クリスチャン以前の人生のモロモロの事件


クリスチャン以前の人生のモロモロの事件 RES
[1] ゴンベー( … 回) [E-mail] [引用] 2004/09/01/Wed/16:36 (No.44)

   クリスチャンになる以前の長い年月(半世紀以上)に、人間関係、職場関係、個人的活動などにて、さまざまな事件がありました。全体を通して、ヤコブの物語に通じます。計算高く、策略的で、ずる賢く、自己中心な自分…どれも、同じです。
 でも、クリスチャンになるまでの、数々の失敗や数々の成功(この世的な)は、やはり、神に選ばれた器に対する試練だったのでしょうか。それにしては、その間、神から(ヤコブのように)なんらの啓示も得ていません。当然でしょうが。それでも、今思うと、ここ人、あの人を通じて受けた言葉や失敗の事実などが、神の啓示だったのかもしれない、とも感じます。
 ノンクリスチャン時代の人生のイロイロな事件を、どう捉えたらいいのでしょうか。お教え願いたし。(なお、ごく最近、その延長線上の事件でペヌエルの経験を味わい始めました)。 

[2] Luke( … 回) [引用] 2004/09/01/Wed/18:15 (No.45)

  そうですね、聖霊を受けていない頃の神との関わり、あるいは神の導きは「一般恩恵」とかって神学的には言っているらしいです。一方聖霊を受けた後を「特別恩恵」とか・・・。

まあ神学用語はともかくとして、詩篇には「母の胎にある時から主のみ手がある」とありますし、エペソ書には世の基が置かれる前から、神は私たちを選んでくださったとあります。

単純にそれを信じて、明示的な語り掛けが意識されてなくとも、聖霊は私たちに働いていてくださり、ついには主のみ手に落ちるようにすべてを按配してくださっていたと、私は信じていますし、感じてもいます。

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