死に至る罪と至らない罪


死に至る罪と至らない罪 RES
[1] kenji( … 回) [引用] 2006/12/28/Thu/10:11 (No.179)

  第一ヨハネ5:16〜17に記述されている「死に至る罪」と「死に至らない罪」の罪とは日々犯すsinsのことでしょうか。この場合の死とは肉体の死ではなく魂の死であると考えます。では、死に至る罪とは具体的にどんな罪なのでしょうか。
よろしくご教示下さい。

[2] Luke( … 回) [引用] 2006/12/30/Sat/20:57 (No.180)

  これはなかなか難しいですね。経験的に言えば、あくまでも自分の何かを主張し続けることによって、自分の体で死を刈り取ることがあります。良心が繊細にされることにより、絶えず主に立ち返る生活が大切ですね。

[3] kenji( … 回) [引用] 2006/12/31/Sun/09:35 (No.181)

  ご回答有難うございます。
使途行伝5:1〜11にあるアナニアとサッピラの死がそれにあたるのではないかと思い始めています。彼らは地所の売買代金を誤魔化し御霊を欺いたことで死んでしまいました。
ということは魂の死ではなく肉体の死です。
今日にもある主の裁きなのか興味のあることです。

[4] Luke( … 回) [引用] 2006/12/31/Sun/12:03 (No.182)

  ハードコアセッションの「教会から裁きがはじまる」もご参照下さい。

[5] むにゅ( … 回) [引用] 2006/12/31/Sun/17:58 (No.183)

  ルークさんの言われるとおり難しい問題だと思います、自分の命を救おうと思っている者にとっては。
自分の命を守ろうとする者なら、第一ヨハネ5:16〜17を「肉体の死」「魂の死」というふうにわけて考えておきたいところですね。キリストの御霊を受けたものでも「霊の死」に至る可能性があるなどと考えたくないものです。。
これって苦しいですよ。

でも、もしかりに自分が「死に至る」罪を犯しているものだとして
「はい、主よ。私はそのような者です。」とあっさり認めて、
自分の命を捨ててしまえば、
命を得ると。

パラドックスの世界ですね。

[6] むにゅ( … 回) [引用] 2006/12/31/Sun/18:03 (No.184)

  kenjiさん、ブラザーローレンスの本 お勧めです。

ルークさん、私もブラザーローレンスさんのような、
自分が地獄に行くか天国にいくかそんなことはどうでもいい、
ただ神を愛する、いつも心安らかな そんな 歩みをしたいです。

[7] kenji( … 回) [引用] 2007/01/01/Mon/23:38 (No.185)

  ルークさん、むにゅさん有難うございます。
私は、ルークさんがいつも仰るパラノイアなんですね。
それにしても、結構この質問には様々な答えが返ってきますね。
ということは私のような病識をもった方がいるってこと?
未だ裁きに怯えるコワイスチャンは卒業したいものです。

[8] Luke( … 回) [引用] 2007/01/02/Tue/07:42 (No.186)

  クリスチャンは神の峻厳を「畏れる」ことはあっても、「怯える」必要はないのですね。怯えを感じる時には、愛を求めればよいのです(1ヨハネ4:18)。

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