頑強な要塞


頑強な要塞 RES
[1] ゴンベー( … 回) [E-mail] [引用] 2004/10/29/Fri/19:26 (No.65)

   教えてください。御言葉にそってある人(価値観・生活様式のまったく違う、血のつながらない家族の一員)を愛そうとしても、どうしてもできないと感じます。自我の最も強い領域で、崩されまいと、懸命に防御している頑強な要塞を認めます。これこそ、自己を否むポイント、つまり試されている現実の十字架なのでしょうが、一朝一夕には100点は取れません。多岐・複雑な問題があります。こんな場合、御霊に導かれ、かなりの時間をかけて、少しずつ自己を否むことしかできませんが、それでよいのでしょうか。これが日々の霊的訓練なのでしょうか。

[2] Luke( … 回) [引用] 2004/10/29/Fri/20:51 (No.66)

  徐々にの場合と、一挙にの場合があります。が、神が働かれる時は私たちの信仰の度量を越えることはありません。それに十字架は甘く、甘美な経験です。がんばって愛そうとしなくてよいのでは?

[3] ゴンベー( … 回) [E-mail] [引用] 2004/10/29/Fri/22:00 (No.67)

   早速の回答、感謝です。二つの点、とてもよくわかりました。「信仰の度量に応じ、神の働きは一挙でもあり、徐々にでもある」 したがって、「自由意志による信仰にまかせ、がんばる必要はない」。ということは、信仰がなければ、主観的実体化がゼロの場合もありうるわけですね。そして、がんばるのでは、安息がないということですね。

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