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そうですね、内在の罪(Sin)はアダムにあって全人類に入り、死をもたらしました(ローマ5:12)。もちろん罪(sins)を犯したことのない赤ちゃんもそれを受け継いでいます。
サタンは私たちの肉(霊から独立した魂と体の相互作用とかつてのそのパタン)を刺激し、内住の罪を刺激します。霊に頼らず自分の方法で自分の必要を満たす試みが罪です。ですから良い事であっても、それが肉のものであれば立派な罪です。すべて信仰によらないものは罪なのです。
パウロは内住の罪を人格化して表現しています。ウイットネス・リーや、時に他の人々もこの罪をサタンであると言っていますが(「肉のうちに悪魔がいる」などの表現)、これではクリスチャンの中にサタンがいることになりますから、危険な教えです。
サタン的な性質はあるでしょうが、人格を持つサタンではありません。サタンはひとりの霊的人格者であり、神のように偏在することはできません。聖霊は神のパースン(人格)そのものですから、私たちのうちには神が臨在してます。しかし人格化された罪はサタンそのものではありません。この意味では聖霊の内住とは本質的に異なります。
ただサタンは思いに働きかけ、私たちの肉を刺激し、内なる罪を活性化することはできるでしょう。このときの鍵は十字架の死に留まることができるかどうかです。 |