No.927の記事

見てきました、靖国神社

いやあ〜、スゴイですね、やっぱり。外目には神社自体は他の神社と同じです。境内の雰囲気は、私は、実はけっこう好きなんですね。ヨーロッパのいわゆる教会のカセドラルはやたらと高さを競うわけで、装飾もやたらとキラビヤカで、何となく落ち着きません。エルサレムの聖墳墓教会などはちょっと不気味でしたしね。そこいくと神社は建物が低い。装飾も地味で、独特の落ち着きがある。聖霊派の人たちに言わせると悪霊がウジャウジャいるようですが・・・(笑)

面白いのは神社主催で「つのだ☆ひろコンサート」をするんだとか。「メリージェーン〜」とやるのかしらん?ところが「遊就館」に入ってビックリ。まず入り口にはゼロ戦と汽車のC56。本物のゼロ戦を見て、私の心は一挙に童心に帰り、一言、「スゲェ〜」。

中に入るとまず映画。これはWWUを皇国史観から見たもの。史実はキチンと押さえているが、国のために命を捧げた英霊の御霊を祀れぇ〜式のもの。陳列は古事記・日本書紀の時代からのWWUまでの日本史の絵巻。その主張は要するに、植民地支配の欧米列強に対してアジアの希望の星として日本は白人に伍して戦った。WWUも欧米の仕掛けによって追い詰められて、民族自主独立を守るための戦争であり、アジア諸国もそれによって欧米の植民地支配から解放された、と言うわけ。

それと兵器博物館がスゴイ。疾風の実機とか、特攻潜水艦とか、戦艦の主砲とか、97式戦車とか・・・。山本五十六の乗っていた飛行機の破片なんて物もある。やたらと刀なども並んでいて、その筋の人たちはワクワクするでしょうね。何を隠そう、私も田宮模型のゼロ戦のプラモデルを買って来てしまった^^。しかし独特の緊迫感があって、かなり疲れた・・・。

(感想:国営の無宗教の慰霊墓地を造るなんて、無理ですね。自己撞着です。靖国神社にはやはり念が篭っています。要塞というか・・・。)

神社の外は霞ヶ関一帯に警察官がやたらと多い。首相官邸へのオバチャンの特攻事件もあったようだが、実際問題として自爆テロをやられたら東京はひとたまりもないでしょう。コワイです。

BBSにも書きましたが、キリスト教ギョーカイでも、テゼ共同体の指導者がビョウキの女性に刺し殺されるとかの事件もあるようです。かく言う私の家にも、夜中の3時頃、ピンポーン。緊張感を覚えつつインタホンに出ると、「あの〜、信者の者ですが・・・」と男のキモイ声。「ヤバイなあ〜」と思いつつ、「あなた何時だと思っているんですか。警察を呼びますよ」と小生。もちろんKFCの人ではない。多分本を読んだ人だろう。

また別のケースではある問題のある教団の牧師が私の不在時に自宅まで押しかけて来て、カミさんが恐る恐るインタホン越しに応対するなんて場合もあるわけです(本に自宅の住所など書くのではなかったと後悔しています)。

と言うわけで、このギョーカイ、けっこうコワイわけです。妄想系の人は私の語っていない言葉を聴いて恨みを持ちますし、私の語ったことも文脈を無視して勝手な聴き方をする人もいます。で、「ルークさんが言ったから、自分はこうしたんだ」とか言い出すわけ。精神科を開業している私の義兄も、自宅の電話は決して公開していませんし(それでも来るわけ・・・)、暇があると横浜を逃げ出しているのです。

今後、グローバルスタンダードで二分化して社会が荒ぶと、落ちた人たちやビョウキの人たちがニッポンキリスト教界に押しかけるでしょう。多分対応できませんね。彼らも靖国神社には行かないだろうし、ICHIROさんではありませんが、「このままほおって置くと、大変なことになりますよぉ〜」。

Commented by まるふぁ 2005年08月30日(火)20:21

お気をつけください…主の守りを祈ります。

先日、D.ボンへフッファー著『共に生きる生活』(新教出版、森野善右衛門訳)を読みました。
キリスト者の交わりは、
「イエス・キリストを通しての(durch)、またイエス・キリストにある(in)交わりを意味する。キリスト者の交わりは、それ以上のものではなく、またそれ以下のものでもない。」(p.13)「理想的(Ideal)ではなくて、神的(gottlich)現実である」「霊的な(pneumatisch)現実であって、心的な(psychisch)現実ではない」(p.20-21)
との文章は、今のキリスト教界の「交わり」の問題点を指摘しているように思いました。

精神疾患がある人の中にも、「普通の感覚」を失っていない人もいます。逆に、「健常者」としてまかり通りながら「アブナイ」人もいます。「精神疾患」と「心のビョーキ」とは違うのではないか?と思う今日この頃です。

Commented by Luke 2005年08月30日(火)21:42

そうですね、「精神疾患に罹ること」と、「心のビョーキである」ことは確かに異なります。だから、あえてビョーキと書いているのですね。

ポイントは病識があるかどうかです。特にコワイのは、自分は霊的であるとして、"神の声"を聴いたり、誰それに悪霊がついているとか言いふらしつつ、普通の生活から遊離する"信仰に熱心"な人たちですね。

何しろ自分は神の側、相手はサタンの側ですから、彼らにはコワイモノがないわけで・・・。こういう人たちがビョーキの人で、疾患を持っている場合もあるし、見かけは健常かもしれませんが、いずれにしろコワイわけです・・・。

ちなみに靖国神社のアピールは聖霊派の臭いと同じですね。一億総福音化伝道とかね・・・。