外面と内面の油の満たし


外面と内面の油の満たし RES
[1] どたんば( … 回) [E-mail] [引用] 2006/02/06/Mon/21:59 (No.142)

  ルークさん、いつもありがとうございます!

昨日のメッセ、聖霊について、あんなに解りやすく教えて頂き、本当に嬉しいです。テープにとってもらって、友人に配りたいと思っております。
度々の質問で、まことに申し訳ありませんが、
「油ぬり」に関して、教えて頂きたいのです。
ルークさんはいつも
「私たちはすでに油を塗られているので、外国から来た聖霊の器とやらに『油注ぎ』を受ける必要はないのです。すでに受けて居るのです。油を持っているのです!」
と、力強く教えて下さいました。
ウオッチマン・ニーのマタイ25章の解説で「5人の愚かな乙女」の意味を知りましたが
私たちクリスチャンは、最初信じた時の「内なる塗り油」の後は「代価」を払って油を買わなければならない。」という説明があり、本当に驚きました。
この「代価」とは、「十字架を負い続けること」と理解していいのでしょうか。
ルークさんの教えて下さった
「真の十字架とは自己を手離すこと」
「魂が霊と無関係に一人歩きすることを、敢えて否む。」ということなのでしょうか。
ルークさんの御体調のよろしい時で結構ですのでどうか、教えて頂きたいです。
このような質問をさせて頂けますこと、心から感謝いたします。

[2] Luke( … 回) [引用] 2006/02/06/Mon/22:10 (No.143)

  >この「代価」とは、「十字架を負い続けること」と理解していいのでしょうか。

と思います。経験的にも、たとえば人にヨイショされるときよりも、低くされるときの方が、油が塗り込まれますね。

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