自我を砕く と 自己の死


自我を砕く と 自己の死 RES
[1] et( … 回) [E-mail] [引用] 2004/09/09/Thu/12:53 (No.49)

  こんにちは。

ちょっとディープなトピックで「自己における死」を読みました。
非常にすっきりしました。
そして日記も読ませて頂いたところ、
「うちの教会では「自我を砕きぃ〜」と説教されていますという方、
それは十字架ではない」とおっしゃっています。
うちの教会ではまさに「自我を砕きぃ〜」と説教されます。
自己の死のことかなぁと思い、あまり気にしていなかったのですが・・・。

質問ですが、自我と自己の違いは何ですか?
また、ルークさんがおっしゃる「自我を砕く」とは、
どういう事を指すのでしょうか?
一般的に使われている言葉の定義の問題なんでしょうか?
十字架を経るか経ないかの違いなんでしょうか?

文章下手ですみません。

[2] Luke( … 回) [引用] 2004/09/09/Thu/20:58 (No.50)

  はじめまして。

とてもよいご質問です。私としては、むしろ、ヒステリックに「自我を砕きぃ〜」と説教している先生にその意味を伺いたいですね(笑)多分、自分が何を言っているのか分かっていないです。そして本人が実はけっこう葛藤を経験しているのですね。

第一に、そのような言葉は聖書にありません。自我(ego)は砕かれたら困ります。なぜなら私そのものだからです。主イエスご自身が「エゴ・エイミ(わたしはある)」と言われます。自我は私です。そして自我あるいは自意識の座は魂です。

第二に自己(Self)とは、霊が再生されていない場合は、魂と体の相互作用の表現です。罪の結果霊が死んだため人類は魂(思い・感情・意志)を肥大化させて体を乱用しますが、これが肉(flesh)です。この体の中には罪(Sin)が住んでいます。つまり肉の要素としては、霊から切り離されて神から独立して生きる魂と内住の罪からなります。

内住の罪はキリストの肉において裁かれ、いわば力を抜かれていますが、取り除かれてはいません。ちょうどワクチンのように無毒化されていますが、私たちが霊的に弱くなるとき、自分の体を罪に委ねるならば、罪々(sins)をいぜんとして犯します。私たちには体を罪に委ねない責任があります。

また主イエスが十字架につかれたとき、古い人(霊から切り離されて生きる自己)は死にました。しかしこれは魂が存在論的に消滅したのではありません。霊から独立した生き方が終わらされたのです。よって魂は霊から独立することなく、霊に頼れば良いのであって、砕かれて消失するわけではありません。主は、この独立する魂のいのちを否めと言われました。具体的には、魂は自分の主張と自分を守ることでその性質を表現します。この魂においてキリストを主張し、キリストに守ってもらえばよいのです。これが自分の魂を救わないことです。そしてこれは私の責任です。

このことを可能するするために私たちのうちに御霊が住んで下さっています。御霊に頼るならば罪に体を委ねたり肉の欲を満たすことはありません。しかしこれは「自我を砕きぃ〜」ではありません。パウロは「今や生きているのは私ではなく、キリストである。しかし肉にあって生きている"私"は御子の信仰によって"生きている"」(ガラテヤ2:20)と言っています。私(ego)は御子の信仰によって生きるのです!

あえて「砕かれる」を使うとすれば、霊から独立した魂の能力や達成の上に自己のアイデンティティを置くことは偽り、フェイクです。この誤ったアイデンティティの置き方、あるいは建て上げ方が崩される必要があります。しかしこれは自我そのものが砕かれるのではありません。自我の周りの居雑物が砕かれるのです。ただ魂はそれらを守ろうとしますから、抵抗しますし、痛みを覚えます。

そして魂は自分の中に蓄積された霊感情観念複合体のエネルギーで作動するのではなく、御霊が霊に注ぎ込む霊的いのちのエネルギーで作動するのです。御霊の油塗りによって滑らかに潤されつつ、もがきや焦りのない安息した魂の状態において、思い・感情・意志はその機能をかえって十分に発揮できます。思いはクリアに、感情は安定し豊かに、意志は神に対しては柔らかく、そしてキリストの魂の中で展開している事象が私たちの魂のうちに投影するのです。さらには魂の機能のし方がキリストのそれの再現になります。これが聖化です。

・・・で、ここではスペースの関係でこれ以上は・・・、ですので、こちらをご覧下さい:

・「古き人と肉の関係」
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/q&a/Q&A_1.html
・「私と内住の罪について」
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/q&a/Q&A_2.html
・「罪とは」
http://www.kingdomfellowship.com/Keywords/sin.html

それからバイブルカレッジの「真理は・・・」のコースで相当に詳細に論じています。

「自我を砕きぃ〜」と言う説教は実は聖書ではありません。「自我」と言う単語にある種の道徳的あるいは倫理的な意味を込めてしまっています。それは儒教の影響です。カルトでも「自我を砕きぃ〜」ってやっていますよ(笑)何か霊的に聞こえますが、巧妙な偽りです。これで束縛され、葛藤している人がかなり多いです。「自分は死のうとすればするほど、自分が生きている〜」と。生きていていいのです!

現在ニッポンキリスト教界には偽りのパン種があちこちに散りばめられています。しかも皆さん、疑問も感じていません。しかし疑問を感じ、正当な批判精神に目覚めることができた人は幸いです。それは人を解放する真理への第一歩です。牧師先生を批判してはならないとか、偉い先生に楯突くなとかになれば、これは立派なカルトです。受動的になって、ごもっとも姿勢になるのではなく、健全な批判精神を持ってください。もちろん御言葉と照らしてですが。

 あなたがたの間から古いパン種を取り除き、種なしパンの祭りに与れ

とあるとおりです。

Blessings!

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