No.1834の記事

ニッポンの立ち位置

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今回の富田メモもそうだが、世の動きや政治の裏の意図−これはなかなか面白い。先に紹介した竹内氏の書物や、いわゆる東京裁判史観を自虐史観として否定する人々の主張を読んでいるが、これもけっこう面白い。櫻井よしこ氏などもこの立場の人で、Blogをちょっと覗いてみるとそれなりの主張が聞ける。

ずっと前に明治維新においてグラバーなどのメーソンが果たした役割を論じた本『石の扉』を紹介したが、今回同じ著者により、『あやつられた龍馬』と題する本が出た。歴史の事実をどのようなフィルターを通して見るか、これによっていわゆる史観が構成されるが、やや陰謀史観と言えるかも知れない。

私の史観は精神病理史観であるが、前から指摘している通り、例えば対米関係においてすら、<開国=政治的去勢>→<原爆=軍事的去勢>→<バブル崩壊=経済的去勢>と進展している。かくしてニッポンは対米関係においてエディプス葛藤を抱えつつ米に挑むも、その度に去勢されてきたわけ。これでまったく自立ができない!特にニッポンキリスト教は。この裏には長期の対日戦略があることは明らか。

かくしてニッポンの立ち位置が分からなくなっているわけで、キリスト教界でも、たとえば再建主義の富井氏は、黙示録の「新天新地」とはアマテラス(=キリスト)をいただく日本であると言い出されたようだ。こうでも言わないとニッポン人クリスチャンとしてのアイデンティティを保てないのかも知れない。

クリスチャン的には歴史の流れにいわゆる聖書預言の解釈のフィルターをかけて見ることが一般的であるが、『レフトビハインド』的終末論にはまるとイスラエル・フリークを生み出し、今日の混乱にさらに火を注ぐことになる。私のスタンスは、預言解釈はひとつの選択肢であり、私たちには未来も分からないが、しかし私たちは未来を知っているお方を知っている。ここに安息することが、今を目いっぱい生きるカギであろうと考える次第。少なくとも解釈の違いを巡ってのケンケンガクガクの神学論争はご遠慮したい。

Commented by Luke 2006年07月26日(水)21:37

本書は陰謀論的かと思って読み進んできましたが、まったく違いました。キチンとした資料を読み込んで、倒幕の志士たちとグラバーの関係を論証していますね。しばしば教科書に出ない部分に真実があるわけです。実に面白い。