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ルークさん、いつもありがとうございます!
昨日のメッセ、聖霊について、あんなに解りやすく教えて頂き、本当に嬉しいです。テープにとってもらって、友人に配りたいと思っております。 度々の質問で、まことに申し訳ありませんが、 「油ぬり」に関して、教えて頂きたいのです。 ルークさんはいつも 「私たちはすでに油を塗られているので、外国から来た聖霊の器とやらに『油注ぎ』を受ける必要はないのです。すでに受けて居るのです。油を持っているのです!」 と、力強く教えて下さいました。 ウオッチマン・ニーのマタイ25章の解説で「5人の愚かな乙女」の意味を知りましたが 私たちクリスチャンは、最初信じた時の「内なる塗り油」の後は「代価」を払って油を買わなければならない。」という説明があり、本当に驚きました。 この「代価」とは、「十字架を負い続けること」と理解していいのでしょうか。 ルークさんの教えて下さった 「真の十字架とは自己を手離すこと」 「魂が霊と無関係に一人歩きすることを、敢えて否む。」ということなのでしょうか。 ルークさんの御体調のよろしい時で結構ですのでどうか、教えて頂きたいです。 このような質問をさせて頂けますこと、心から感謝いたします。 |