教会における伝道者の存在意義とは


教会における伝道者の存在意義とは RES
[1] kawa( … 回) [E-mail] [引用] 2004/06/26/Sat/05:52 (No.3)

  真理の探求コースで、教会の職制には4役あって、地域教会の伝道者と牧者または教える者の違いについてよくわからないので教えてください。ニッポンキリスト教会にあっては、十字架は罪の身代わりという信者であれば誰でも知っていることを、あえて未信者に語るように、耳だこで信者に語り続ける「伝道者」風の牧師が多すぎると思います。もう話す前から分っているっていうのにです。そもそも伝道者は未信者を対象として語る者だと思います。ですから伝道者に導かれている教会の信者は、受洗までは何とかピークを維持しても、その後、信者はキリストへと形つくられ、成長できません。Luke兄のように最高学府で学んだ科学者であれば、「牧する者または教える者」風の牧師になって、信者をキリストへと形作らせることができます。牧者または教える者がもともと信者を対象としているからです。未信者レベルには理解がむずかしい面もなきにしもあらず。「伝道者」風、または「牧する者または教える者」風の両方を兼ねていれば申し分ないのですが、実際、セカンドオピニオンではありませんが、信者も成長という点では、「伝道者」レベルか「牧する者または教える者」レベルかで牧師を選ぶ権利があると思います。信者も自分の正統なニーズであれば、それを満たしてくれる牧師か否かで、その牧師にとどまるべきか否か、選択すべきだと思います。いつまでも「伝道者」風の牧師にとどまることは、人生における大いなる時間の無駄だと思われます。実際の教会は牧師次第、つまり「牧者または教える者」で九分九厘決まると思います。あえて伝道者と牧者または教える者の働きを分けた神の意図がよくわかりません。教会における伝道者の存在意義について教えてください

[2] Luke( … 回) [引用] 2004/06/26/Sat/10:29 (No.4)

  エペソ書の四役(よく五役の回復とか言われますが、よく読む必要がありますね)、使徒・預言者・伝道者・牧者/教える者は「ひとつの務め(The Ministry)」のために立てられています。それはキリストの体を建て上げること。

これまでのキリスト教界の風潮はいわゆる牧会場面が中心で、いわゆる牧師が何でも引き受けてきたことに問題があるわけです。で、伝道師は何か牧師の下の見習い的立場でいたわけですが、聖書の順番では、牧者/教える者が一番後にあります。

これらの機能はいのちが分化・成長するにつれて明確に分かれてきます。もちろん同一人物が兼ねることもありますが。伝道者は世との接点において魂を御国へと刈り取る重要な機能です。これまでの牧師がすべてをこなすような姿勢が間違っているわけです。

で、現在この役の回復とか言われていますが、問題は人間の組織的手法で行われていることです。使徒学校や預言者学校を出て、使徒や預言者になれるわけではありません。四役を任命するのは、イエス・キリストご自身ですから(エペソ4:11)。アノインティング(油塗り)の問題です。

今後自称使徒や預言者によって多くの問題が起きてくることでしょう。いや、実際にすでに起きていますが。

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