* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
不二家のお菓子に蛾の成虫が入っていたとか。クレームを入れたら、「その蛾は食べても無害です」と回答があったようだ。実に"名回答"ではある。
しかし思い出してみると、私が子供時代にはチョコレートに虫が食った穴があいてることはよくあったなあ。それでも当時チョコは高級だったから、そのまま食していたが。多分蛾の幼虫も食っていたかも。
それに、おそらく発ガン性のある人口甘味料や着色料のたっぷり入った毒々しいほどに黄色いジュースの粉の袋に、これまた汚い指をしゃぶってつばをつけて突っ込んで、粉のついた指を舐めたもの。さらには舌を突っ込んで舐めたりとか。舌が黄色になるのを喜んだりしてね。よくここまで生き延びて来れたもの。
ちなみに食糧不足になった時には、昆虫が貴重なタンパク源になるようだから、不二家はその先取りをしたのでしょう。でも、さすがの私も蛾の成虫は食いたくないが・・・。さて、これから昼飯です。皆さんも時代の先端を行かせられないように、虫が入っていないかよく確認しましょう。
午前11時から筋トレマシンの組み立て。なかなか複雑でジグソーパズルの如し。で、頭をひねりつつ、組んではばらしての繰り返しで、半日がかりでベイシックな部分が完成。あとオプションがあるのだが、これはまた後日。一応スタンダードなトレーニングができる。
途中、昼を食べつつ何気に「徹子の部屋」を観ると、あのフォーリーブスが出ているではないか。数年前に再結成したらしいが、北公次は60歳を目前にして、バク転ができると。「マグマ大使」の江木俊夫は体重を10キロ落としたとか。ダンスはやや重たそうだが、けっこう励まされる。と言うわけで、ややモチベーションを高めることができた。
ちなみに昔入れ込んでいた頃のベストは、
・Hight 176cm
・Weight 65Kg
・Chest 110cm
・Waist 78cm
・Hip 95cm
・体脂肪率14%
だったのだ。腹筋もそこそこだった・・・。が、メンテをやや怠けた最近は・・・ヒ・ミ・ツ。それでも風呂上りに鏡を見ても、いわゆるオジサンではないな、と言い訳しているわけで・・・。
あの頃のワークアウトした後のけだるい疲労感の混じった爽快感と翌日の筋肉の痛みの快感を再度、と言うわけです。ダルダルになまってしまって、「にっちもさっちもどうにもブルドック」となる前に何とか手当てをと思うわけ。何事も"No Pain, No Gain"なわけで、さてさて。
ニッポンキリスト教の有名牧師の"不良"的生き死に方。だんなをばらしたセレブ奥様のブランド的生き殺し方。そしてダイエットに効く納豆を報じた真実捏造を報道するテレビ!?これで納豆の売り上げが倍倍ゲームだったそうだが、増産体制を取った業者は途方にくれているようだ。ヤラセの代償はあまりにも大きい。(まあ、納豆を食いすぎても害はないわけだが・・・)
それにしても、納豆でダイエット?あのね、ダイエットを実際に経験すれば分かります。食べて痩せるとか、簡単にスリムボディを手に入れるとか。ウソです!脂肪は9Cal/gですから、1g減らすには9Calの消費が必要なのです。要は入るカロリーと消費カロリーのバランス。要するに財布と同じく赤字にすれば体重は減るのです!そしてポイントは筋肉を落とさないこと。脳以外に大量のエネルギーを消費するのは筋肉ですから。こうやって理屈で考えれば、納豆がダイエットに有効などとは決して思えないのですがね・・・。
ニッポンキリスト教も同じ。アメリカ辺りから来る油注ぎの器だとか、立派な先生の教えだとか、そんなものに飛び付くことがそもそもおかしい。ああすればリバイバルが起こるとか、こうすれば教勢が拡大するとか。ウソです。聖霊派あたりのイメージするリバイバルなどはまっかなヤラセでしょう。
健やかな信仰生活は、日ごろの管理です。何をどう食べるか。私たちは御言葉をひたすら食べること。霊的には油で大いに太りましょう^^そして当たり前の生活を、当たり前に淡々と送ること。主は言われた
神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。
メッセージでも言ったが、今後この業界、様々の教えの風が吹きまくり、ヤラセが蔓延り、わけの分からない事件が起きてくる。普通さ、素朴さ、当たり前さを喪失した代償として。ビョウキが"当たり前"になってしまう倒錯現象が当たり前になってしまうだろう。前から何度も紹介してる『カッコーの巣の上で』のように。
と題するメッセージを始めました。やや、というよりかなりハードコアな内容です(ウォッチマン・ニーの理解に準拠しています)。真に救いの安息を得ていないと聞くことが難しいでしょう。ニッポンキリスト教界、不安と恐れを強く持っている人が多いのです。そのような方はパスして下さい。なぜなら
乳を飲んでいる者はだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。
とあるとおりです。恵みがあれば最後まで語ることもできると思いますが、あるいは途中で中断するかも知れません。これをご理解いただければ、モーセ律法による石打ちの刑を復活する必要がないことが分かるはずなのですが。神は愛であり、同時に義であるからです。
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・ワーシップ
・メッセージ
再建主議は超民俗化かつ普遍化されたモーセ律法をそのまま社会の司法制度として適用すべしと唱えるわけですが、富井さんがこうおっしゃっています:
Q.一応わかりましたけど、つまり神による統治社会が来たら、石撃ちの刑を復活させる、と言う事でしょうか。
A.石打の刑というと、何か野蛮なイメージがあるかもしれませんが、しかし、神が聖書の中において命令されたのです。どうして「野蛮だ」と、僕の分際でしかない我々が叫ぶことができるでしょうか。
処刑は、公開で、しかも、社会の構成員がじかに手を下すべきです。そうすることを命令した神の知恵は、我々の知恵をはるかに超えています。
ここで現代の専門家による死刑執行などの司法制度が不備であるとしているわけです。
私たちはこう理解しているのですね。レビ系のモーセ律法(石に書かれた律法)に代わって、メルキゼデク系の律法(心に書かれた律法)、すなわちいのちの御霊の法則が私たちの内に御霊と御言葉によって働くわけです。このいのちの御霊の法則はモーセ律法の上位互換であり、この法則に則れば自動的にモーセ律法、否、さらに高いレベルの神の基準が満たされるわけです。これを私はMS-DOSとWindowsの関係で説明したわけですが、ついに理解されませんでした。
このいのちを生かし出すことが私たちの証しであり、このいのちを人々に伝えることが私たちの任務であるわけです(御国の拡大)。なお、再建主義との対話はこちらをご参照下さい。いやあ、しかし市民が自らの手で石で公開処刑せよとは・・・スゴイ主張です。この調子ですと、中絶を行った女性はやはり公開死刑に処するべしとなるわけでしょうか?
午前中はいつもどおりプールとサウナ。最近ちょっと体をなまらせているので、やや気合を入れる。昔は1,000mほどは軽かったが、今日はとりあえず500m+ウォーキング500m(手を帆のように張って抵抗を作りつつ)。さらに筋トレもほとんどご無沙汰で、かつてのマッチョ振りが消えつつあるので、トレーニング・マシーンを新調した。30台の頃のキレを戻したいと願いつつ。
* * *午後はまた映画。レオナルド・ディカプリオ+マット・デイモン+ジャック・ニコルソンの『ディパーテッド』。監督マーチン・スコセッシ。ストーリーは警察に入り込んだマフィアのスパイと、マフィア組織に潜入捜査に入り込んだ警察の捜査官を巡るサスペンス・アクション物。ニコルソンの恐るべき存在感が迫るが、それに負けず劣らずディカプリオも好演していた。彼は体もややマッチョ系になりつつあり、かつての『タイタニック』のヒョロヒョロのアイドル・イメージとずいぶん違う。そこそこの汚れ役もできるようになっている。彼は、同じくスコセッシ監督、強迫神経症にして大富豪のハワード・ヒューズの鬼気迫る生涯を描いた『アビエーター』でタッグを組んでから、演技に深みが出たと感じる。俳優も私たちも出会いで人生が決まるようだ(もちろん神の摂理が働いているわけだが)。マット・デイモンはどうも『ボーン・アイデンティティ』のイメージが強く、やや演技が単調で、重なって見えてしまう。で、最後はとんでもないドンデン返しのドンデン返しで・・・。「あっ!?」、「えっ!?」っといった感じ。
試験週までの休みのひとときを過ごしているが、午後は例によって映画。『ラッキー・ナンバー7』。やや乾いたオトナのサスペンス映画。まあ、楽しめたか。その後、最近オープンした川崎のLAZONAへ。いやあ、スゴイの一言。こちらにも映画館があるので、チネチッタはやや客が流れているようだ。しかし普段、"田舎生活"をしているので、こういった人ごみでは酔ってしまう。目が回ると言うか・・・。歳かな・・・とポツリ。
* * *
今日の日経夕刊によると、中国が宇宙空間にある衛星をミサイルで撃墜することに成功したとのこと。例によってアメリカは宇宙での支配バランスが崩れるとして、中国を牽制している。
またちょうどTIME誌の今週号とSAPIO今月号では奇しくも中国特集記事。いずれも中国の眠れるパワーをレポートしているが、この国が目覚めるとマグロが食えなくなるどころではない。環境問題もエライことになる。中国は決してアメリカの価値観に屈することはなく、むしろ中華思想をあくまでも誇示するであろうとのこと。さらに経済的な投資も積極的であるが、最近では特に宇宙に対する投資が盛んとのこと。日本のNロケットの体たらくと比べると、彼らの士気は高い。
そして意外だったのは、北朝鮮との関係が史上最悪とのことで、昨年のミサイルのデモンストレーションも中国を意識している可能性が大であるようだ。わがニッポンは地政学的には赤い中国の進出を阻むアメリカの基地として利用価値がある間は多分アメリカの傘に隠れることができるだろう。が、あまりにも主体性のなさに不安を覚える次第。中はすでに士気が落ちるどころか、腐りかけている。
実に絶妙の地政学的位置にあったゆえに戦後ここまで来れたわがニッポンであるが、今後ますますアメリカの属国と化し、芯とモラルを失った『美しくない国』として、ひたすら金だけを頼りに生き延びるしかないのかも知れない。
そのような懸念を覚えるがゆえに、日本人がユダヤ人の末裔であり、皇室には神の奥義が隠されていて、ある日、神の経綸においてニッポンが輝く時代が来るとするキリスト者たちも増えるのであろう。これもある意味で、1%の枠の中で呻吟しつつ、アイデンティティを喪失しそうなキリスト者の「切ない願い」と思うのだが・・・。パウロは言っている
私は肉において誰よりも誇るところがあるが、一切肉に頼ることをしない
と。
今月も面白い記事が目白押し。
・栗林中将衝撃の最後−『硫黄島』で名称とされた中将の最後はノイローゼ状態に陥り、指揮不能となったあげく、自ら降伏しようとして、部下に惨殺されたと言う説を検証する。意外にも自衛隊でこの説が広がっているとか。検証結果は・・・。
・10年後の「格差社会」−個人、会社、所得、資産、教育、自治体、治安、対災害、医療、結婚、老後における格差の生じ方のシミュレーション。これはかなり身につまされるかも。
・希望の国へ-私の日本再生計画-−経団連の御手洗氏の論考。格差は生じて当たり前。結果平等ではなく機会平等を唱えるが、終身雇用は維持し、年功序列を改めよと訴える。私的には新自由主義による弱肉強食的社会は日本人には絶えられないであろうと考えるが、その中庸を唱えている。
・ローマ滅亡に学ぶ国家の資格−あの『ローマ人の物語』15巻を完結した塩野氏を囲む討論。ローマは多神教で宗教的にも文化的にも寛容な国家であったが、一神教のキリスト教が入って「溶解」を起こして滅びに向かったとする。それと同じ構図が、アメリカ帝国主義対イスラム原理主義として再現している、と。ふーん、ローマを滅亡させたのは一神教のキリスト教なのか・・・。私的にはキリスト教ではなく、肉において現れた神であるイエス・キリストご自身を信じているのだが、これも排他的非寛容な一神教になるのだろうか・・・。
・ブッシュの戦争と金正日の核−これから読みます。
で、ホッと一息・・・
・昭和の美女ベスト50−1位は吉永小百合、2位の原節子とかは分からんが、山口百恵が13位に入っていたぞ^^
タレントの風見しんご氏の長女が事故で死亡。享年10歳。中学受験はどうするかとか、夢を膨らませ、これからの人生設計を最も考える時期。何とも痛ましい。同氏が昨年、「もうちょっと娘が大きくなったら、一緒に歩いているところをカメラで撮られて、風見さん、若い子と歩いていましたね、とか言われてみたい」と発言しているのを見て、タレントの彼もフツウのオジサンの私も同じ感じ方をするんだなと、ややじーんと来てしまった。しかし彼のその夢は無情にも絶たれてしまった。こういった場合、人は「神はいるのか」と絶望の淵から叫ぶが、実は神ご自身が最も傷ついている。
復党問題で信念を貫いて男を上げた平沼さんが脳梗塞とか。小沢さんも心臓にキテるし、「政治生命を賭ける」と、わけの分からんCMを打ったが、どうも民主党は分からん(自分から吹き飛ばされてどうするのって)。二大政党を期待したいのだが、いまいち政策が不明瞭だし、自民党を攻め切れていない。だいたい「生活維新」って何だろか?安倍氏の不明瞭さを攻めるチャンスをなぜ逃すのか。
私的には昨日も書いたが、経済も利上げを巡って日銀と政府が綱引きをしているが、個人消費が伸びない限りダメ。個人が安心感を持たないと、子供の数も減る一方で、現在では既に高齢者を3人弱で支えているとか(→記事)。百姓政策を止め、個人を自立させること。個人の税負担、特に高所得者の負担を軽くすべきである(何だか再建主義の富井さんと同じだぞ・・・)。GDPの6割は個人消費なのだ。さらに貯蓄率も低下の一途らしいが、現在1300兆の個人資産があると言ってもほとんどはアメリカに回っているわけで、個人が恩恵を受けていない。人を大切にしない会社も国も必ず滅びる。武田信玄も言っているではないか
人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり。
と。
制度改革とか言いつつ、役人の顔色を伺いつつ、ちょこちょこと重箱の隅を突付いている感が否めないのだが・・・。さあて、誰に、どちらに票を投じたらよいのだ?(小沢さんには一度やらせたいとは思っているが・・・)
本日で後期の講義は終了。後は試験を残すのみ。これからは講義の枠が外れるので、かなり自由が利くのだ。
で、私の本にもカタカナが多いとご批判をいただいたが、安倍さんはさらに上を行っておられる。何だ、この「ホワイトカラー・エグゼンプション」って?英語のスペルは"White Collar Exemption"らしいが。直訳すれば、「事務労働者控除」だ。で、最初は給与所得者も実費経費控除を受けられるのかと期待したが、違うのだ。勤務時間を自分で自由にマネージできる代わりに、残業代はなしよ、と言う仕組みのようだ。
おいおい、何だ、これって大学教員の勤務形態だよ。われわれは社会保険制度の観点から一応週30時間を最低勤務時間としているが、実は出勤時間も退勤時間もまったく自由。いわゆるフレックスタイム制度。好きなだけ大学にいてもいいが(中には実験で泊り込む人もいる)、残業代はゼロ。
かつて10年以上も前に、ニッポンの勤務形態と言うか、就労形態はいずれ総予備校講師化するだろうと予想していたが、まさにそのとおりになってきている。予備校講師は別名「チョーク芸者(ホスト)」とも言って、契約は1コマ(90分)いくら。しかし週に何コマ取れるかは生徒の評価(人気)によるわけで、完全な出来高制。私のレベルで90分で3万円程だったが、稼ぐヤツは10万ほども取る。かくして集客力によって大きな格差が生じる(集客力で牧師の価値が決まるらしいニッポンキリスト教界とも良く似ているのだ、これが・・・)。
しかし実は稼いでも取られる分が多くなるだけで(私も税金と社会保障費で年に400万も取られたものだ)、仕事のハードさとの兼ね合いで、年俸1,300万円ほどに抑えるのがちょうどいいのだ。そのように自分で設計してコマを入れるわけ。その代わり退職金、年金、保険などはすべて自己責任。契約は1年ごと。下手すると途中でも切られる。かくして「高給時雇い労働者」なわけだ。
まあ、こういった人生設計をしている/いた者から見ると、「ホワイトカラー・エグゼンプション」も当たり前のことであるし、格差社会も当然のことと思えるわけだが。で、前にも再建主義について論じたときに、この社会保障と自己責任のバランスをどこに取るのかが難しいと指摘したが(→コチラのNo.11の記事)、現在の風は自己責任よりに調整タブが動いてきているわけだ。が、実質は企業よりと言うべき。私的には会計原則に則って記帳を義務付け、アメリカと同じく住宅ローンの金利は経費化し、その他ガソリン代なども実費経費控除として真に個人を経済主体として自立させるべきだと考えているのだ。どうも政府はかつての百姓政策と同じで、個人に対しては「生かさず・殺さず」の方針のようだ。