苦言

撒く人(永田町)と刈り取る人(国民)

今回の自民の大勝利によって旧来の派閥政治が払拭されて、真に国民のための改革政治がなされると期待される・・・ところだが、実は小泉氏をもっともうまく利用したのは森氏だ。

橋本派は献金問題で、亀井派も今回空中分解、自民の長老勢力は一掃され、と言う具合。何のことはない森派だけの天国となった。小泉氏が来年でやめるやめないはともかくとして、後任は誰か。これだけかき回して、怨念が残った永田町を収めることができる器があるのだろうか?いや、森派の天国だから簡単か?
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メガチャーチ?

BBSでかなり本質的なトピックが論じられている。諸悪の根源は「大きいことはいいことだ〜」にあると。これは人のセルフ(自己)をなんとも気持ちよく刺激する。で、ショッピングセンター、幼稚園・学校、リクレーション施設、病院・・・と完備した1万や2万規模のメガチャーチがアメリカにはゾクゾク誕生しているとか。

しかも、こういった教会の牧師が、その都市をあずかる使徒や預言者となるわけ。そして他の弱小教会は彼らのカバリングに入って、秩序だった、権威の系統が明確な、整然とした、素晴らしい教会が各都市ごとにできあがる。子供たちにもチャーチ・スクールで、フセインは神の敵だと教える。原爆も伝道のために神が用いたと正当化する。
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生きることとムーヴメント

この世ばかりでなく、ニッポンキリスト教でもアメリカでベストセラーになった本を持ち込んでありがたがる風潮は絶えないが、どうしてこう<アメリカのポチ化>から解かれないのでしょうか?いや動機が商売であるとすれば、これはいつまでもなくなりはしない。

加えて教えの風ばかりでなく、アレコレのムーヴメントも次から次へと現われては消え・・・。いのちはlife、生きることはlive、そして人生はlife。私たちはムーヴメントに携わっている民ではなく、生きる民なのだ。問題はどのいのちを用いて、あるいはどのいのちに頼って生きるか。

聖霊は私たちのうちにいのちをインプラントし、そのいのちを生かし出して下さる<パースン(お方)>である。パフォーマンスによって衆目を集めるためのパワーではない。「紺屋の白袴」ならぬ「聖霊派の聖霊知らず」はどうも否定し難いようだ。