聖書が明確に禁じていもの


聖書が明確に禁じていもの RES
[1] 小次郎( … 回) [引用] 2004/07/08/Thu/20:55 (No.18)

  聖書が明確に禁じているものは「偶像礼拝、不品行、絞め殺した物を食べること、生血を飲むこと」ということはわかりました。
ですが、それぞれに関して、どのように理解すればよいのでしょうか。
例えば、エホバの証人の方は生血を飲むことから輸血を禁止しています。(確か..。違ったらすみません)
この前、サンマを焼いて、あまり十分に焼けてなかったので、身が赤く、血が出てたようです。
気にせずに食べましたが、気づいていないだけで問題ありなのでしょうか。
偶像礼拝に関しては、仏像などを拝むことはもちろんありませんが、
人やお金、自分が偶像になっていることもあると聞きました。
どのように判断したらよいのでしょうか。

[2] Luke( … 回) [引用] 2004/07/08/Thu/21:08 (No.19)

  輸血と飲むことは違うでしょうね、医学的にも。私もステーキのミディアムが大好きです。でもすっぽんの生血は飲みません。ポイントは動物としてのいのちが血の中にあるからです。私たちが"飲む"血はイエスの血、私たちが"食べる"肉はイエスの肉です。

偶像は神に対して優先されるものはみなアイドルとなり得ます。牧師が自分の教会を大きくすることも偶像となり得ます。が、あえて像の前では手を合わせません。もし気がつかないアイドルを御霊が照明されたら、ただちにイエスの血によって捨て去ればよいでしょう。

大切な点は、霊的リアリティであるイエスの血、イエスのいのち、真の神イエスとの関係を損なうことがないことです。そのための最小限の禁がこの4つです。もし失敗しても赦しを求めればよいのです。

今や、キリスト・イエスにある者は罪に定められることは決してない(ローマ8:1)

[3] Luke( … 回) [引用] 2004/07/09/Fri/23:05 (No.20)

  メーリングリスト参加の方から次のような投稿がありました:

引用------------
使徒15:20を現代の私たちに適用するのは少し無理があるのではないでしょうか?
偶像礼拝と不品行は、十戒にも記されていますが、「絞め殺されたもの」と「血」は、21節にあるようにユダヤ人クリスチャンへの配慮であると考えられないでしょうか。
異邦人クリスチャンがユダヤ人クリスチャンと交わりが円滑にできるようにするためではないか、と私は推察しています。

使徒15:20よりも、マルコ12:39-31(平行箇所あり)、あるいは第一ヨハネ2:7-10(3:11)にあるように、神を愛し、互いに愛し合うことこそ、現代の私たちに与えられた新しい命令と言えるのではないでしょうか。そして、この愛に生きるときに、十戒のすべても自然に守ることができるようになると考えます。

私のレス--------
これはおっしゃる通りと思います。

わたしたちにとって大切なのは「禁」ではなく、いのちの御霊の法則(律法)に従って、御霊の力によって、いのちに生きることですから(もちろんこれは愛に生きることです)。

全レスを表示する / 返信する / 戻る


〜 お気軽にメッセージをどうぞ 〜

 Name 
 E-mail 
 URL 
 Text 
 Icon   IconList
 Color  / / / / / / / /
 DelKey 
Preview
トップに移動しない


- Web Topics -