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へブル10:22とヤコブ5:16について教えてください。 へブル10:22は、良心の責め(罪責感)から解放されるのは、イエスの血が心に注がれるからであると書いてあるのだと思っています。
先日あるメッセージで、在責感から解放されるいくつかのステップがあって(罪の赦しなど)、その中のひとつに教会の小人数のグループで過去に犯した罪(Sins)を告白して受け入れてもらうことが必要であり、このステップには何ヶ月もかかると聞きました。ちなみに告白する相手は罪をおかした相手ではありません。その根拠としてヤコブ5:16「互いに自分の罪を告白し合いなさい。そして、癒されるため、互いのために祈り合いなさい。」があがっていました。この箇所はそういうことを言っているのでしょうか?インターリニアバイブルを見ると、「Confess one another the offenses」と書いてあり、「教会内で相手に対して犯した罪を告白しあう」という事を言っているように思えるのですが…?
罪の罪責感から解放されるのにこのような方法をとるというのは、カウンセリングの一般的な手法か何かなのでしょうか? |