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Dr.Lukeの一言映画評-ジャー・ヘッド

朝起きると枕元にタオルが置いてあったので、何気に顔を洗って、そのタオルで顔を拭いた。ところがカミさんが、これで顔拭いたの?とあわてているので、どうして、と聞くと、やだ〜、これ、雑巾に使っていたのに・・・、と笑いこけている。小生、???、言葉を失い・・・参りました。

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90年の対イラク戦に従軍した兵士のドキュメンタリーの映画化。大学を続けることに迷った主人公がマリーンに志願し、上官のシゴキに耐えて、狙撃兵として訓練を受けてイラクに派兵される。敵の上官を狙撃する任務を帯びて、ここぞとばかり照準を定めたときに、別の隊の上官から爆撃のために狙撃の中止命令を受ける。相棒は、なぜ撃たせてくれない!と半狂乱になって抗議するも、受け入れられず、彼らは敵を一人も殺すことなく、4ヶ月の従軍で終戦。

入れ込んだことが、目的を達成することなく無駄になり、不完全燃焼の虚無感だけが残った。まあ、人を殺さなくてすんだのであるから、普通であればそれは幸いなのだが、戦争という虚無の極致では、「目的」の達成がなされないことは、さらなる虚無を生むわけ。いや、人は正否を超えて、自分が打ち込んだものを無にしたくないわけ。そこに自己の根拠があるから。いったん入れ込めば、人は間違ったことでも、むしろ空虚であればあるほど突き進む。

現在のイラクにいる兵士たちは、果たして何のために、何を守るために、自分たちがそこにいるのか、その充実感を覚えているのだろうか、と考えた。彼らばかりでなく、人は何か実質で充実していなくては、つまり生きる手ごたえを覚えないと、生きてはいけないものなのだ。昨今のオタク文化などはまさにその空虚感を埋めるためにヴァーチャルな形で補償行為なのである。戦争などはその極致であるが、人が死ぬことは悲惨なリアリティである。

しかしクリスチャンは内にキリストがいて下さる、ただそのことのゆえに生きることができる(はず)。この方が手ごたえを下さるから。

注:「ジャーヘッド」とはマリーンの独特の丸刈りヘアスタイルのことであると同時に、「空っぽのオツム」の意味もある。空疎さの象徴。