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異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/09 21:00
投稿者 ブヒちゃん
参照先
(;_;)明らかに異端と言われてる所は当然ですが、一見普通に見える教会・・・?教界・・?で傷つく人が余りにも多いように思います。単なる甘えなのでしょうか・・・?
いろんなケースが考えられると思いますが、何故、そう云う事が起こるのか、何が問題なのか、私たちが出来る事は何なのか、皆さまのご意見をお聞かせください。
よろしく、お願いします。

あ、一般的な異端、カルトの定義もお願いします。
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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/27 09:13
投稿者 てんてこまい
参照先
私たちの神の基準は善行(魂の善行)でしょうか?

偶像礼拝について、
10・23のルークさんのメッセージが御参考になると思います。(魂の粘着性)
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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/26 23:28
投稿者 赤とんぼ
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他のことにおいて、もっと、間違ったことをして
いても、なんとも思わないというようなことはな
いでしょうか。
>ここの意味がよく解りません。
例えば、マザー・テレサがイスラム教の人が亡くなる人にコーランを読んで聞かせるので、正しい信仰を持っていないという批判です。私自身は、イスラム教の人にコーランを読むようなことはしませんが、彼女のように本当に貧しい人に愛を持って接することができません。そのような私が彼女を批判するようなを簡単にできないということです。
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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/26 21:27
投稿者 てんてこまい
参照先
赤とんぼさんへ

ご意見、ありがとうございます。

ただ

<他のことにおいて、もっと、間違ったことをして

<いても、なんとも思わないというようなことはな

<いでしょうか。

ここの意味がよく解りません。

もう少し具体的に仰って頂けると助かります。
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隠しファイル (-_-;)
投稿日 : 2005/10/25 22:53
投稿者 どたんば
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ルークさん!

隠しファイル・・ありがとうございました。

あれが有名なトロントの状態だったのですね。

みんな行きたがってました。キリスト教の最先端、

トレンド、最も天国に近いエリヤ、そんな感覚でした。

と言いつつも

昔の自分をみているようでほんとうに恥ずかしかっ

たです。

キリストを求めていなかったあの頃の自分、

聖霊と言うお方が「体」にだけ働いて、現象によっ

て存在をを示してくれる神だと信じてた自分、

それによって多くの大切なものを失って来た自分、

いのちを求めたのではなく、神に対する甘えを貫徹

せんがために(神の愛はセンチメントではなく、ストロング! 効きましたあ〜〜)

そんな愚かな集会で「転げて」いた、自分を思い出しました。

でもそんな私を主イエスは裁くことなく、忍耐を尽くし、

私の読む御ことばを、聖霊ランプを照らし出して

今日の今日まで養って下さいました。

感謝の言葉もありません。

魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく
私を正しい道に導かれる  詩23:3
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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/25 12:35
投稿者 赤とんぼ
参照先
>「キリスト信仰をもってコーランを読む、読んであ
げる」ということになってきます。

おっしゃっていることは、分かりますが、だからといって、マザー・テレサを否定するようなことになるのも釈然としません。もし、仏教のお葬式でショウコウしないというのは、立派なことかもしれませんが、他のことにおいて、もっと、間違ったことをしていても、なんとも思わないというようなことはないでしょうか。
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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/25 10:51
投稿者 Luke
参照先
>まるふぁさんにはまことに恐縮ですが。。。

まるふぁさんも同じ問題提起をされているのだと思いますよ^^



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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/24 22:33
投稿者 てんてこまい
参照先


まるふぁさんへ

(続き)

〜〜とすると、ローマカトリックのいう「キリスト

教」というものには

罪のない御人がお二人もいらっしゃるということに

なりまして。。。(:_;)何とも不思議な『キリスト

教』なってしまうわけです。。。

真理なるお方はイエスお一人なので、やはり偽者

は。。。はっきりしてくると思います。

<マザー・テレサは、主の御名によって、信仰をも

<って、キリストにあってコーランを

ですが

「信仰」=キリスト信仰ですよね

「キリスト信仰をもってコーランを読む、読んであ

げる」ということになってきます。

また「イエスの御名によって、コーランを〜」

ならば、「雲は青くて空は白い」と言ってることと

同じでしょう。

「おそるおそる」、カキコしてくださった

まるふぁさんにはまことに恐縮ですが。。。





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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/24 21:41
投稿者 てんてこまい
参照先
こんばんは!

まるふぁさんへ

<みなさまローマカトリック教会への批判はやはり「マリヤ信仰」みたいですね。

大切なこと!忘れてました。「教皇無謬説」です。
教皇は罪がない!と仰います..アセッ
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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/24 21:40
投稿者 Luke
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英国のColin Urquhartはよく「神の愛はセンチメントではなく、ストロングだ」と言っています。対してニッポンキリスト教は甘えの裏返しですね。裏切られた甘えをこのギョウカイで擬似的に満たそうとしているわけ。要するに外見はオトナでも、中身はコドモ。小泉チルドレンはチャイルドシートが必要だとか。同じですね、このギョウカイも。だから湿度と粘着度が高いし、彼らの期待に沿わないとそれはもう大変です(汗)。

主が求める愛は排他的です:

「誰でもわたしよりも自分の父や母を愛する者はわたしにふさわしくない。わたしに従って来たい者は、自分の十字架を負って従いなさい。誰も自分の魂を救おうとする者はそれを失い、わたしのためにそれを失う者は得るであろう」

とあるとおりです。これはDr.Lukeの言葉ではありませんよ!イエスご自身の言葉ですから。念のため。


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マザー・テレサのことなど
投稿日 : 2005/10/27 18:56
投稿者 まるふぁ
参照先
こんにちは。恐る恐る…参加ですm(..*)m

マザー・テレサの、死に際に相手の信仰する経典を読む話は有名で、日本でも「これこそ寛容、これこそ愛」と言われているように感じています。
フリーディスカッション掲示板の「異教の葬儀について」(No.2010)の時も思ったのですが、日本人(と一般化してはいけないかも知れませんが)は「アガペー、寛容」と「ヒューマニズム的人間愛、妥協」をごっちゃにしてしまう…というより前者を理解していないから、後者でしか見られないのだろうと感じました。「信仰によって」拒否あるいは行動することが理解されないのだろう、と。
マザー・テレサは、主の御名によって、信仰をもって、キリストにあってコーランを死に行く人に読み聞かせたのではと思います。そこに執り成しの祈りがあったも知れませんが、キリストへの愛のために、異教の経典を読むことはあり得ないのでしょうか?妥協ではなく、キリストへの信仰によって焼香をすることは不可能でしょうか?
……実際はとても難しいことだと思います。経典や焼香を拒否することよりもずっとずっと難しいでしょう。
拒否するにしても、動機がキリストへの愛なのか自分の意地なのか。
私はまだ、キリストへの信仰によって焼香することはできません。今したら良心に汚れを受けます。いつの日か妥協でも人間的配慮でもなく、信仰によって、「主のために」できるように祈ります。
「アガペー」は、人間・私には理解も表現も実行もできないものだとさえ思っています。できるのもできたのもイエス・キリストだけ、かな。
しかし今のキリスト教会では、「愛、愛、愛」と軽々しく「愛」を口にし安価なものとして扱ってしまっているように思います…。

みなさまローマカトリック教会への批判はやはり「マリヤ信仰」みたいですね。
マリヤさまに執り成し、取次ぎを祈るローマカトリック信徒と、「油注がれた器」に祈ってもらう聖霊派プロテスタント信徒…人間って「人」に頼りたくなるのですね…自戒(^^;)
こうして見ていると「○○教会」は云々、というより、やはりひとりひとりの信仰が問われるのだなぁと感じました。アイデンティティを「教会」に置くか、「キリストを土台とする」か…。
「教会」を見るのではなく、相手である兄弟・姉妹のうちにいますキリストを見る、キリストに出会うことが「ポイント」?
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