報酬


報酬 RES
[1] 小次郎( … 回) [引用] 2004/08/30/Mon/11:28 (No.41)

  おはようございます。
クリスチャン・ベーシックコースから質問させてください。
王国に入れずに再教育を受ける人がいると聞きましたが、再教育とはどういうことなのでしょうか。そのとき、マタイの福音書から「暗闇で歯噛みをする」ということも聞きました。どうして御国の子が暗闇に出されるかわかりません。恵みで神の国に入れるけれど、行いがないとその前にこういう所を通るということでしょうか。

セレブレーションのメッセージをありがとうございます。
MSGの音声ファイルが8月の8日でとまっているようですが、昨日のメッセージも楽しみにしています。もちろん、LISTENのところで聴くことはできました。

[2] Luke( … 回) [引用] 2004/08/30/Mon/12:48 (No.42)

  > 王国に入れずに再教育を受ける人がいると聞きましたが、再教育とはどういうことなのでしょうか。

神の国はいのちの誕生であり(ヨハネ3:3)、霊の再生されたクリスチャンは永遠の救いを得ています。これは信仰と恵みの問題です。御国は神の国の一時期であり、今の教会時代と千年期です。

そこでの統治はそれぞれに分が割り当てられますし、栄光に差があります。私たちのわざはキリストの御座でさばき(滅びへの白い御座の裁きではなく、査定あるいは評価)を受けます(2コリント5:10)。信仰は行いによって完成されます。各自はそれぞれのわざ(=信仰の実、あるいは恵みを無駄にしないこと)に応じて報酬を受けます(1コリント3:8;)。しかもこの報酬から漏れる者がいることはタラントの喩えから明らかです(マタイ25章)。

ただし注意して下さい。「わざ」といっても、よく見られるイケイケ的な肉の奮闘努力ではありません。最も有効なわざは安息することから生まれるのです。

では、どこでどのような再教育を受けるのか、私は分かりません。聖書は部分的に語っていますが、それを今ここで語ることは、耳が痛いことで、ほとんどの人は耐えられないでしょう。ただしそれは滅びではなく、訓練ですから、一時期のことであり、永遠の救いを失うことではありません。

> セレブレーションのメッセージをありがとうございます。
> MSGの音声ファイルが8月の8日でとまっているようですが、昨日のメッセージも楽しみにしています。もちろん、LISTENのところで聴くことはできました。

FTPの方、アップし忘れていましたので、さきほどしておきました。

[3] 小次郎( … 回) [引用] 2004/08/30/Mon/13:26 (No.43)

  メッセージもダウンロードできました。
旧約聖書の適用に驚いています。
ありがとうございました。

[4] Qちゃん( … 回) [引用] 2004/09/27/Mon/14:50 (No.51)

  とても勉強になります。ルークさんのレクチャーを聴きながら、この件について特に聖書を見てみましたが、例えば

マタイ7:22-23 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

この人たちは主の名を用いていますから、クリスチャンと解釈してよいわけですよね。ワザはしていても、主に拒否されてしまう人たち。

マタイ8:12 しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。

には明確に「御国の子」が外の暗闇に出されるとあります。

また

マタイ25:30 役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

にも「しもべ」とあります。

一時的な配剤とは言え、主によって査定されて拒否されることはさみしいです。

1コリント3:13-15 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。

これがキリストの裁きの座(ベマ)における裁きとなるわけですね。

現在のヒューマニズム的福音で安穏としている人たちにはとても受けがたく、またつまづきとなる部分だと思います。私自身も初めて聞いたときには相当にショッキングでしたし、受け入れがたく思いましたから。

しかし逆に現在この時に主に頼り、主の恵みだけによって生きる必要性を深く感じることができるようになったことも事実です。「恵みを無駄にしない生き方」をまっとうできればという願いが強くされました。

聖書はまさに神の言葉。人のスタンダードで測ることはできない。ルークさんがよく言われる「服する」ことだけが求められるわけですね。

[5] Luke( … 回) [引用] 2004/09/27/Mon/23:57 (No.52)

  昨今の人間中心的"福音"は砂糖まぶしを通り過ぎて、聖書の真理をダイレクトに否定しています。例えば、「地獄はない」とか、「イエスを信じなくとも天国に行ける」とか・・・。創世記3章のサタンのまいた偽りが教界において実を結んでいます。

それどころか、地獄の話をして人を脅すのはカルトだとか、イエスだけが救いの道と言うのは排他的で独善だとか・・・。忌まわしい姿勢です。神の言葉を人が裁く、あるいは都合の良い所だけつまみ食い。

すでにクリスチャンがふるいにかけられるステージに入ったと感じています。それぞれの心の本質がこれから次々に明らかになるでしょう。また有名どころの先生方や油注ぎの器などが真理から落ちていくことでしょう。

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