* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
再建主義の富井さんなどもアングロサクソンに逆らうのは危険だと言っていますね。彼らに神の真理、特にカルヴァン神学が委ねられているからだ、と。とすれば藤原氏などはまさに神の裁きの最先端にいるかも知れませんね。ややこわいですが。キリスト教神学とイエスご自身、この両者には相当のギャップがあるようです。
イラク戦争は世界の平和のためでもなく、大義のない、要するにやりたかったからやっただけ。私はずっと前に、ブッシュよ、神の裁きがあるだろう、と言ったが、真実が次々に明らかになっているだ。アメリカと言う国の本質は、WBCのアノ何とか言う審判に象徴される。(→記事)
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ぼろぼろなのはわが国の民主党も同じだが、小沢氏が選ばれた。私的にはぜひ一度やらせたかった人物。顔で女性票を失って損しているが、実力はある。主張は『国家の品格』の路線。つまり武士道。人の心を改革すると言っているが、はたしてどうやって?かなり期待している。
BBSでかなり本質的なトピックが論じられている。諸悪の根源は「大きいことはいいことだ〜」にあると。これは人のセルフ(自己)をなんとも気持ちよく刺激する。で、ショッピングセンター、幼稚園・学校、リクレーション施設、病院・・・と完備した1万や2万規模のメガチャーチがアメリカにはゾクゾク誕生しているとか。
しかも、こういった教会の牧師が、その都市をあずかる使徒や預言者となるわけ。そして他の弱小教会は彼らのカバリングに入って、秩序だった、権威の系統が明確な、整然とした、素晴らしい教会が各都市ごとにできあがる。子供たちにもチャーチ・スクールで、フセインは神の敵だと教える。原爆も伝道のために神が用いたと正当化する。
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19歳の妊娠中絶の件数は50人に1人とか。絶句。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041102-00000038-kyodo-soci
狂っていますね、コメントのしようもない・・・。リバイバルどころではなく、この国はまず神の裁きを受ける必要があるでしょう。
今日は大学のオープンキャンパスで1,000人の高校生とその親御さんたちを接待した。ふぅ〜。昨日は家内だったが、本日は私が軽い熱中症のようで、頭がぼお〜として、目の奥からズンズンと頭痛が走り、吐き気がしている。水はちょこちょこと飲んでいたのだが、何しろ暑すぎる・・・。
そこで上の写真と次のビデオで涼んでください。オホーツクの流氷です(^ ^;A
http://www.kingdomfellowship.com/Av/Ryuhyo_High.wmv
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証し集に20日の日記を読まれた姉妹が証しを寄稿してくださった。2度の中絶の経験をお持ちの方である。真に自分の罪を自覚する時、真に神の赦しを知ることができる。そして多く赦された者は多く愛することができる。
日ごろ感じているのは、神の裁きを恐れたり、不安や抑うつに責められる人は、この深い部分での赦しの経験(知識ではなく)が欠如しているのではないかと思っている。真に赦されている安堵感と解放感をクルシチャンは味わう必要がある。真に慰めを受けた者は、口先でなく真に人を慰めることができる。
このとき内側に絶えず、「あなたはわたしの子、あなたはわたしの満足である、わたしはあなたの父、あなたを顧みて見捨てない・・・」と言う声が響くようになる。証し集のご婦人もこのような神との親密な会話のコツが開かれた。
遠藤周作の「沈黙」と言う小説があるが、神は沈黙の神ではない。神は生きて語る神である。神の声は絶えず私の霊のうちに響き、私を支えて下さる。私は過去2度人生の危機を経験したが、その度に「恐れるな、虫けらのヤコブよ。わたしはわたしの右の手であなたの右の手を取って、あなたを支える」、また「エリヤの神はどこにいるのか・・・」と言う声がこだました。内なる声によって深い平安が私のあらゆる恐れと不安を沈静化してくださった。
内なるパイロットランプ。外側を見れば振り回されるが、内側(霊)に戻れば、いつもそこに主がおられる。「あなたは赦されている」、「完全な愛は恐れを取り除く」。私たちが真実でなくても、神はとこしえに真実である。
3人の姉妹方の証しを感謝します。
イラク戦についてはクリスチャンの間でもケンケンガクガク。最近ケン・ジョセフとかいう御仁がよくTVでも出ており、アメリカは確かに国連決議によらず、独走したが、イラク国民が爆撃によってフセインの圧制から解放されることを喜んでいるので、以前はイラク戦反対であったが、自分は間違っていたとか語っているようです。
ある人に言わせると、フセインの横暴を警察(国連)に訴えたが取り合ってくれずにいたところ、ヤクザ(アメリカ)が介入してくれて、フセインの圧制から解き放ったようなものであるとのこと。やれやれ。
この人たちのこのような「信仰」は正直言ってコワイ。彼らは「御心が天になるとおり地にもなりますように」という主の祈りをどのように祈るのであろう。神の統治は愛であり、同時に義である。ヤクザによって解放されたイラク国民はこれから真の苦しみを経ることであろう。
面白いのはディスペンセイション主義のプレミレ的終末論(レフトビハインド系)を取る人は聖書の預言どおり世界は混沌の度合いを増しており、携挙と再臨が近い兆候だからむしろこのような事態は歓迎されるし、ポストミレの再建主義者によれば神の統治権を犯すものであり、よって断固糾弾すべしとなる。同じ聖書に立って正反対の評価が出ることはきわめて興味深い。
私はと言えば、プレミレであるが、前艱難期携挙は取っていないし、再建主義ではないが神の統治権をアメリカは犯していると前から言ってきた。アメリカは神に委ねられた権威の一線を越えている。よって神の裁きはあるだろう。神は人類の罪を結果として用いることはあっても、ブッシュはイスラエルの利益のため、また預言成就のために神が格別に建てたすばらしい神の器であるなどは、ほとんどカルト思考パタンである。
イラク戦が開始の際にも書いたが、主は何と言っているか、
剣を取るものは剣によって滅びる
ブッシュよ、神の公義による裁きは貴殿の上にある。ネオコンに支配されたアメリカの命運は明らかである。
参考:イラク戦開戦に当たって→http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/Iraq_War.html
神の御計画と陰謀論→http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing32.html
11世紀に起きた十字軍の特集があった。時のローマ皇帝の一声で、イスラムによって占拠されていたエルサレムを奪還すべく、燃え上がった人々が十字軍を結成し、イスラムの人々を大量に虐殺した。
見ていて、正直言ってキリスト教は恐いと感じた。絵においてもイスラムを虐殺したキリスト教徒の目が逝っている。彼らは「キリストの名」によって、「神のために」なしたわけであるが、完全にカルト化し、狂信者と化している。宗教は恐い、これが私の実感である。
では私たちクリスチャンとは何なのか。私は自分をキリスト教徒と思っていない。私が信じているのはキリスト教ではなく、キリスト御自身である。宗教ではない!生けるお方との関係である。私たちは別にエルサレムなど奪還しなくとも、どこでもいつでも礼拝することができる。否、むしろそのような礼拝を神は求めているとイエスは言っている。
目に見える場所や方法を、目に見えない方(パースン)よりも優先すること、これが宗教である。現在モリヤの山の神殿の跡には嘆きの壁とモスクが建っている。ディスペンセイション主義によれば、ここに第三神殿が再建され、そこに666が自分を神として立つはずである。しかしこの予言解釈を金科玉条にして、青筋立ててこれを守ろうとするならば、これはすでに立派な宗教である。
イラク戦でもアメリカの一部の狂信的牧師が「サダムを殺せ!」とほとんど逝っている目を持ってメッセージしていたが、これもすでに宗教であり、カルトである。また現在でもイスラエルに入れ込む牧師たちが、ブッシュに対して「イスラエルの領土は一歩たりとも譲ってならぬ、譲るならば神の裁きが下る」と叫んでいるが、これも狂信であり、十字軍と何ら変わりはない。そこに働く霊は御霊ではない。
すでにまことの神殿は建て上げられつつある。まことの神殿とは私たちである。至聖所は私たちの霊である。霊と真理による礼拝、これが神が求める礼拝である。物理的なイスラエルという地は神がメシアをもたらすために経綸的に選んだ地に過ぎない。本質は教会(エクレシア)である。私はイスラエルと教会が置き換わったとする「置換神学」ではなく、「元から神学」を唱えている。神は元々教会を得ることが御旨だったのである!
まことの神の神殿として私たちが建て上げられることが神のエコノミーを完成し、私たちがキリストの花嫁として用意される時、主が迎えに来られるのである。どうして成長していない教会を花嫁として迎えることができようか?一部の人がメシアニック・ジューなどを奉っているが、何も彼らを特別に扱う必要などない。彼らの肉の誇りに応える必要はない。肉のものは何ら意味はない!
イスラエルとエクレシア−あなたはどこで真の礼拝をするのですか?