|
つまり、異邦人とユダヤ人と、クリスチャンとメシアニックジューが存在するといった説があるわけです。しかし神の目から見たら、アダムのいのちを持つ人々(異邦人+ユダヤ人)と、キリストの復活のいのちを持つ人々(=クリスチャン)という2種類の人類があるだけです。あえて「メシアニックジュー」などと言う必要もないことです。ペテロやパウロも、クリスチャンと言われていたのですから。
それから神のご計画の中心はメシアニックジューであると言う人々もいますが、これも違います。ユダヤ人の選びは経綸的(機能的)な選びであって、本質的選びではありません。経綸的な選びは地上のタイムスケジュールと関係しますが、霊的には、神の計画の中心は、神の奥義なるキリストと、キリストの奥義なる教会(エクレシア)です。
これについては論考の方でも少し論じています。なお、ユダヤ人に入れ込む人から見ると、私の議論はユダヤ人に対する中傷であって、反ユダヤ主義だそうです。私としてはこのようなエキセントリックな姿勢のほうがコワイですが・・・。 |