらやましくもありますね。このようなチャレンジしている人からは大いなる励ましを受けます。