メルキゼデク系祭司


メルキゼデク系祭司 RES
[1] ICHIRO( … 回) [引用] 2004/06/29/Tue/20:32 (No.5)

  祭司制度の変更と律法の変更が関係していることは初めて気がつきました。
ネットを見ていても律法に対してどのような態度を取るべきか、ケンケンガクガクですが、いのちの路線に戻すという視点が必要なのですね。
結局イエス様はアダムとエバが取り損なったいのちを下さるために、いのちの祭司となり、ご自身がいのちとなり、道となってくださったわけですね。
そこで質問ですが、ルークさんは、新しい律法はいのちの御霊の法則であり、この法則に乗ることが勝利の鍵であると言われますが、今ひとつこの法則を実感することができません。
法則に乗るとか、法則をつかむとか、どのようにして分かるのでしょう。ご教授ください。

[2] Luke( … 回) [引用] 2004/06/29/Tue/22:42 (No.6)

  そうですね、これは何しろ体感するしかありません。あえて言えば、自転車に乗り出すことを考えてください。はじめは怖いですし、転んでばかりですが、慣れると自然に法則を掴めます。物理法則に対する信仰が養われた結果です。その法則を掴めば、手放しもできますね。霊的法則もまったく同じです。

[3] 青い風( … 回) [E-mail] [引用] 2004/06/30/Wed/10:51 (No.7)

   まだ、ヨチヨチ自転車乗りです。「祭司制度の変更」なんて、むずかしいことはわかりません。でも、日常の人間関係(まずは、家族、家族周辺)で問題・葛藤あるたびに、いのちの御霊に導かれる(自分で選択する)訓練をしています。古い自分ではイライラしたり、頭の中がカーッとしますが、少しずつ選択ができつつあります。ガマンではなく、その都度、相手といのちが流れ、喜びを感じ始めました。まだまだ、小さなことの繰り返しです。大きなことでは、躓きます。そのうちに、ゆとりを持って自転車に乗り、坂道、ガタガタ道をも、口笛吹いて走れるようになれば、という思いです。祈るしかありません。

[4] サザン・桑田( … 回) [引用] 2004/07/08/Thu/10:05 (No.16)

  はじめまして、いつも学ばせていただいています。

 祭司制度がレビからイエス様に変更になったから律法も石の律法から心の律法に変わり、心の律法を生きることを聖霊が可能にして下さるという理解でいいのでしょうか。
 ICHIROさんがおっしゃるとおり、わたしもいのちの御霊の法則をつかむコツがまだよく分かりません。でも古い律法を自分で守ろうとする努力からは解放されつつあります。楽になってきています。
 でももう一度確認させてください。これまで何度もアレをするな、コレをせよと言われ続けてきたので、不安なのです。古い律法を守る義務はクリスチャンにはないのですね。

[5] Luke( … 回) [引用] 2004/07/08/Thu/15:08 (No.17)

  はじめまして。

>  祭司制度がレビからイエス様に変更になったから律法も石の律法から心の律法に変わり、心の律法を生きることを聖霊が可能にして下さるという理解でいいのでしょうか。

そのとおりです。

>  ICHIROさんがおっしゃるとおり、わたしもいのちの御霊の法則をつかむコツがまだよく分かりません。でも古い律法を自分で守ろうとする努力からは解放されつつあります。楽になってきています。

習うより慣れろ、です。

>  でももう一度確認させてください。これまで何度もアレをするな、コレをせよと言われ続けてきたので、不安なのです。古い律法を守る義務はクリスチャンにはないのですね。

御言葉を引用しましょう:

ローマ7:2-4
それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか。――私は律法を知っている人々に言っているのです。―― 夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。ですから、夫が生きている間に他の男に行けば、姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死ねば、律法から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません。私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。

日本人は律法の民ではありませんが、日本人の病理である強迫性によって自家製の律法を作ります。これに対しては

ガラテヤ4:3,9
私たちもそれと同じで、まだ小さかった時には、この世の幼稚な教えの下に奴隷となっていました。・・・ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。

コロサイ2:20-29
もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、「すがるな。味わうな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか。そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。

ここにある「幼稚な教え」とは原語ではある種の霊的力を意味します。世を支配する堕落天使は空中にいますが、彼らに啓発された人間的教えです。これらの霊的影響から私達は解放されているのです。

聖書が明示的に禁じているのは4つです:偶像礼拝、不品行、絞め殺した物を食べること、生血を飲むこと。ほかはすべては許されているが、すべてが益になるわけではない、の判断によってください。内なる油がすべてを教えてくださいます。

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