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異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/09 21:00
投稿者 ブヒちゃん
参照先
(;_;)明らかに異端と言われてる所は当然ですが、一見普通に見える教会・・・?教界・・?で傷つく人が余りにも多いように思います。単なる甘えなのでしょうか・・・?
いろんなケースが考えられると思いますが、何故、そう云う事が起こるのか、何が問題なのか、私たちが出来る事は何なのか、皆さまのご意見をお聞かせください。
よろしく、お願いします。

あ、一般的な異端、カルトの定義もお願いします。
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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/12/03 08:41
投稿者 ジョニくん◆GaMxKZ6VFUk
参照先
ブヒさんへ
おはようございます。


BBSで<東京キリストの教会>を知りました。表面上はなにも
おかしくないように見えますが、もとメンバーの手記を見つけたので、以下に・・・。
異端と紙一重のところがあるもんですね〜〜悲しいです。
(字数の都合、一部略)

Mercyさんの手記
始まりはもう12年前(1997年現在)になります。ボス
トンとNYに旅行中に、教会の人々との不思議な出会
いから、ボストンキリストの教会とかかわって、アメ
リカにいる時から、聖書の勉強を始めて、日本に帰っ
てきてからも勉強を続けて、5ヶ月くらいでバプテス
マを受けました。それから2年間本当に一生懸命、教
会活動をしましたが、はじめは「神様のため」に行動し
ていたのが、いつのまにか、ピラミッド式の教会の組
織に流され、だんだん、「リーダーがそう言うから」に
変わりました。クリスチャンとして「しなくてはなら
ないこと」と「してはいけないこと」を、逐一、パート
ナーに許しを得てからの行動。いわゆる日本の会社組
織のような、縦社会で、常に、プレッシャーとストレ
スを感じていました。「そう感じては罪だ」と自分を責
めつつ、またリーダーからも、「態度が悪い」と責めら
れて、最悪な状態へ自分を追い込んでしまいました。
上の人がすることは、絶対で、話し合いにもならず、
いつも「信仰のない自分が悪い」という言葉になりま
した。今から思えばかなり無理をしていたと思いま
す。もっと力を抜いていても良かったのかもしれませ
ん。


すべ
て普通の人が普通にしていることがどんなに嬉し
かったことか。外に出て、初めて、世の中が動いてい
ることを知って、ショックを受けました。
教会を去るとき、リーダーとの話し合いがあって、今
すぐにリペント(悔い改め)をしないと地獄に行く、と
言われました。そして
悔い改めるまでは、教会の兄弟姉妹には連絡をとらな
いように言われました。そして悔い改めのチャンスは
今しかない、今、悔い改めないのなら、もう教会には
来ないように、と言われました。時間はありませんで
した。本当に、話したい姉妹達がいたのですが、どう
しようもありませんでした。悲しかったです。それで
もこの教会は、おかしい。このリーダー達が言ってい
ることは間違っていると思って、教会に残る気にはな
りませんでした。せっかく知った神様に悪くて悪く
て、でもその教会に留まりたいとは思いませんでし
た。
私は、その教会から去っても、
絶対的に、神様を信じていました。聖書も読んでいま
したが、どこの教会にも行く気にならなかったので
す。「あの教会だけが本当の教会」という間違った教え
の、思いこみのせいです。「悔い改めをすること」イ
コール「その教会に属していなくてはならない」とい
う考え方です。これがマインドコントロールだと気づ
くまで、数年はかかりました。人から言われても、「彼
らが解っていないのだ」と思って、気づかないので
す。安心して相談できる人は誰もいませんでした。宗
教のマインドコントロールといった言葉がテレビ・雑
誌で見られるようになったのも数年後でした。本当に
苦しい日々でした。教会で仲が良かった姉妹達も、連
絡しないように言われていたのか、ひとつも連絡があ
りませんでした。数年後に数人の人がやめてから解っ
たことですが、トップの人が、私が結婚してハワイへ
引っ越した(実際、私から絵はがきがきたとの誤情報
を流していて、みんな信じていたそうです。・・・中略
また教会の中では教えてもらえ
なかった教会のトップの人達の遍歴やどういう経緯
でアメリカからミッショナリーが送られてくるのか、
とか詳しいことがやっと分かったのです。
未だどこかの教会の会員になる
のは「怖い」という恐れがあります。これが13年たっ
てもまだある、マインドコントロールの後遺症です。
まだ、時間が必要なようです。 色々な教会に行ってみ
て、自分にあった教会を見つけたいと思います。一番
神様が私に望んでいるのは、いつも神様から離れず
に、神様を第一に求めることだと思います。どんなに
言葉できれい事を行っても、神様は私の心の隅々まで
全部知っておられるのです。それが嬉しいです。ここ
まで見守って下さった神様に感謝して、これが少しで
も誰かの役に立てますように。
CBS機関紙第2号より転載




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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/29 09:30
投稿者 てんてこまい
参照先

まるふぁさんへ

私はマザーテレサに関して自分の意見を率直に書かせて頂きました。

クリスチャンの歩みの中で、悩みつつ主に尋ねたり、考えたりしてきたことでした。

その中で

「イエスに感動している人が、今死のうとしている人にコーランを読んであげるだろうか。」

という単純な結論が出ました。主に感謝です。

また、皆様とこのことをお分かちできたことも、私の思いを超えたものでした。感謝です!


祝福がございますように!









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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/29 09:25
投稿者 てんてこまい
参照先
赤とんぼさんへ

私が仮に「クリスチャンが戦争で人を殺したら異端だ」と答えても、又「異端とは言えない」と

答えたとしても、どちらにしても赤とんぼさんからの問いかけの論議は続くことでしょう。

しかし、

クリスチャン同士には、最低限の「価値観の共有」というものがあると思います。

>マザー・テレサがイスラム教の人が亡くなる人にコーランを読んで聞かせるので、正しい信仰を持っていないとい

>う批判です。

この事を赤とんぼさんが

「批判」と御理解されている限り、建設的な方向に論議がなされることは難しいと思われます。

そして「クリスチャンの戦争参加の是非」の論議から、まず手をつけていかねばならないでしょう。

今回、まるふぁさんと赤とんぼさんとデイスカッションして感じたことですが 、

この事を「クリスチャンとしての歩みの中」で考え、悩み、調べ、主に尋ね、祈りつつ、

ご自分の考えを有る程度しっかり持たれてから、論議を始めてみてはいかがでしょうか。

始めの思い、願いをはるかに超えた神さまの祝福があることと信じます!







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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/28 21:10
投稿者 まるふぁ
参照先
>ブヒさん
>何故、コーランを唱えなければならないのでしょう・・・???
>私たちは単純に、イエスのいのちを伝えるしかないと思うのですが・・・。
「イエスのいのちを伝える」具体的な生き方として、私たちはどう行動したらよいのだろう、と考えます。
さまざまな場で、さまざまな状況・人びとと接するときに。
ヒステリックに聖句を喚き散らすことがキリストのいのちを伝えることにならない、とは、今のキリスト教会や信徒を見ていて感じるところです。分かち合うベきいのちを持っているかどうか、もですが。
「コーランを唱える」⇔「イエスのいのちを伝える」ではありませんが、
例えばM.テレサの場合、イエスのいのちがあらわれる具体的行動として、主への信仰をもって死にゆく人に経典を読み聞かせることを選んだのではないか、と思うのです。
キリストへの信仰によって、コーランを拒否したとしても、それはりっぱです。
キリストへの信仰と祈りをもって、彼女が置かれた状態でM.テレサが行動したのだとしたら、りっぱな信仰であり行動だと思うのです。
それが真にできる人は、迫害にあって「コーランを読め」と強制されたら拒否でき、生きるにしても死ぬにしても主のために、を全うできるでしょう。

>てんてこまいさん
宝塚歌劇の話を、まじめな議論の場で持ち出したことを言われるなら、軽率でした…と頭を下げるしかありません。不調法お詫びします。(#「『愛、愛、愛』ならキリスト教会よりタカラヅカ行きたい」とは、私は「本気」でおもっているのですが。)
No.51の「本論」として私が話したことを「おちゃらかし」だとおっしゃるのだとしたならば、
私にとって学びの機会であっただけに、残念です。
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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/27 22:31
投稿者 てんてこまい
参照先
まるふぁさんへ

だれかの事を「おちゃらかす」のはやめて下さい。

まじめにデイスカッションして下さる方だと思って

いました。

昨今TVなどで、相手や人を「おちゃらかす」ムード

に溢れていると思います。

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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/27 21:46
投稿者 赤とんぼ
参照先
話し変わりますが、誰でも戦争なんかしないと言うでしょう。もし、自分が太平洋戦争の時代に召集令状が来たとしたら。戦争には行かないと言えたとして、そして、刑務所に入ることになるでしょう。兵役拒否した人の話しでは、その刑務所の中で、軍隊に関する仕事をさせられたそうです。そこでまた、その仕事を拒否して、最後は、拷問にあって死んでいくことができるでしょうか。アメリカでは、クリスチャンでもベトナム戦争に行って、爆弾を落としていますが、それは、異端ではないのですか?
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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/27 21:41
投稿者 まるふぁ
参照先
ブヒさん、こんばんはm(._.*)m

私への前半のご質問(おそらくメイン)は、ちょっとお待ちくださいね、
>>(#「愛、愛、愛」と歌うなら宝塚歌劇を観に行ったほうがいいです
>これは・・・どなたのことですか・・・?
ごめんなさい、ハードコア・セッションで書くべきことじゃなかったかも(;^_^A 汗 
宝塚歌劇の「ベルサイユのばら」の主題歌が「愛あればこそ」で、「愛、愛、愛〜♪ あ〜愛あればこそ〜♪」と歌うのです、それだけなんです……(^^;)(^^;)
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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/27 21:03
投稿者 ブヒちゃん
参照先
てんてこまいさん、まるふぁさん、こんばんは〜!!
てんてこまいさん、とても分かり易いコメントを感謝します!!自分の中のプライオリティ、本当に本当にいつも確認する必要がありますね!!

まるふぁさん、教えて下さい!!

>主の御名によって、貧しい人にコーランを読み聞かせることによって、キリストのいのちを伝えることは不可能なのだろうか、と

との事ですが、・・・どうもよくわかりません・・・。
何故、コーランを唱えなければならないのでしょう・・・???
私たちは単純に、イエスのいのちを伝えるしかないと思うのですが・・・。

>(#「愛、愛、愛」と歌うなら宝塚歌劇を観に行ったほうがいいです

これは・・・どなたのことですか・・・?
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マザー・テレサとローマカトリック
投稿日 : 2005/10/27 21:20
投稿者 まるふぁ
参照先
マザー・テレサの話を蒸し返したまるふぁですm(._.*)m

>てんてこまいさん
私はM.テレサの行為が「善行」としてしか理解されないことに違和感を覚えてしまうのです。
>本当の「良い行い」とはイエスのいのちを伝えることではないでしょうか。
「貧しい人に仕える」ことと「キリストのいのちを伝える」ことが矛盾すること自体、
私には「宗教」と感じられるのです。

多元論でもヒューマニズムでもニューエイジでも魂的なものでもなく、主の御名によって、貧しい人にコーランを読み聞かせることによって、キリストのいのちを伝えることは不可能なのだろうか、と、考えます。
M.テレサに可能だったかどうかさえ、わかりません。実際、M.テレサの言動は、ヒューマニズム的にもてはやされていることが多いですから。しかし、死にゆく際にコーランを読み聞かせられた人にあるいは隣で見ていた人に、キリストのいのちはつたわらなかったのでしょうか?私には知ることはできませんが。。。

貧しい人に仕えることが魂の善行ではなくて霊の生き方・キリストのいのちを生きることであるべきだと思います。
隣人に仕えることとキリストを愛することが矛盾するとしたら、そのこと自体が問題だと思うのです。

ローマカトリックの教義については私は無知なので控えます(ローマ教皇の「聖座」からの発言は無謬である、「しかし自分は『聖座』から発言することはないだろう」と言ったヨハネス23世の話は聞いたことがあります)。
上でローマカトリック信徒に批判的発言をした私ですが、ローマカトリック教会に受け継がれている祈りや古典などの中には、すばらしい祈りや書物があると感じています。ミサにも出たことがありますが、司祭のメッセージは短いし言ってることも至極まともでした(;^_^A 汗 (隣の芝生が青かったのかも知れませんし、中に入ったらまた違うものが見えるのでしょうが(^^;))
ローマカトリック教会や信徒と接する時に、「カトリックだから(=悪いもの)」という先入観で見てしまうのは、もったいないと思うのです。私はローマカトリックの書物やメッセージから、キリストのいのちのすばらしさがよりいっそうわかったこともありますから…。
なお、私はエキュメニカルを標榜しているわけではありません。無秩序な「愛」によるエキュメニカル運動は…気持ちわるさを覚えます。

私は、アイデンティティの置き所は「宗教」ではない、とLukeさんから学ばされました。服従の対象も「宗教」ではない、と思います。

>Lukeさん
ベタベタした甘えを受け入れることを「愛」と呼ばれたら…たまりませんね(+_+)
主への服従は他の一切のものへの不服従でもあると考えています。主の愛が排他的ならば、私たちの服従も排他的であらねばなりません(って、「上で言ってることと矛盾しとる!」と取られてしまうでしょうか?汗)
主以外のもの、それが自分や人や社会にとってどんなに大切でよいものであろうとも、それらを拒否して主に従う道は、狭き門の道だと思います。。。

(#「愛、愛、愛」と歌うなら宝塚歌劇を観に行ったほうがいいです。ちょうど先ごろ、「ベルばら」の「リバイバル公演」ツアーありましたから(^_-))
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Re: 異端:カルトの定義
投稿日 : 2005/10/27 12:12
投稿者 てんてこまい
参照先
赤とんぼさんへ
上のカキコにお宛名を入れるのを忘れました!
よろしく。


どんな善行も

神が定めた「義」の基準を超えることはできないと信じます。

私たちの優先順位は何か、誰につくべきなのか、

アイデインテイテイとして明確にしていく必要があ

るのではないでしょうか。
(ルークさんのメッセから学ばされました)

「貧しい人への善行」と「神への純潔」が内側でぶつかるなら、

私たちはどちらを選び取るべきでしょうか。

貧しい人への「善行、愛」が「魂の粘着力」となっ

てはいないでしょうか。それは一つの偶像礼拝 とも言えるでしょう。


本当の「良い行い」とはイエスのいのちを伝えることではないでしょうか。

もしマザーテレサの目的が「イエス・キリストのいのちを伝える」

であったならば、彼女は

コーランを読まずに「イエスのいのち」を伝えたことでしょう。

しかし彼女の目的は「貧しい人に仕える」事なのです。

「貧しい人にキリストが宿っているからキリストに仕える」と言い、

そして「イエスも善行をする為にこの世に下られた」と言ってます。

これは大変なことではないでしょうか。

私たちが彼女と同じことをしていないからと言って

何ら恥じることはないと思うのです。


「この事で神に喜ばれていないのでは・・」なんて

思う必要もないわけです。


私たちはキリストの命に属しているので、すでに喜

ばれている存在です。

そのいのちの中で呼吸していることを喜んでいるなら、

それが最高の生き方ではないでしょうしょうか。

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