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生きることとムーヴメント

この世ばかりでなく、ニッポンキリスト教でもアメリカでベストセラーになった本を持ち込んでありがたがる風潮は絶えないが、どうしてこう<アメリカのポチ化>から解かれないのでしょうか?いや動機が商売であるとすれば、これはいつまでもなくなりはしない。

加えて教えの風ばかりでなく、アレコレのムーヴメントも次から次へと現われては消え・・・。いのちはlife、生きることはlive、そして人生はlife。私たちはムーヴメントに携わっている民ではなく、生きる民なのだ。問題はどのいのちを用いて、あるいはどのいのちに頼って生きるか。

聖霊は私たちのうちにいのちをインプラントし、そのいのちを生かし出して下さる<パースン(お方)>である。パフォーマンスによって衆目を集めるためのパワーではない。「紺屋の白袴」ならぬ「聖霊派の聖霊知らず」はどうも否定し難いようだ。