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本質的アイデンティティと経綸的アイデンティティ

牧師制度の話になるとけっこうセンシティブな反応が出ますね。本質的病理はBBSで書いて下さっているとおりです:

牧師制度に頼り過ぎている牧師と、なんでも牧師に頼る信徒。頼るべきお方が、なおざりにされている。

現状の問題点は本質的アイデンティティと経綸的(機能的)なそれが混同されていること。これがためにいわゆる教職者と信徒の間に質的相違があるかのように錯覚されているわけ。真理は、何もない!

私たち大学の教員が(繰り返しますが、私は「牧師」ではありません^^)、私は博士で教師だよ、君たちは単なる学生だよ・・・とやったらまったくの笑い話になる。しかしこれがニッポンキリスト教では当たり前のようになっている。Am I Right?

私たちの本質はキリストを長子とする兄弟姉妹、その中である人は・・・と任職がある。救世軍の山谷さんを意図的に引き合いにしているようですが、私が山谷さんに共鳴し、評価するのは、彼が少佐だとか、神学校の教職だとかによるのではありません。彼の信仰のスタンスと生き様に感銘を受けるからです。彼は親愛なる主にある兄弟であり(本質的アイデンティティ)、主にあってその委託を、たまたま救世軍と言う枠組みの中で少佐として(機能的アイデンティティ)忠実に果たされているのです。お分かりでしょうか?そこを山谷さんもちゃんと知っておられるのです。

カンコクキリスト教では特にこれが完全に混同されているわけで、「牧師様(ボクサニム)」として信徒の上に君臨する場合がままあるわけです。アメリカキリスト教ではパスターでは満足せず、アポストロにプロフェットになりたい人が多いのですね。本質的アイデンティティと経綸的(機能的)アイデンティティを混同する悲喜劇はそろそろ卒業すべきでしょう。(まあ、これ自体が私的には病理現象と言えるわけですが)。

Commented by 子パンダ 2006年09月26日(火)21:17

日本の牧師さんたちのほとんどは、薄給でも忠実に主に仕えているのです。地位や名誉や富を求めてギラギラしてるのは、ほんの一部だけですよ。ただ、この一部の人たちは人並み外れて目立ちたがり屋なので、彼らの素行の悪さばかりが人目についてしまうのですね。

Lukeさん、あまり牧師さんたちをいぢめないでね。
彼らのために祈ることが必要なんだと思います。

Commented by 愛知県のさっちゃん 2006年09月26日(火)22:51

こんにちわ、子パンダさん。

地位や名誉や富をあからさまに求めてギラギラしているのは、ほんの一部だけ・・の人々を問題視しているのではないと思っています。信徒と教職という何か、隔てる間柄自体が聖書にはないこと、牧師の生活のすべてを献金で支えるということから生じる、信徒と牧師の中に言葉では言い表せない空気があります。牧師自身も話すべき事柄さえも言わないでいることを何度も見てきました。話せば、来なくなってしまうのを恐れているのです。信徒の側も捧げるという喜びはどこにいったのかと思うほど、捧げた献金に対する執着を感じます。会計を長年してきbキ。信徒の側も捧げるという喜びはどこにいったのかと思うほど、捧げた献金に対する執着を感じます。会計を長年してきた経験の中で、捧げている信徒の小さな言葉に中に、本音を垣間見てきました。牧師に対して、どのように、なにが支払われているのかを本当に見ています。だれに捧げているのかを忘れてしまっているかのようです。信仰の問題といえばそれまでかもしれませんが、献金によって牧師の生活を支える制度の中に確かに横たわる切実な問題があるのは事実なのです。逆に言えば、人はそれほど、弱いものでもあると思うのです。
明らかに富だけを求めたり、名誉を求めたりする牧師なら、逆にわかりやすいかもしれません。
しかし、かりに80%は忠実でも、後の20%は自分の生活を守ろう、救おうとするとする姿が見えてくるのです。その、20%・・いえ、10%?であっても、とても固執しているものとして伝わってくるのです。・・・
祈ることはもちろんですが、声に出していくことも愛だと思います。もちろん、主の導きの中でですが・・。

「そして、私たちがあなたがたに教授しておいたように、静かに生活をすること、そして自分の仕事に励むこと、そしてあなたがた(自らの)手でもって働くことを名誉としなさい。それはあなたがたが、外部の人たちに対して品位ある仕方で歩むためであり、誰かの助けを必要とすることがないためである。」
テサロニケT 4:11 岩波訳

Commented by Luke 2006年09月26日(火)22:56

そうですか。薄給ですか・・・。まあ、私がこれまで診て来た先生たち(どちらかと言うと有名どころ)から受ける印象は「金太郎飴」なんですね。

まず表情が一様に「牧師顔」です。第二にしゃべり方が金太郎飴です。第三に接し方が金太郎飴です。そして最も深刻なことは本音が見えて来ないこと。要するに作っているのです。これは私たちから見ると、すぐに分かります。表と裏が乖離しているわけですね。

イロイロ裏話などもお聞きしますが、多分ご本人たちも相当に不自然な努力と無理を積み重ねているんだろうなと思っています。だからうつ病とか血管系の病気が多いのです。率直に言って、どこか変だと想いません、この先生たちの生態って・・・。

陰の声:前にも言いましたが、彼らの人格心理テストをやってみたいのですね。おそらく相当に病理的な結果が予想されます。もっとも可能性が高いのがライ・スコア(見栄でウソを言う引っ掛け問題の得点)が高いことですね。ニッポンキリスト教の献身システムが世からの逃避、あるいは病理的な人の逃げ場になっている印象を持っています。

Commented by KM 2006年09月27日(水)17:56

牧師も一種の接客業だから、作り笑いになるのは仕方ないと思う。どんな業界でも、その中で生きれば、話し方や仕草も、その業界の色に染まるのは当たり前。牧師も牧師として生きていくには、いつもニコニコの「牧師」になってしまうのが楽と言えば、楽なんだと思う。でも、これは牧師の業界に限ったことでなくて、医者の業界でも、マスコミの業界でも、その業界の色に染まらないで、自由に(ただ主とつながって)個性的に生きる道はあると思う。そして、それができる人は、すてきだなと思う。

Commented by kenji 2006年09月27日(水)20:32

そうですか。この手の議論はほかでやったほうがいいですね^^兄弟姉妹の麗しい交わりを維持するためにも。小生は、子パンダさんのご意見もLukeさんのご主張もごもっともと思います。十一も当然視する所とそうでない所と様々です。小生は、以前は十一は当然の教会でしたが、今の所は無記名自由献金です。確かに後者の方が負担が少なく、信者としてはハッピーです。しかしながら、肝心の主はどうご覧になっているのか小生にはわかりません。

Commented by kamekame 2006年09月27日(水)22:01

ハードコアでやりますか?