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はじめまして、しょうさん。
神の国(The Kingdom of God)と天の御国(The Kingdom of Heavens)についてはいろいろな解釈があります。私のスタンスは、恵みと報酬を区別しています(1コリント3:8)。なぜなら信仰は行いによって全うされるからです。私たちは賞を得るように走る必要があります(1コリント9:24)。
神の国はいのちの誕生(恵み)によります(ヨハネ3:5)。また天の御国は現在の教会(エクレシア)と来るべき千年王国の天的領域を意味します。ですから現在のクリスチャンにとっては<神の国=天の御国>で重なっています。
しかし来るべき時代では天の御国を得る人と得ない人が分かれるでしょう。これは現在私たちが恵みを無駄にすることなく(2コリント6:1)、内なるキリストの御業に与るとき、それぞれの行いによって査定されるわけです。この行いは義とされるための行いではなく、信仰と恵みの表現としての行いです。
これはキリストの御座(ベマ)の裁きによって、恵みをどれほど無駄にしなかったかが査定されます(2コリント5:10)。しかしこの裁きは滅びへの裁きではありません。業は焼かれますが、本人は救われています(1コリント3:15)。滅びへの裁きは千年期後の白い御座の裁きによります(黙示録20:11)。
さて、マタイのこの箇所は、文脈を見れば分かるとおり、何を第一にするかという心の動機を取り扱っている部分です。私たちは何にもまして<神の国=いのちの成長とキリストの統治>を第一に求める必要があるのです。
神の国を理解する時に、3つの時制を意識する必要があります。神の国はキリストと共に、<すでに来た>、<現在私たちのうちに確立しつつある(来つつある)>、<将来完全に到来しキリストの統治が成就する>。<has come>, <is coming>, <will come>の三相があるのです。
ですから現在の私たちは私たちのうちに恵みによって神の国が確立することを求める必要があるのです。それは<内にあるキリストのいのちの成長>と、<愛と平安によるキリストの統治の確立>です。
Blessings! |